大韓民国観察記

韓国のどうでもいい重箱の隅をつつくブログ。

景福宮の秘密:景福宮は、実は斜めに建設されている


景福宮の秘密。細かく挙げればきりがないが、一言で言うと、景福宮後方の北岳山のさらに後方にある北漢山の最高峰、白雲台を基準に一直線に建物が並んでいるということである。朝鮮総督府庁舎建設時、このことに大日本帝国陸軍が気付かなかったのは、景福宮の位置からは、北漢山の白雲台が見えなかったからである。
ちなみに、朝鮮総督府庁舎が完成して、ドームから眺めれば、北岳山の後方に隠れていた北漢山の白雲台が見えるようになったのであるが、その時、大日本帝国陸軍は、景福宮の基点が北漢山の白雲台であることに気付いたのである。しかし、時すでに遅し。

 

景福宮の設計図。
景福宮は、風水でがんじがらめの呪術的仕掛け満載の極めて厄介な史跡である。こういう厄介な場所は、伊勢神宮のように基本的に放置して、極力近寄らないようにすべきであろう。しかし、大日本帝国陸軍を筆頭に、大韓民国初代大統領李承晩もそうであるが、この史跡に下手に手を出して痛い目をみる人々が絶えなかった。

景福宮周辺にある最も高い山である北漢山白雲台と光化門を結ぶ軸を基線とし、基線が強い気脈である『艮(山)』『坤(地)』と一致する地点で、かつ、北岳山に隠れて北漢山白雲台が見えない地に景福宮が建設された。

首都、漢陽は、景福宮の基線とは無関係な、北岳山を基点とする災難の軸『坎(水)』『離(火)』を基線として造営されているが、北岳山は火山であり、水の卦と対立し、漢江は火の卦と対立するため、災害の軸は無効化されるようになっている。
このようなややこしい設計となっているのは、高句麗の伝統的な宗教観に則った解釈によると、悪鬼・悪霊を迷わせるためである。
仮に悪鬼・悪霊が、漢陽に攻め込んできたとしても、必ず災難の軸に沿って襲ってくるはずで、漢陽からは北岳山に隠れて北漢山白雲台が見えないため、悪鬼・悪霊が惑わされることになる。

中国からの特使が、景福宮を訪れるとき、あえて西方からの山越えルートを使ったのは、『兌(友好を意味する「沢」)』の卦の方角から近づくよう配慮したからであり、信心深い高句麗の民に悪鬼・悪霊の化身と認定されないための策であった。

日本軍が、漢城に攻め込んで来たとき、南方から災難の軸に沿って侵攻してしまったのは非常にまずかった。風水にこだわる高句麗人の末裔である当時の朝鮮人民に、自らを悪鬼・悪霊の化身と名乗るに等しかったからである。

そして、朝鮮総督府建設をめぐって、光化門周辺で混乱したのも非常にまずかった。
悪鬼・悪霊の化身だから迷ったのだと朝鮮人民に思われることになったからである。

 

景福宮の中心軸が示す『艮(山)』『坤(地)』の良い気脈の軸と、景福宮の西端の道が示す『坎(水)』『離(火)』の災難の軸の交点は、光化門外に設定され、この交点に徳寿宮が位置していた。景福宮にはこの交点がないため、悪鬼・悪霊の化身が景福宮を一見しただけでは、この仕掛けがわからないという設計であった。

つまり、景福宮は、悪鬼・悪霊の化身を惑わせ、光化門外に追い出すことを意図して建設されているのである。

朝鮮総督府は、景福宮の西北、乾(天)の位置に建設するか、徳寿宮の位置に建設するべきであったのである。たまたまの偶然であるが、京城府庁舎、現在のソウル市庁本館は、景福宮の良い気脈の軸と災難の軸の交点にあり、実に納まりのよい場所にある。ソウル市庁本館が建設から100年経っても現役で使用されているのは、風水学によれば、吉相の地にある結果で、決して偶然ではないということになる。

 

最近の韓国人も、景福宮は、斜めに建設されていることを、意外に知らないので、垂直な景福宮の地図が結構普通にある。

 

景福宮に建設された朝鮮総督府は、北岳山を基点とする災難の軸『坎(水)』『離(火)』に沿って建設したのだが、この建物ができたことで、『艮(山)』『坤(地)』の良い気脈の軸と、『坎(水)』『離(火)』の災難の軸の交点となってしまった。そこに、盛大に軸のズレた手抜き工事てんこもりの欠陥建築物を建てたため、風水上、悪鬼・悪霊の集まる場所となった。

こんなところに、こんなふうに莫大な予算を投下して、こんな欠陥建築物を建設してしまったというのは、最悪という表現以外思いつかない。風水を篤く信じる朝鮮王朝時代の朝鮮人民に対し、朝鮮総督府が悪鬼・悪霊の最前線陣地であると宣伝しているのに等しかったからである。

 

景福宮は、悪鬼、悪霊の化身と初代朝鮮王太祖(李成桂)が恐れた実の息子、李芳遠(太宗)を失脚させ排除するために建設された、呪術的仕掛けが細部にわたって施された壮大な風水上の仕掛けなのである。

