【任期】
1993ー1998(韓国大統領にしては珍しく、円満退任だった)
【学歴】
ソウル大学哲学科卒
早稲田大学特命教授(公共経営研究科)
名誉法学博士(早稲田大学)
【血統】
金寧金氏
高句麗人で朝鮮王朝貴族の家系。
従来ならば、この人が何で大統領になるのかという韓国人の疑念と戦うことになるところであったが、朴正煕大統領の最有力の政敵であったことが幸いし、多くの民衆の賛同を得て、大統領になった。
しかし、経済的失敗から、韓国人の間で韓国大統領としての正統性に疑義が呈せられるようになり、後年の大統領としての評価は非常に低い。
【功績】
1.民政移行(このことにより、アメリカの内政干渉を受けなくなる)
2.軍改革
3.収賄の温床となっていた金融の改革(この影響で息子が収賄罪で逮捕される)
4.旧朝鮮総督府庁舎解体
反日政策の目玉として大々的にマスコミが報道したが、実際のところ、朝鮮総督府庁舎撤去は朴正煕大統領の時代からの決定事項だったので、金泳三大統領がそれを実行したにすぎない。
ちなみに、朝鮮総督府は、贅を尽くして建設するはずであったが、当時勃発した第一次世界大戦のせいで、竣工を急がなければならなくなった。外から見えない場所は施工の手を抜くことで工期短縮を図ったため、見る場所、見る角度によっては、非常にみっともない建物であった。
にもかかわらず、工期は延びに延びて10年にも及んだうえ、致命的な設計ミスがあった。
景福宮の建物の配置軸から3.75度ズレていたのである。これは、朝鮮王朝第初代王太祖(李成桂)が、景福宮の建物配置をわざと周辺の街路から3.75度傾けて作らせていたのに、大日本帝国陸軍が気付かなかったという失態が原因であった。工事途中で3.75度のズレには気付いたが、失態を日本内地に知られることを憂慮し、小手先の対応でごまかそうとした結果、総督府庁舎の中心軸を勤政門に合わせるという間違いを犯したため、光化門前大通りの中心軸からも盛大にズレて完成したのであった。
これらのせいで、朝鮮総督府は間が抜けた、たいへんみっともない建物であった。朝鮮に来て総督府庁舎を見た日本人が、『大日本帝国の恥さらし』と内地の新聞に投書し、物議を醸す事態ともなった。
それでも1996年まで朝鮮総督府庁舎が残ったのは、単に韓国が撤去費用を捻出できなかったからであり、1996年の朝鮮総督府庁舎の解体は必然的結果であった。
末期の朝鮮総督府庁舎は、韓国国立博物館として使用されていた。
エントランスホールや低層階は、博物館として綺麗に整備され、解体を惜しむ人も多かったが、高層階は荒れ放題となっており、朝鮮総督府庁舎時代、韓国政府庁舎時代から連綿と溜まり続けた粗大ゴミや、古すぎて使用不能となった空調機が放置されている状態で、屋根上ともなれば状態は悲惨だった。もともと手抜き工事がそこかしこにある建物であったため、取り壊すのが関の山の状態で、さすがに全館をリフォームするのは、費用的に無理があった。
【政治スタイル】
1.朴正煕大統領の政敵
2.短気
3.曲がったことを嫌う
4.反共、反北、反日原則の堅持
「日本のバカったれを叩き直してやる!」
と常に攻撃的な反日姿勢を顕著にしていたが、それは口先だけで、実務面では、日本人隔離政策を終わらせるなど、親日的政策が多く、内政面で物議を醸すことが多かった。
大統領引退後、早稲田大学の特命教授として再就職できたのも、日本の有識者の間では、政策の評価が高かったことと関係がある。
反面、韓国愛国主義勢力からの突き上げに対する対策に振り回されることも多く、政権末期に独島開発など、反日的政策を連発するという、韓国大統領がよくやるパターンを定着させた負の功績もある。
5.軍事政権勢力の解体
6.南北融和政策
【目指す国家像】
いわゆる普通の先進国。
ただし、IMF8条国批准には拒否し続け、「自称発展途上国」の態度を崩さなかったが、「自称先進国」「ローマ帝国の亡霊(ぬけがら)」として、ヨーロッパのお荷物と揶揄されていたイタリアからの憎悪を一身に浴びることとなった。
【政治的汚点】
直情径行で、普通国家への移行を急ぎすぎたため、経済破綻(IMF危機)を起こした。
このとき、IMF8条国を批准していなかったため、IMFから借金して経済を立て直すことができた。
この件でも、旧ローマ帝国のメンツから、無理してIMF8条国を批准して先進国を名乗っていたイタリアの逆鱗に触れた。
【その他】
経済運営能力を大統領の第一の評価基準と捉える傾向の強い最近の韓国では、金泳三大統領の評価は歴代大統領のなかではダントツに低い。