大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

ソウルの下町 新村

新村の中心。新村ロータリー。昔はラウンドアバウト構造だったらしいが、現在は信号機で交通整理される普通の交差点になっている。左前方の白いビルは新村名物、現代百貨店。昔は、グレース百貨店というデパートで、この近辺ではいろんな意味で有名だった。入手困難なものをよくぞ揃えたというような品揃えであったが、品質は油断のならないことでも有名だった。現代百貨店になった現在はマシになったと思われるが、このデパートを知らない人は、新村の人ではない。未だに庶民的な雰囲気である。



鉄道公社 京義線 新村駅。新村の外れにあるうえに、発着本数が少ないので、ここから新村に行く人は少ない。京義線のほとんどの列車がソウル駅を経由しないで龍山駅に直行するので、新村駅ではなく、新村ロータリーのそばの京義線・空港鉄道共同駅西江大駅を利用する人が多い。

 

旧バスターミナルだったという立地から、飲食店、旅館が多く集まる地域

外国人観光客の集まる歓楽街 新村

2000年前後から、鐘路の再開発計画がスタートし、外国人観光客の馴染みの旅館、食堂が次々と取り壊され、姿を消していきました。

困った外国人観光客が目をつけたのが、新村。
というのも、ビジネス街と化す以前の鐘路のように、飲食店、旅館が多く集まる地域だったからです。

 

新村名物、旅館街。元は韓式旅館であったが、度重なる改装を経て、ホテルのような感じの宿泊施設となった。

 

改装の進捗度合いにより、旅館→モーテル→ホテルという具合になっている。ただし、出自が韓国人向け韓式旅館なので、限りなく韓式旅館風である。いまでこそ、ネット予約が可能であるが、もともと予約不要だった経緯から、部屋が空いていれば、予約なしで泊まれる。日本のホテル予約サイトでの予約も可能な場所が多い。

 

改装が進んだホテルの場合、部屋の中はこんな感じ。旅館の懐具合によって、改装の程度は異なるのだが、有名観光地でもないかぎり、もともと韓国における旅館業は採算性の良い業種ではない(ボッタクリはほとんどないといえる)ので、あまり多くの期待はしないほうがよい。オンドル部屋は、基本土足禁止。床はビニールクロス張り。

 

ソウル駅から西へ、山を2つ越えた先にある街

新村は、ソウル駅から西へ、山を2つ越えた先にある谷間にある街です。
周辺は、お世辞にも所得の高いとはいえない人々の住む町で、下町という言葉がぴったりする地域です。
もっとも、地下高騰の激しいソウルにあって、新村といえども、お金持ちでなければ、住むことはできなくなりましたが。
それでも、地方都市でなければお目にかかれないオンボロな建物が目に付く地域ではあります。

日本占領時代は、京義新線、龍山線(京義旧線)、京釜本線で構成される京城循還路線をぐるぐる循環する列車があり、それなりに交通の便がよかったため、早くから人が住むようになりました。
新村ロータリーのすぐそば、西江駅からは、ソウルの工業地帯、唐人里に通勤することができました。
唐人里は、現在、広大なワールドカップ公園になっていますが、昔は、工場が集積していて、ワールドカップ開催の頃までは、火力発電所が残っていました。

 

新村の数少ない『学生街』らしさは、飲食店の価格がリーズナブルであることももちろんであるが、アカデミックな催事が多いというところにも表われている。

 

『学生街』と紹介されることが多いが、らしくない

近隣には、延世大学梨花女子大学、西江大学、弘益大学と、韓国の大学でも、比較的規模の大きな大学の集中する場所で、旅行案内書には、『学生街』と紹介されることが多い場所です。

確かに学生は多いのですが、新村は、ソウルに数多くある学生街と異なり、飲食店、旅館が多く集まる、学生より一般の大人向けの客を相手にするような歓楽街です。

なぜそうなったかというと、新村の中心部、新村ロータリーには、かつて、ソウルでも有数のバスターミナルがあり、この旅客目当てにできた街が新村でありました。

現在も、ソウル西部の歓楽街として発展を続けていますが、お隣、弘大入口がソウル西部の歓楽街として急成長する中で、まだまだ歓楽街としては整備が行き届かない弘大入口を補完する街として共に発展していっているという感じです。

 

新村バスターミナル。新村の発展の礎となったバスターミナルであるが、みすぼらしいことこのうえなかった。オンボロなコンテナハウスに、最新型の自動券売機があった。すぐにでも廃止するつもりで、仮設のままで営業していたら、なんかうまくいかなくて、いつのまにか2010年になっていたという感じのバスターミナルであった。

 

末期には、江華島、金浦市、高陽市、坡州市方面にしかバスは発着していなかったが、それでも発着本数はかなり多かった。金浦市行きのバスは、途中、金浦空港を通る関係から(しかも渋滞のない道路を通った)、利用客は多かった。オンボロな新村バスターミナルでは、バスの乗降を捌ききれなくなって、遂に廃止になったという感じであった。

 

2010年頃まで、しぶとく残った新村バスターミナル

新村バスターミナルの主要機能は、やがて江南の高速バスターミナル、東ソウルバスターミナルに集約されていき、新村バスターミナルは鐘路にあったバスターミナル同様、廃止されるはずでした。

ところが、新村バスターミナルには、ソウルから西、軍事境界線付近の江華島、金浦市、高陽市、坡州市からの市外バスの発着が多かったということから、廃止がうまくいきませんでした。

なぜ、無駄に運行距離が2倍にならなければならないのかという問題が大きかったのでありました。

そこで、2010年頃まで、新村バスターミナルが残存することとなり、飲食店、旅館が多く集まる歓楽街も、そのまま残存することとなりました。

軍事境界線付近の江華島は、仁川市に併合され、高麗人蔘の主要な生産地であったことから、現在は、農業地域として開発が規制されています。

これ以外の金浦市、高陽市、坡州市はソウルのベッドタウンとして、大発展を遂げました。

とても新村バスターミナル発着の市外バスでは旅客を運びきることができなくなったため、首都圏電鉄一山線(地下鉄3号線)、首都圏電鉄京義・中央線が建設される一方、バス路線は市内バス化され、市外バスは廃止、新村バスターミナルも廃止されることになりました。

 

新村の街は、不夜城でもある。外国人観光客の来訪は前提となっていない街なので、素の韓国人の日常を垣間見ることができる。