大韓民国観察記

リニューアル終了。当面、コロナ前に収集した情報で記事を作ります

清渓高架道路(廃道)

韓国で最も有名な廃道。清渓高架道路

朴正煕大統領が作って、李明博大統領が壊した、なんとなくきなくさい道路

清渓高架道路は、ソウル市庁のすぐそばから東大門付近を走る都市高速に接続する韓国初の高架道路です。
清渓高架道路は京釜高速道路より前の1967年に建設されました。

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清渓高架道路の両側にビルが立ち並ぶが、その裏側はスラム街。そういう状況なので、清渓高架道路の下には怪しげな露天商のビーチパラソルが並ぶ。ちなみに、朴正煕大統領の時代、こんな写真を撮ろうものなら、即刻逮捕され、死刑は免れなかった。それだけ、清渓高架道路の下にあるものを外国使節に見せたくなかったのだろう

 

清渓川といえば、ソウルのど真ん中のスラム街を流れる(元)ドブ川

清渓川といえば、ソウル旧市街である江北地区のド真ん中を流れる川なのですが、ここに韓国初の高架道路が建設された最大の理由。
それは、清渓川といえば、ドブ川の代名詞であったからということに尽きます。

朝鮮王朝時代のソウル(漢城)には、これといった排水設備がなく、生活排水、屎尿を清渓川にタレ流ししていました。
悪臭を放ち、甚だ不衛生な清渓川周辺は、漢城の中心部であるにも関わらず、スラム化が著しく、国政運営上の汚点ともなっていました。

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ソウル市庁裏にあった清渓高架道路の起点。ぷっつり途切れたような作りが印象的だった。このすぐ先に慶熙宮があるので、これ以上の延長は無理だろう。一般人には使い勝手の悪い道だったので、それほど渋滞することはなかった

 

清渓川問題に最初に取り組んだのは、実は日本人

日本が韓国を植民地化した際、漢城に日本人居住地を建設することになったのですが、どうしようもなかった清渓川周辺の土地は、朝鮮人があっさり明け渡してくれたこともあり、ここに上水道、下水道を整備し、日本人街を建設することとなりました。
日本人街の周辺は、清渓川覆蓋事業を行い、清渓川の悪臭が日本人街に及ばないようにしました。

第二次世界大戦後、日本人が引き揚げていったあとは、住環境が改善された清渓川周辺の土地に韓国人が住むようになりました。

 

日本がせっかく整備した清渓川周辺のインフラは朝鮮戦争で破壊され、もとの黙阿弥

このままいけばよかったのですが、朝鮮戦争が起こってソウルが焼け野原になってしまうと、せっかく整備した清渓川周辺のインフラは破壊され、もとの黙阿弥。
再び清渓川はドブ川となり、悪臭を放ち、甚だ不衛生な清渓川周辺は、ソウル最大のスラム街になってしまいました。

 

臭い清渓川に蓋をして、上に道路を作り・・・スラムを一掃したかった

とりあえず、臭いものには蓋を・・・ということで、李承晩大統領の時代の1958年から清渓川覆蓋事業が開始され、1963年からの朴正煕大統領の時代に事業が本格化しました。

清渓川に覆いかぶさるように建ち並んでいたバラックは、覆蓋の過程で撤去され、マンション・商店街が建設されました。

ただ、清渓川両岸に住んでいた多くの人々は、新しくできたマンションに入ることはできず、奉天洞・新林洞・上渓洞などに強制移住させられました。
1977年。20年越しの清渓川覆蓋事業が完成すると、清渓川の上は幅100mにも及ぶ道路として整備されました。

 

でも、スラムは一掃できなかった

これでスラムが一掃できたかというと、さにあらず。
そもそもスラムは乙支路界隈に広く分布しており、土地の所有権も複雑怪奇。
このとき政府が撤去できたスラムは、住民の不法占拠状態が明らかであった清渓川両岸のごく一部。
土地の所有権が複雑怪奇な乙支路界隈の大部分はそのままだったのでありました。
現在も、通称、乙支路道具屋街として、スラムは健在なのであります。

