オリンピック大路。もちろん渋滞している
青色が『オリンピック大路』。赤色が『江辺北路』。一見よく似た道路だが、まったくの新設高速道路を突貫工事で作ったのが『オリンピック大路』。既存の国道を順次拡張・高規格化していったのが『江辺北路』。走ってみると、とにかく走りやすい『オリンピック大路』に対し、『江辺北路』は拡張・高規格化前の名残があちこちに残っていて、若干走りにくい
オリンピック大路とはソウルの漢江南岸を走る都市高速道路
金浦空港とソウルオリンピック会場を結ぶ輸送ルートとして開設された
オリンピック大路とはソウルの漢江南岸を走る都市高速道路です。
漢江を挟んで北側にオリンピック大路とよく似た高速道路が走っていますが、こちらは『江辺北路』といいます。
オリンピック大路の名前の由来は、金浦空港とソウルオリンピック会場を結ぶ輸送ルートとして開設された高速道路という経緯があるためで、『江辺北路』はオリンピックとは何の関係もないので、よく似た道路ですが、オリンピックという名前はつきません。
片側5〜6車線、計10〜12車線という極めて大規模な高速道路で、金浦空港とオリンピック施設との間を結んでいました。
オリンピック開催中は、この道路を使い、大会関係者の輸送を行いました。
現在は、延長されて、春川方面から仁川国際空港方面を結んでいます。
もちろん、道路名、経営者は区間ごとにバラバラですが。
ぶっとんだ規格の大路になったのは、平壌との比較で経済的優位性をアピールするため
この道路が、片側5〜6車線、計10〜12車線というぶっとんだ設計になった理由は、ソウルが北朝鮮の平壌と比較していかに近代的な都市であるかをアピールする役目を担っていたためです。
最近の朝鮮半島情勢しか知らない世代には信じられないかもしれませんが、ソウルオリンピックが開催された1988年以前は、北朝鮮の方が経済力で勝っていました(このことを知らない韓国人も最近増えてきた)。
日本でも社会党や朝日新聞などは北朝鮮を無条件で賞揚していましたし、朝鮮半島専門家は、大韓民国は南ベトナムと同様、経済的に破綻し消滅するだろうと言っていました。
その後進国、大韓民国のイメージを払拭する役割を、この高速道路は担っていたわけです。
実際、この宣伝の効果は抜群であって、北朝鮮はソウルオリンピックが開催された1988年を境に、慢性的な苦境に陥って経済不振となり、現在に至ります。
一般供用後はソウル有数の渋滞のメッカとなる
そのようにして、当初の建設目的を無事果たしたオリンピック大路ですが、一般に供用されてからはよくありません。
もともとソウルを東西に貫通する幹線道路がなかった関係で、ソウルの東西交通がオリンピック大路に集中し、渋滞が慢性化してしまいました。
そこで、漢江を挟んで北側に走っていた国道『江辺北路』をオリンピック大路並みの高速道路へ拡張・高規格化し、混雑分散を図って現在に至っています。
『88オリンピック高速道路』とは別物
全く別の地域を走る高速道路に『88オリンピック高速道路』というのがありますが、これは、オリンピック開催年に開通した高速道路という安直なネーミングで、後年、あまりにも紛らわしい名前だということで問題となり、現在は、 『光州-大邱高速道路』という名前に改名されています。