引っかかったのは、大日本帝国陸軍、そして、李承晩

この壮大な仕掛けを知らなかったがために、うかつに引っかかり、自ら悪鬼、悪霊の化身であることを証明してみせてしまったのが大日本帝国陸軍なのでした。

引っかかったのは、韓国人も同じですが、大韓民国初代大統領李承晩の場合、知識が中途半端だったがゆえに、知ってて引っかかるという醜態を演じています。

青瓦台(大統領府)も、なかなか強烈な凶相の地にあるのですが、これは、李承晩大統領が大統領府を決める時、景福宮の呪術的仕掛けの知識が中途半端で、凶相の地を吉相の地と誤認したことによるようです。

 

建設した李成桂(太祖)鄭道伝が知っていたかは謎だが、北岳山は景福宮の軍事上の弱点

歴代の韓国大統領が、国外追放、暗殺、逮捕、罷免、自殺、刑事訴追・・・という惨憺たる結末になっているのは、景福宮の呪いだというまことしやかな噂は、朴正煕大統領が言い出したようなのですけれど(私の墓に唾を吐け・朴正煕伝・趙 甲濟)青瓦台凶相説には、もっと客観的な意味合いがあるそうです。

というのも、1968年、風水上では災難の軸上にある北岳山を越えて奇襲してきた北朝鮮軍に気付かず、武力侵攻を受けています。
時の大統領警護室長だった車智澈が1000発の照明弾を打ち上げ、ソウル中を真昼のようにする中、激しい銃撃戦となって、北朝鮮軍を全滅(1名逮捕、他射殺)させています。
これ以降、青瓦台が大統領府であった時代、青瓦台に接する北岳山は全面立ち入り禁止になっていました。
北岳山は一見、軍事上の要害にみえて、景福宮の軍事上の弱点であるがゆえに、北岳山に接する青瓦台は、軍事的に非常に脆弱なのでした。

ちなみに、時の大統領警護室長だった車智澈は、韓国と日本の国交回復の立役者でもあります。
経済大国である日本との国交回復は、韓国の経済発展には絶対必要なのだから絶対的な正義であり、悪であるはずがないと、国交回復に猛反発する国会に対しては実力行使(暴力)で掌握し、国交回復を議決したという経緯があります。
万事、武力、暴力で突破する主義の車智澈は、朴正煕政権の汚れ役を一手に引き受け、重用されたのですが、1979年10月26日、朴正煕暗殺事件で宴席の場で金載圭に射殺され、家族はアメリカに亡命しています。

 

この位置からだと、景福宮の設計がよくわかる。背後の最も高い山、北漢山白雲台を向いていることがわかる。
景福宮北漢山白雲台の間の距離は、直線距離で7Kmほど離れているが、地形の関係で直行できないので、片道だけで、1日を要する。
ソウルの街は、北岳山に向かって建設されているので、ソウルの街に対して斜めを向いているのである。
朝鮮総督府を建設した時代は、ライト兄弟が飛行機を発明する前。高層建築も周囲に全くなかったから、大日本帝国陸軍は、このことに気付かなかった。

 

北漢山白雲台。大日本帝国陸軍は、朝鮮総督府庁舎建設後、漢城の基点が、漢城からはるか遠くの北漢山白雲台にあることに気づき、ここに天測点の位置を示す鉄杭を設置した。北漢山白雲台は、もともと、登頂困難なツルツルの1枚岩の岩峰だったので、ヒマラヤ登山もかくやといった規模の鉄製のボルトや鎖などを多数設置し、岩を削って足場を作って登攀した。それほど、朝鮮総督府庁舎がお行儀悪く歪んで建ってしまったことは、大日本帝国陸軍のメンツに関わる一大事だったのである。これを見ていた朝鮮人が、日本人が朝鮮の首都に呪いをもたらす呪符として、北漢山白雲台に鉄杭を打ったと噂しあった。これが、今日有名な『呪いの鉄杭(쇠말뚝)』である。現在は、『呪いの鉄杭(쇠말뚝)』は抜かれ、代わりに、韓国の国旗が設置されている。

 

白雲台までの登山道は、一般に開放され、現存する。

 

『呪いの鉄杭(쇠말뚝)』。日本が設置したもの。日本は測量地点の不変性を重視して石製、コンクリート製、金属製の測量杭を岩など動かないものに設置することが多いが、韓国では、金属製の測量杭に対する忌避感が非常に強い。測量杭は、目印になる山の稜線に設置されることが多いのだが、この鉄杭が気の流れを断つのだという。そのため、測量杭は、基本、樹脂製、または木製で、土に打ち込むことが多く、道路に打ち付ける場合は、気の流れに対する影響の少ない小さな金属製の鋲を使う。

 

韓国で普及している樹脂製の境界杭。日本で一般的な石製、コンクリート製、金属製の境界杭は、トラブルのもととなるので、使われない。

 

韓国では非常に多い木の測量杭。同じ形で樹脂製のものもある。土地の境界杭に使われていることが多い。引っ張ればすぽっと簡単に抜けるが、抜いたり折ったりしたら、ムチャクチャ怒られる。というのも、1筆分設置するのに測量費込みで、50万円ぐらいかかるためである。

韓国で、金属製の測量用標識を使うことがないわけではないが、使ってもこんな小さなものに限られる。これは、測量鋲。道路の一部が私有地の場合、境界線を示すために使われる。