 

スラムを外国使節に見せたくなかった朴正煕大統領は、清渓高架道路を建設した

このことに非常に不快感をもっていた朴正煕大統領は、この100m道路上に清渓高架道路を建設したのでした。
当時、政府庁舎のあった光化門から、当時迎賓館として使っていたウォーカーヒル・ホテルに外国使節を送迎するということはよくあったのですが、その途中、どうしても乙支路のスラムのど真ん中を通っていくことになります。
これで、シビアな外交交渉をするとなると、あまりにもしんどい。
せめて、スラムを外国使節に見せなくてすむようにしたいということで、清渓高架道路を建設したらしい。

一般道扱いの『高架道路』とはいえ、走ってみれば、間違いなく都市高速道路なのでありました。
ずいぶん使い勝手の悪い道だったのは、あきらかに、朴正煕大統領の都合で、光化門とウォーカーヒル・ホテルを行き来することだけを考えた作りだったからなのでありましょう。

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清渓高架道路の取り壊し。建設から30年ぐらいしか経っていないのに、確かにボロボロなのである

 

2000年代になると、早くも、清渓川覆蓋、高架道路ともども、老朽化が無視できないほどに進行

韓国が経済成長を始める以前の事業で、施工技術が甚だ稚拙だったのか、2000年代になると、早くも、清渓川覆蓋、高架道路ともども、老朽化が無視できないほどに進行し、補修工事のコストも莫大なものになることが予想されたことから、2002年に就任した李明博氏(当時ソウル市長)は清渓高架撤去を清渓川復元事業と連携して実施することにしました。

2003年 6月30日に清渓高架道路を閉鎖した後、撤去し、2003年7月1日から2005年10月1日まで3,600億ウォンをかけて清渓川の覆蓋を開けて清渓川復元事業を実施しました。
周辺の地下鉄駅に湧出する地下水を清渓川に流すことで清渓川の水質改善を図っています。

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現在の清渓川。怪しげな露天商のビーチパラソルはなくなった。両岸のビルは新しくなったが、ビルの裏側のスラム街は健在

 

オリンピック大路

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オリンピック大路。もちろん渋滞している

 

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青色が『オリンピック大路』。赤色が『江辺北路』。一見よく似た道路だが、まったくの新設高速道路を突貫工事で作ったのが『オリンピック大路』。既存の国道を順次拡張・高規格化していったのが『江辺北路』。走ってみると、とにかく走りやすい『オリンピック大路』に対し、『江辺北路』は拡張・高規格化前の名残があちこちに残っていて、若干走りにくい

 

オリンピック大路とはソウルの漢江南岸を走る都市高速道路

金浦空港ソウルオリンピック会場を結ぶ輸送ルートとして開設された

オリンピック大路とはソウルの漢江南岸を走る都市高速道路です。
漢江を挟んで北側にオリンピック大路とよく似た高速道路が走っていますが、こちらは『江辺北路』といいます。

オリンピック大路の名前の由来は、金浦空港ソウルオリンピック会場を結ぶ輸送ルートとして開設された高速道路という経緯があるためで、『江辺北路』はオリンピックとは何の関係もないので、よく似た道路ですが、オリンピックという名前はつきません。

片側5〜6車線、計10〜12車線という極めて大規模な高速道路で、金浦空港とオリンピック施設との間を結んでいました。
オリンピック開催中は、この道路を使い、大会関係者の輸送を行いました。

現在は、延長されて、春川方面から仁川国際空港方面を結んでいます。
もちろん、道路名、経営者は区間ごとにバラバラですが。

 

ぶっとんだ規格の大路になったのは、平壌との比較で経済的優位性をアピールするため

この道路が、片側5〜6車線、計10〜12車線というぶっとんだ設計になった理由は、ソウルが北朝鮮平壌と比較していかに近代的な都市であるかをアピールする役目を担っていたためです。

