
ソウル地下鉄5号線は全区間地下なので、車両の写真を撮ることが非常に難しい。
韓国では交流60Hz25000V電化区間が多いことから、絶縁離隔を大きくとる必要がある路線が多く、地下鉄もトンネル断面を大きくとる必要がある。
地下鉄2号線も地下鉄5号線と同じ全線直流電化ながら、開業後しばらくは1号線と車両運用の共通化を考えており、1号線用の交直車の1000系電車を走らせた経緯があったことから、トンネル断面が大きくなっている。
地下鉄5号線は当初から全線直流1500V電化で計画され、絶縁離隔を大きくとる必要がなく、屋根上に高圧機器を架装しなくてもよいため、トンネル断面を小さく施工し、トンネル建設費用を節約している。そのため、屋根上に高圧機器を架装している交直車の走行はできない
ソウル市地下鉄の第1期整備線にあった地下鉄5号線
ソウル市の財政難により白紙撤回された地下鉄5号線
ソウル市地下鉄の第1期整備線には、地下鉄1号線〜5号線までの整備計画がありました。5号線は、第1期整備線の中で
新村ー梨花女子大ー西大門ー鐘閣ー鐘路3街-鐘路5街-東大門-東大門区庁
と計画されており、地下鉄1号線〜4号線と同時に施行する計画でした。

1970年頃の地下鉄整備計画。5号線は1号線のバイパス路線として計画されていることがわかる。鐘路地下に最初から複々線の地下鉄を建設するという非常に野心的な計画であった

1号線は、確実性を期して、露天掘り開削工法で工事が行われた。1号線バイパスの5号線も同様の工法で進められた。当然、周辺住民から、騒音・環境汚染に関する苦情が殺到してもよさそうなものであるが、この時代は最も人権蹂躙のひどかったと未だにいわれる朴正煕軍事独裁政権の真っ只中であり、苦情を言おうものならKCIAに粛正されかねなかった。北朝鮮の金日成は私腹を肥やすために反対者を粛正したが、朴正煕は公共工事を爆速で進めるために反対者を粛正したといわれる

左:鐘路工区。1号線と5号線を同時施工するため、道幅いっぱいに開削された。1号線は内側線、5号線は外側線とする方向別複々線とする計画であった。右:ソウル駅工区。1号線と3号線を同時施工するため、駅前広場いっぱいに開削された。3号線は経路変更に伴い、ソウル駅を経由しなくなったため、3号線「ソウル駅」駅は、4号線「ソウル駅」駅に変更された
また、地下鉄1号線整備中、日本の技術者がいるうちに、2号線〜5号線建設も同時に着手し、わからないことをできるだけ洗い出し、聞けることは聞けるうちに聞いておこうという勢いで工事を進めたわけです。
工事費用節約のため、露天掘り開削工法で工事した1号線は順調に進み、5号線工事も、鐘閣〜東大門までは、1号線トンネルと同時施工で建設され、複々線トンネルとなっていました。
しかし、住宅地直下を通過する3号線・4号線工事は難航し、工事は伸びに伸び、工事費用は爆発的に増大し、工事を主幹するソウル市の財政そのものが傾きはじめるという事態となり、地下鉄建設計画自体を大幅縮小する必要性に迫られることとなりました。
そこで、地下鉄1号線のバイパス的性格の強かった地下鉄5号線計画を白紙撤回することとなりました。
地下鉄5号線工区は、日本の技術者が関わっていた1号線トンネル横だった関係もあって、韓国人が呆れるほど保守的で手堅い工法を採用していたこともあり工事は順調に進んでおり、白紙撤回が決定した時点において、進捗率は50%以上となっていました。
たいへんもったいない決定だったと未だに言われるこの決定により、既に完成していた地下鉄5号線トンネルは、鐘路共同溝、地下鉄2号線トンネルに転用されることになりました。
忠正路・汝矣島を経由して永登浦に向かうはずだった2号線が、主要バス路線が集中する新村・弘大入口・合井・堂山経由で永登浦に向かうルートに変更となりました。
また、東大門区庁は、5号線トンネルを転用した2号線聖水支線でカバーすることとなりました。

