大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

ブテチゲ(部隊チゲ)


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だいたいこんな感じの料理。いい加減に作っても、そこそこおいしいものができるという点で、どの店で食べても当たり外れは少ない。

 

日米韓合作料理 ブテチゲ

誕生の経緯はかなり怪しい

ブテチゲは、1960年頃自然発生的に誕生し、1980年代に普及した比較的歴史の浅い韓国独特の鍋料理です。

上官の監視の緩い作戦行動中に、兵士が持ち寄った物資で上官に隠れて作った闇鍋が源流とか、米軍の援助物資・放出物資あるいは横領物資が市中に流出して、闇市の食堂で提供されたことで成立したともいわれます。

 

全斗煥大統領の時代に、爆発的に普及した料理

普及した時期は、漢江の奇蹟で有名な朴正煕大統領の時代よりも、ソウルオリンピック前後の全斗煥大統領の時代という感じです。

全斗煥大統領の時代は、退廃と文化の成長というフレーズで語られることが多いです。
経済の爆発的な発展、表現の自由化と日本文化の怒涛のような流入、軍の暴力、文化の腐敗、性風俗の爛熟というキーワードで語られることが多く、退廃的でありつつも、韓国の文化が急速に成熟していった時期とも重なります。

 

『部隊』という名前に、軍事政権の暴政の跡が垣間見え

『部隊』という名前には、この時代頻発し、多数の死傷者を出した軍と市民との衝突の影響があり、市民の日常会話に『部隊』という言葉が普通にあった時代の残滓をみることができます。

まだまだ食糧難であった韓国にあって、ブテチゲは安価に食べられる外食メニューの筆頭であって、ブテチゲをつつきながら、安い焼酎『真露』で仲間と一杯やるというのが、一つの文化でありました。

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ノルブのブテチゲ。韓国人がイメージする標準的なブテチゲを提供するお店。ブテチゲは、基本複数人で食べる料理なので、1人飯には向かないが、なんといっても、ここはスープがうまい。

 

具材にも、親日的・親米的であった軍事政権の性格の跡が垣間見え

現在のブテチゲ具材は、提供する店によって、かなり広範なバラエティーがあります。

とはいえ、韓国において、標準といえるのは、ノルブというチェーン店のブテチゲでしょう。

ブテチゲのお約束は、日本の明星食品の援助で国産化に成功したインスタントラーメン、米軍物資のスパムと、韓国伝統のトッポキが入るということ。

いわゆる親日的、親米的政策が頂点に達した全斗煥大統領の時代を彷彿とさせる日米韓合作料理で、それ以前、または、それ以降の、反日・反米的風潮のなかでは、恐らく普及しえなかった料理でもあります。

 

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ブテチゲ店のメニューというとこんな感じ。ブテチゲ以外のメニューも下半分にある。中サイズ:27,500ウォン、大サイズ:38,500ウォン。これを2〜4人でつつく。他の宴会料理と比較すると、激安である。

 

学生街でコンパ料理としてしぶとく生き残る

1990年代に入ると、韓国の食糧難は落ち着き、市中には数多くの韓国料理を提供する店が並ぶようになります。
社会人相手のブテチゲの役割は終わったのでありましたが、学生街で、ブテチゲ屋はしぶとく生き残ります。
なにせ、今でも2,000〜3,000円程度で腹一杯食べられるブテチゲは、学生のコンパ向けの料理として絶大な人気を博しております。