最近の朝鮮半島情勢しか知らない世代には信じられないかもしれませんが、ソウルオリンピックが開催された1988年以前は、北朝鮮の方が経済力で勝っていました(このことを知らない韓国人も最近増えてきた)。
日本でも社会党朝日新聞などは北朝鮮を無条件で賞揚していましたし、朝鮮半島専門家は、大韓民国南ベトナムと同様、経済的に破綻し消滅するだろうと言っていました。

その後進国大韓民国のイメージを払拭する役割を、この高速道路は担っていたわけです。

実際、この宣伝の効果は抜群であって、北朝鮮ソウルオリンピックが開催された1988年を境に、慢性的な苦境に陥って経済不振となり、現在に至ります。

 

一般供用後はソウル有数の渋滞のメッカとなる

そのようにして、当初の建設目的を無事果たしたオリンピック大路ですが、一般に供用されてからはよくありません。

もともとソウルを東西に貫通する幹線道路がなかった関係で、ソウルの東西交通がオリンピック大路に集中し、渋滞が慢性化してしまいました。
そこで、漢江を挟んで北側に走っていた国道『江辺北路』をオリンピック大路並みの高速道路へ拡張・高規格化し、混雑分散を図って現在に至っています。

 

『88オリンピック高速道路』とは別物

全く別の地域を走る高速道路に『88オリンピック高速道路』というのがありますが、これは、オリンピック開催年に開通した高速道路という安直なネーミングで、後年、あまりにも紛らわしい名前だということで問題となり、現在は、 『光州-大邱高速道路』という名前に改名されています。

 

なぜか暗さが付きまとうソウル最大のバスターミナル東ソウル総合ターミナル

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発着本数はソウルで一番。施設の大きさはそれほどでもない東ソウル総合ターミナル

韓国旅行でバスを利用するならここへ行けばなんとかなる

ソウルで最も多くの路線の発着のある東ソウル総合ターミナル。
『総合』という意味は、国の所管する高速バスと、道が所管する市外バスの両方が発着するターミナルという意味です。
もちろん、ターミナル近辺を走る市内バスも停車するので、韓国旅行中、バスを利用するのであれば、ここへ行けばなんとかなるというバスターミナルです。

 

場所はロッテワールドのある蚕室の対岸、漢江堤防のわきの変な場所

この東ソウル総合ターミナルは、ロッテワールドのある蚕室の対岸、漢江堤防のわきの変な場所にあります。
地下鉄で行く場合、2号線 江辺駅の向かいにあり、地下鉄からの乗り継ぎは便利です。
この地下鉄2号線の江辺駅。
漢江渡橋のための蚕室鉄橋のたもとにあるため、地下鉄駅ながら高架駅になっています。

 

殺伐とした雰囲気を嫌って多くのソウル市民は利用を避ける

さぞかし、ソウル中の旅客を集めて、さぞかし賑わっているだろうと思いきや、これがさほどでもないというのが東ソウル総合ターミナル。
むしろ、すぐ近くにある陸軍基地からの軍人の乗降が多く、比較的殺伐とした雰囲気があります。
この殺伐とした雰囲気を嫌って、多くのソウル市民は、多少の不便を承知で江南の高速バスターミナルやソウルセントラル(ソウル江南)バスターミナルに行くようです。

 

京釜高速道路の慢性的な渋滞対策で誕生した東ソウル総合ターミナル

なぜこんな変なところに総合ターミナルがあるのかというと、京釜高速道路の慢性的な渋滞対策のためです。

京釜高速道路の渋滞緩和を目的に、1989年、中部高速道路が開通しました。
これは一定の効果があったのですが、中部高速道路から、当時唯一の高速バスターミナルであった江南の高速バスターミナルへ向かうためには漢江南岸のオリンピック大路(高速道路)を通っていかなければなりません。

オリンピック大路は片側5〜6車線、計10〜12車線という途方もない規格の高速道路として建設されましたが、1988年の一般供用直後から、まったく車列が動かなくなるほどの極めて深刻な渋滞に悩まされ、中部高速道路の開通がこれに拍車をかけるという事態になりました。