5号線整備計画白紙撤回時に既に竣工していた5号線トンネル(太い紫色の線)。現在の5号線は、細い紫色の線で、住宅地の中をうねって東西に進んでいる。こうなった原因は、5号線整備計画を白紙撤回し、完成していた設備もすべて放棄したためである。再開発なんて死ぬほど難しい市街地において、もう一度用地交渉からやり直さなければならなくなった結果がこれである。昔、まっすぐ線路を引けたのは軍事独裁だったから、粛正をちらつかせて強引にできたが、民主化以降は用地交渉がものすごく難しくなった。現在の5号線の線路がまっすぐ引けなかったのは、用地交渉が非常に難航したからである。こんなことになるのだったら、放棄しなけりゃよかったというソウル市担当者の嘆きが聞こえてくるような図。実際、太い紫色の線上には、5号線計画白紙撤回の遺構として、幽霊トンネル、幽霊駅が多数残っている

現在の地下鉄5号線(紫色の線)は、地下鉄1号線のバイパスというより、地下鉄2号線のバイパスという性格が強くなっている。これは、地下鉄4号線が京畿道南部からソウルへ向かう第2ルートとして整備されるよう整備計画が変更された玉突きによるものである。
地下鉄5号線末端部は、ソウルの掃き溜めともいわれた巨大な売春地帯、東の千戸洞、西の永登浦の再開発の目玉でもあった。
5号線はさらに、千戸洞の東で二股に分かれている。馬川支線は、市内バスが集中するソウル地下鉄2号線、蚕室駅前の大渋滞を緩和するため、ソウルオリンピック選手村跡の高級住宅地、夢村土城(モンチョントソン)周辺住民を江北へ輸送するためのバイパス路線として建設された。それゆえ、支線なのに、乗降客数は非常に多い。
金浦空港を通っているが、停車駅数がとても多く、空港鉄道ができた今となっては、スピードも遅いので、空港鉄道を使ったほうがよい
ソウル市地下鉄の第2期整備計画スタート
終わらない地下鉄2号線・3号線・4号線整備工事
1970年代、地下鉄1号線〜4号線が相次いで開業することになりましたが、事故、経由地変更、仕様変更等々、様々な問題が多発し、工期の延長は毎年の恒例行事と化し、増え続ける人件費、燃料費、資材費の勢いはとどまることを知らず、1985年にもなって、ようやく地下鉄2号線が全線開業という体たらく。
地下鉄3号線・4号線に至っては、全線開業など夢のまた夢。
工事現場はサグラダファミリア状態(延々と工事だけが続く状態)であったことから、工事費用が爆増し、ソウル市の財政が傾き始めたことから、ソウル地下鉄は、4号線の開業をもって整備終了となりました。
大宇によって潰されたソウルの地下鉄民営化計画
ソウル市は、地下鉄の民営化を実施しようとも画策し、財閥に声をかけましたが、積極的だったのは大宇だけ。
前評判が極悪だった大宇だけは避けたかったので、他の財閥に平身低頭お願いしましたが、うちは大宇とは組みたくないと、あまりにつれないはなしで、結局大宇にお願いしたら、大惨事連発、事故の後片付けが終わらないうちに次々大事故を起こすので、地下鉄工事のほうは一向に進まない。
挙句の果てに、途中で工事を放り出すなどあまりにもひどい結果となりました。
結局ソウル市が監督するのでなければまともに地下鉄整備ができない事態となり、地下鉄民営化計画は失敗に終わりました。
漢江の奇跡といわれる高度経済成長がソウルの緊縮財政策を破綻させる
ところで、この時期、韓国は漢江の奇跡といわれる高度経済成長期。
地下鉄利用客は猛烈な勢いで爆増し、あふれた旅客がバス移動や自動車移動を始めたため、首都圏の道路交通は、途方もない交通渋滞に苦しむようになりました。
1980年代に入ってもソウル市の逼迫した財政状況は相変わらずで、地下鉄の追加建設などやっている場合ではなかったのですが、爆増する交通量に耐えられず、資金調達をどうするかは後回しにして、とりあえず、大規模な地下鉄増設計画をスタートすることになりました。
いつまでたっても終わらない地下鉄2号線・3号線・4号線工事
しかし、ソウルのサグラダファミリア、地下鉄2号線・3号線・4号線が一向に工事が終わらないので、1989年の地下鉄第1期計画代案1が策定されるまで、具体的な計画立案にまでは至らなかったのでありました。
ようやく地下鉄2号線が全線開業にこぎつけて間もなくの1989年、地下鉄第1期計画代案1(第2期計画第1案:ソウル市が財政上の理由から地下鉄第2期計画発足をなかなか認めなかったのでこういう名前になった)そのなかで、地下鉄5号線は、景福宮近辺の、昔、政府庁舎があったあたりから国会議事堂を通り、金浦国際空港を結ぶ政治的色彩の強い路線として計画が復活することになりました。

