大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

中央線

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中央線のアルストーム社製電気機関車8000系。中央線は、京釜線を差し置いて、早期に電化された。アメリカは、性能の良い電気機関車を持っていなかったので、フランスのアルストーム社の電気機関車を買って使うことになった。KTXで有名になったフランス・アルストーム社と韓国との腐れ縁は、結構長い歴史をもっている。

路線距離:373.8km
(ただし清凉里駅 - 回基駅間1.4kmは京元線と重複)
軌間:1435mm
駅数:78
(起終点駅、信号場・信号所・仮乗降場を含む)
複々線区間:上鳳駅 - 忘憂駅 (0.6km)
複線区間清凉里駅 - 上鳳駅、忘憂駅 - 西原州駅、鳳陽駅 - 嶋潭駅、文殊駅 - 甕泉信号場 (121.5km)
電化区間清凉里駅 - 栄州駅(交流25,000V)207.0km

 

中央線は、石炭の運搬を目的として建設され、早期に電化された

京釜線の東側の山間部を京釜線と並行して建設された

江原道の炭鉱から産出される石炭を運搬するため、早くから電化された路線で、産業路線の性格の強い鉄道路線でした。
長らく、貨物列車主体の路線として運行されていました。

2005年、清凉里駅 - 徳沼駅間は、首都圏電鉄として再整備され、2014年には、京元線、龍山線、京義線と直通運転し、首都圏電鉄京義・中央線となっています。

 

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韓国の中央を通っていない中央線

韓国の中央を南北に貫いているのは、中央線よりむしろ京釜線のほうで、中央線は朝鮮半島の東寄りを南北に貫いている路線です。

優等列車がひっきりなしに疾走する京釜線では、長距離鈍行が絶滅して久しいのですが、中央線では、東海南部線と直通で、釜山とソウルの間を半日かけて走る戦前以来ののんびりとしたダイヤで走る長距離鈍行が生き残っています。
信号所クラスの小駅は通過するので、鈍行といっても、完全各駅停車ではないのですが。
日本人乗り鉄の間では、結構有名な人気路線です。

同じ距離を高速バスなら、渋滞があっても5時間で走破してしまうので、この長距離鈍行を全区間通しで乗る韓国人はまずいません。

 

中央線は、朝鮮王朝時代の主要な街を巡っているという隠れた側面もある

そもそも、京釜線南満州鉄道との効率的な接続しか考えていないところがあって、見事に朝鮮人の集落を外して走っていました。

朝鮮に鉄道が走って、その利便性が明らかになると、何もなかった京釜線沿線に、近代的な都市が発展し始めました。

ところで、鉄道が通らなかった都市はいつまでも朝鮮王朝時代のままで、時代に取り残されていきました。

特に、栄州、安東、慶州、(場所は離れているが全州も)という朝鮮王朝時代の重要な国家機能を担った主要都市が、ものの見事に鉄道がとおりませんでした。

京釜線沿線ならば、京城(現在のソウル)まで、半日〜1日で行けるようになりましたが、栄州、安東、慶州では、京城まで1週間〜半月もかかるという信じられないような状況が続いていました。

結果的に、栄州、安東、慶州でも、大規模な鉄道誘致運動が起こりました。

しかし、当の植民地宗主国、日本は、日露戦争後の金欠状態のため、朝鮮鉄道を拡大する気はまったくありませんでした。

風向きが変わったのは、栄州、安東、慶州周辺から石炭の鉱脈が見つかったということからで、結局、運炭鉄道、兼、栄州、安東、慶州を結ぶ鉄道、中央線は建設されることになりました。

なお、京釜線が天安周辺で海の近くを走っていた関係で、日本陸軍が艦砲射撃対策を求めていたということも、中央線建設の追い風になりました。太平洋戦争中の1942年に中央線が全通したというのは、こういった事情がありました。

 

日本式の植民地経営のキモは、極めて急速な近代化を図り、植民地独自の文化を一瞬のうちに時代遅れのものにしたうえで葬り去るという作戦

日本の植民地経営は、暴力で朝鮮の文化を否定したと現在の韓国政府は主張しているようですが、それは間違いといってもいいと思います。
朝鮮半島植民地化計画のキモは、極めて急速な近代化を図り、朝鮮独自の文化を時代遅れのものにしたうえで葬り去るという方法。

かつて、イギリスが日本に対して仕掛けようとした植民地化計画を手本としたものでした。
つまり、尊皇攘夷運動のような民族運動の炎が燃えさかって、外国人がもたらした文明を一時的に破壊したとしても、代替えする文明がなければ、最終的には外国の優れた文明を受容するしかないため、否応なく植民地とならざるをえないという考え方でした。

日本は自主的に急速に近代化することで、このイギリスによる植民地化の罠を回避したわけです。

しかし、朝鮮王朝は、尊皇攘夷運動のような民族運動一本槍であったがために、最終的に国家瓦解の憂き目をみました。

後の朴正𤋮大統領が、国民を武力弾圧してまでも急速な高度経済成長と近代化を韓国国民に強制したのも、自前で先進的な文明を持たない国は、どんなに熱心に愛国運動、独立運動をしても、経済的な理由で、国家瓦解の憂き目をみることをよく知っていたからでした。