そこで、中部高速道路を降りたところで、当時開通済みであった地下鉄2号線の沿線にバスターミナルを作らざるを得なくなったというのが事の真相のようです。

 

当初の目論見は、渋滞対策のための補完的バスターミナル

あくまで、渋滞対策のための補完的バスターミナルとして開設されたため、駐車場は狭く、旅客設備も比較的こじんまりと作られました。

ところが、京釜高速道路の慢性的な渋滞があまりにもひどかったために、高速バスターミナルから発着地を東ソウル総合ターミナルに移すバス会社が続出。
単にバスが遅れを嫌ったというよりも、マナーの悪い乗客に嫌気がさしたということがこの結果を招いた側面があります。

韓国の高速バス・市外バスは、基本的に到着時間を公開していませんが、それというのも、マナーの悪い乗客対策の側面があります。

もし、公開していたなら、15分でも渋滞で到着が遅れると、運転手に「赤信号でいちいち止まるな」「前を走る自動車を蹴散らせ」と暴言を吐いたり、憂さ晴らしに運転手に暴行する乗客が少なからずいるという問題があります。

さすがに、1時間遅れ、2時間遅れになるのは当たり前というのでは、ごまかしようがない。

ある程度到着時間が読める東ソウル総合ターミナル発着にしたくなるのは当たり前のことなのであります。

 

お急ぎの方は東ソウル総合ターミナルへ。江南発着なら、遅れても文句を言うな

高速バスや市外バスのソウル線は、江南発着と東ソウル総合ターミナル発着のダブルトラックになっていて、お急ぎの方は東ソウル総合ターミナルへ。
江南発着に乗ったのだったら、遅れても文句を言うなというのが暗黙の了解となっています。

そういうことが重なって、ソウルで最も多くの路線の発着のあるバスターミナルになってしまいました。

 

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ソウルに向う高速道路はいつもこんな感じ。左端のバス専用レーンもバスで渋滞している。これで到着時間に遅れないほうがどうかしている。それでも15分到着時間に遅れると暴れる人がいるというのだから、韓国のバス運転手がいかに苛酷な職業かがわかる

 

東ソウル総合ターミナル内に駐車できないバスは、江南の高速バスターミナルにバスを回送

もちろん、東ソウル総合ターミナルにそんな多数のバスを捌くだけの施設はないわけで、東ソウル折り返しができないバス会社も続出。
そこで、江南の高速バスターミナルにバスを回送するバス会社が結構あります。

はたまた、いつ到着するか保証はないという条件で、回送便に旅客を乗せたまま江南の高速バスターミナルまで営業してしまうバス会社も多数あります。

 

中部高速道路を通ることで時短効果が見込める場所、大田以南の韓国全土や、江原道からの路線の発着は極めて多いが

そういった経緯から、中部高速道路を通ることで時短効果が見込める場所、大田以南の韓国全土や、江原道からの路線の発着は極めて多いのですが、江南の南部ターミナルから発着した方が時短効果が見込める路線、主に京畿道内のローカル線や、忠清南道発着の路線は江南の南部ターミナルからの発着となっています。

非常にレアケースですが、釜山からソウルの西方の江華島に行くような場合、東ソウル総合ターミナルで乗り継ぎできないというケースもあります。
これは、渋滞が激烈なソウル市内を、路地や山道を爆走できない高速バス規格のバスで横断すると、到着がいつになるかわからないため、あえてバス路線を設定していないというケースになります。
この場合、東ソウル総合ターミナルで釜山からのバスを降りた後、地下鉄2号線で新村に行き、上鳳バスターミナルに行く必要があります。

低い空からみた釜山

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慶尚南道の東莱に日本人がやってきて開いた町に『釜山(ふざん)』と名づけたのはなぜだろうか。

それにしても、『釜山』という名前の響きに、日本らしさのかけらもない。
あえてこのような変な名前をつけたのには、なにか強烈な理由がありそうだ。

同じく日本人がやってきて開いた町に『大田(おおた)』というのがあるが、これこそ、純日本的響きの名前である。

日本人のつける地名の特徴に、特徴的な地形に由来する傾向があるという特性がある。
先出の『大田(おおた)』の場合、広大な田んぼのド真ん中に朝鮮鉄道最大の分岐点駅を作ったことから『大田(おおた)』となった。
これが現在の韓国中部の大都市、大田(テジョン)のはじまりである。

それから類推すると、釜山のどこかに『釜』があるに違いない。

それほど広くない釜山の中を探し回ると、確かに釜はあった。
海の向こうに見える影島が、ポコンと置かれた朝鮮釜なのである。

 

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朝鮮釜

 

中部高速道路

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紫色が京釜高速道路。水色が統営〜河南・中部高速道路
中部高速道路は大田より北の区間

 

中部高速道路は、京釜高速道路のバイパス

しかし、開通後、すぐに渋滞が慢性化

中部高速道路は、交通量が増大し、渋滞が慢性化しはじめた京釜高速道路のバイパスとして、渋滞が慢性化しているソウル−大田間に1989年に開通しました。

後に、中部高速道路の渋滞も慢性化してくるにあたり、中部高速道路のバイパスとして、2001年、第二中部高速道路が開通しています(中部高速道路の車線増設)。

さらに、第二中部高速道路の渋滞も慢性化してくるにあたり、2012年に中部内陸高速道路が開通しています(ソウル側終点の楊平からソウル市内までは江辺北路という一般道のバイパスで連絡している)。

中部内陸高速道路もすでに2018年には渋滞が慢性化してきており、次はどうするんでありましょうか。
現時点では、第二京釜高速道路を作るという計画が進行中ではあります。

 

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第二中部高速道路(左)と、中部高速道路(右)
同じところを走っているので、第二中部高速道路と、中部高速道路を描き分けていない道路地図は多い。ソウル行き車線がどちらも渋滞している

2001年の高速道路改編により統営〜河南高速道路と統合(ただし、法律上は未統合)

中部高速道路は、2001年の高速道路改編により、統営〜河南高速道路と統合し、『統営〜河南・中部高速道路』とされ、インターのナンバーリングも南端の統営から順に番号が付けられました。

ただ、この金大中大統領時代の高速道路改編事業は、かなり露骨な大統領の選挙対策で、事業自体、杜撰な経過をたどり、変更は道路案内標識のみに留まっています。
肝心の高速国道路線指定令は変更されていないため、法律上は依然として「中部高速道路」と「統営〜河南高速道路」になっています。

しかも、旧中部高速道路と旧統営〜河南高速道路は、大田市街を挟んで、南北に離れているし。

さらに、キロポストが統営起点に変更されていないため、ゼロキロポストがソウル側の起点、河南ジャンクションに設置されているという矛盾が生じています。
膨大な数になるキロポストを変更するのが面倒臭いうえ、費用も馬鹿にならなかったので、そのまんまになったということです。

 

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緑は順調、赤は渋滞。ソウルから大田まで京釜高速道路は全面真っ赤というのはなんとも。中部高速道路でソウルに入れば、それでも渋滞区間は短いらしい。

 

杜撰な統合が原因で、キロポストは意味をなしていない

このような例は、務安光州高速道路、光州・大邱高速道路、湖南高速道路、論山天安高速道路など多数あります。
全羅道がらみの高速道路に集中していることからも、金大中大統領の選挙対策だということがわかります。
つまるとろ、韓国の高速道路でキロポストはあるにはあるけれど、意味をなしていないものが多いということになっています。
韓国人はこういうのには慣れっこでありまして、キロポストなんかは完全無視。
高速道路名を言うとき、概ね2001年以前の名称を使うことが多いです。

ヘビーユーザー御用達 ソウル南部ターミナル

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ソウル南部ターミナル
こじんまりとしたローカルバス専門といった感じのバスターミナルである。市外バスばかりでなく、少ないながらも、瑞草区住民をターゲットにしたソウル側がローカル線という風情の高速バスの発着もあるにはあるらしい。

 

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ローカルバス(高速・市外)専門といった感じのバスターミナル

高速バスターミナル(ソウル江南ターミナル)からは近い

ソウルにあるバスターミナルの中でも小規模なバスターミナルで、高速バスターミナル(ソウル江南ターミナル)から地下鉄3号線で可楽洞の方に行くとあります。
ほとんどが市外バスの発着となっています。

主に首都圏近郊路線や、ソウル発着のローカル線が発着しています。

 

この中途半端な立地は、京釜高速道路の渋滞対策の産物

なぜこの位置に南部ターミナルがあるかというと、京釜高速道路がすぐ近くを走っており、ソウル江南ターミナル行きの高速バス・市外バスの降りる盤甫インターの一つ手前、瑞草インターを降りたところだからです。

早い話、韓国全土から集結する大量の高速バス、市外バス、そしてあまたの乗用車で大渋滞する盤甫インターを回避する目的で、ここに立地しているわけです。
もっとも近年、盤甫インターの渋滞が瑞草インターの先まで伸びることもめずらしくなくなったので、南部ターミナル発着だから時間に正確ということはなくなってきています。

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ソウルから辺境へ一直線という便が多い

現状では、ソウル江南ターミナル、東ソウルバスターミナルに発着できない弱小バス会社の路線が発着しているような感じで、釜山近郊のド田舎の温泉旅館街を出発した1日1便のオンボロ市外バスが、はるばるソウルまでやってくるというような便も少なからずあります。

韓国の辺境へ旅するような場合は、南部ターミナルにお世話になります。

ソウル江南ターミナル、東ソウルバスターミナル発着だと、全席自由席のオンボロ市外バスに当たることはまずないのですが、南部ターミナル発着だと、かなり高い確率でオンボロ市外バスに当たります。

バスの乗客は、まずもって到着地の人ばかりで、バスの中は、やれやれ帰ってきたというほんわかした雰囲気に染まっていて、釜山近郊発着なら釜山語一色。扶余発着なら、忠清南道の方言一色といった感じです。

バスの中は、到着地の空気になっていて、全然ソウルじゃない。
運転手も、勝手知ったる乗客ばかりなので、横柄な態度の運転手が多めです。

 

ソウル在住の人でも使ったことがない人も多い

南部ターミナルは、ソウル市民でも使ったことがないという人が多数派。
ヘビーユーザー御用達のような雰囲気です。

そもそも、南部ターミナルに行って、乗りたいバスを探すという乗り方をする人はまれ。

事前にネットでバスの発着地を調べたら、たまたま南部ターミナル発着だったので南部ターミナルに来たとか、乗るバスが南部ターミナル発着であるのを最初から知っていたので南部ターミナルに来たという人がほとんど。

 

高速バスターミナル(ソウル江南ターミナル)のショッピングセンターで発車時間近くまで時間を潰す人も多い

発車時間ギリギリに南部ターミナルに直行する猛者も多いのですが、それでは不安というなら、発着時間近くまで高速バスターミナル(ソウル江南ターミナル)のショッピングセンターで時間を潰して、地下鉄3号線で南部ターミナルにやってくるというのが定番ルートかな?

そういう意味では、高速バスターミナル(ソウル江南ターミナル)のサテライトのようなバスターミナルなのであります。

食材を犠牲に、命を危険に晒す厄介事、懸案事項をまとめてうやむやに葬るための料理 韓定食

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圧巻 全羅南道韓定食(一人分)
こんなすごい料理をだされて、これで勘弁してよと、暗にほのめかされたら、よほどのことでもヨシにしてしまう誘惑にかられる。
事の善悪は、大部分、人の感情によって決定されてしまうものだから、人の感情に訴えれば、黒いものも白くなるという韓国伝統の処世術がある。
韓定食は、こういった処世術を背景に成立している。
スプーンの位置から数えて右に3皿目に、全羅南道でしかお目にかかれない箸休め、ホンオフェがある。これは、ガンギエイをアンモニア発酵させた珍品で、一種の胃薬。

もう満腹で食べられないという頃合いを見計らってつまむとあら不思議。
強烈なアンモニアの効果で、胃の中のものが腸に送られ、再び空腹になって続きが食べられるという代物。当然、空腹を満たす食べものではない。
韓国の韓定食にも地域性があって、ソウルの韓定食は皿数少な目でこの半分くらい。

 

食材を犠牲にして難問を解決する。これも朝鮮民族4000年の歴史の知恵

享楽は悪ではない。生き抜くための道具なのだという知恵


韓国人は、日本人以上に、富を享楽として楽しむ才能があり、儲けは享楽の道具として利用されてきました。
『武士は食わねど爪楊枝』『やせ我慢』『貯金が唯一の趣味』ということがことさらに美徳とされる日本人とはこの点が大きく異なります。
韓定食は、富を享楽として楽しむ一種のアートだと思います。

この、韓国料理のアートには、苛酷な使命が課せられていました。
中国からの甚だ厄介な使節を御馳走攻めにして、国家の命運に関る懸案事項をうやむやに葬り、とっとと返すという厄介払いの役割を担っていたという闇の歴史がありました。

 

一分の隙も見せず、客を御馳走攻めにして、とっとと返すという韓国料理の闇

現代の韓定食にも、客を御馳走攻めにして、懸案事項をうやむやに葬り、とっとと返すという韓国料理の陰の性格が見え隠れします。

当然のことながら、現代の韓定食にも、客に大量の料理皿を見せつける演出があり、文句のつけようもない山海の珍味が盛られ、どこから箸をつけてよいやら迷います。

韓定食の場合、基本的に、ご飯と汁物以外は、すべてつまみであり、主菜も副菜もへったくれもありません。

食べたければ食べる。
食べたくなければ食べない。
それでよいのです。

では、ご飯と汁物はきちんと食べる必要があるのかというと、これもそうでもない。
ご飯と汁物はきちんと完食すると、おかわりが運ばれてくる段取りになっています。

一分の隙も見せず、客を御馳走攻めにして、とっとと返すという韓国料理の闇は、ここに極まります。

 

食材を犠牲にして延命を図る。違うところは、食べるのか、捨てるのかという差異だけ

これでは食材の無駄じゃないかという批判は当然でてくると思われます。
確かに、韓定食は、ここで出される食材はすべて無駄になることが前提。
これら料理はすべて捨てることが前提になっています。

ただし、現代でも、ビジネスの現場で、厄介事、懸案事項は山のようにあります。
多くの人の生活や命を危険に晒すような交渉事も少なからずあります。
このような厄介事を食材を犠牲にすることで円滑に乗り切り、延命を図る、韓定食は一つの処世術なのです。
現代社会でも、実際こういう需要は根強く存在するがゆえに、韓定食は消滅しないのです。

 

本当に食材を無駄にするのかというと、実はそうではないところが韓国流

ちなみに、中国からの甚だ厄介な使節を御馳走攻めにして、役割を果たした料理はどうなったかというと、建前上廃棄されましたが、実際には庶民に下賜されました。

現在も、客が箸をつけなかった料理は、廃棄せず、客の要望があれば、パックに詰めて持って帰ってもらい、そうでなければ、店の従業員が持って帰ってしまうということがよくあります。
そもそも、韓国料理は、余り物を持って帰りやすいように工夫されており、漬物、煮物、佃煮、ゴマ油和え、コチュジャン和えの皿が多数を占めるというのもそのためです。

日本では、食べなかった料理も客の所有物で、食べないということは、廃棄を命令されたという解釈なので、店の従業員が持って帰ってしまうと窃盗の現行犯で一発懲戒免職ものです。
ということは、日本の料理は、無駄の発生しないように、ギリギリの量を提供するようになっていくわけです。

一方、韓国では、食べすに、持ち帰りもしなかった料理は、客が所有権を放棄したと考えるので、捨てようが、持って帰ろうが店の自由という考え方になります。
その分、余ることを恐れずに、客に料理を提供するという韓国料理独特のスタイルが成立するわけです。