1989年、地下鉄路線網(代案1)
ソウル市地下鉄の第1期整備計画の修正案として第2期計画が策定される
代案1では、1980年代に首都圏郊外でKorail主体で整備が進んでいた首都圏電鉄をソウル市内に延長し、既存の地下鉄1号線〜4号線のターミナル駅に接続するもので、日本の東京の鉄道路線網のような形の計画案でした。
この案のよい点は、建設費用の抑制を図ることができる点でした。
しかし、東京でも山手線の混雑集中が問題となっていますが、ソウル地下鉄1号線〜4号線の利用客が飽和状態となっており、バイパス線の建設が望まれる状況下、さらに地下鉄1号線〜4号線の混雑に拍車をかける代案1の計画では首都圏交通の破綻が予想されました。
もともと、ソウル市は、直流1500V電化路線建設を意図しており、交流60Hz25000Vで整備を進めているKorailとの直通運転を進める場合、Korailとの協議が難航することが予想され、ソウル市はあまりやりたくなかったという事情がありました。
そこで、地下鉄1号線〜4号線のバイパス線の建設に重点を置き、地下鉄1号線〜4号線の混雑緩和を図り、同時に高収益路線化を図っていく代案2が策定され、代案2が採択されました。
ソウル市地下鉄第1期整備計画の修正2案が現行の地下鉄5号線整備計画になる
代案2の地下鉄5号線は、地下鉄2号線のバイパスという性格が強くなっています。
また、地下鉄5号線末端部は、ソウルの掃き溜めともいわれた巨大な売春地帯、東の千戸洞、西の永登浦の再開発の目玉でもありました。
代案2の5号線は、さらに、千戸洞の東で二股に分かれています。
馬川支線は、市内バスが集中するソウル地下鉄2号線、蚕室駅前の大渋滞を緩和するため、ソウルオリンピック選手村跡の高級住宅地、夢村土城(モンチョントソン)周辺住民を江北へ輸送するためのバイパス路線として計画されました。
2号線の新亭支線は、もともとは1984年頃に策定された5号線整備計画にあった5号線計画と車両基地計画で、5号線の線形がカチ山駅の南で自然に2号線の新亭支線に繋がっているのはこの影響です。
1989年の計画では、5号線の車両基地は、金浦空港そばの傍花車両事務所が新設されることになり、江西区新亭方面の5号線整備計画は、2号線の新亭支線と2号線の新亭車両基地になっています。
5号線は金浦空港を通っていますが、これは、代案1の空港鉄道整備計画が残されたものです。
金浦空港を管理する韓国空港公社に無断でソウル市が計画を決定したため、韓国空港公社は工事直前に金浦空港駅設置費用の負担をソウル市から突然請求されるという経過となり、揉めに揉めました。
韓国空港公社は金浦空港駅設置自体は賛成の立場だったので、用地提供には積極的に応じていますが、費用負担については全面的に拒否しています。
普段は首都圏交通網整備の調整役を買って出ている韓国政府でしたが、地下鉄3号線・4号線整備の件で(大知洞延長問題等々)ソウル市から煮え湯を飲まされていたこともあって、この件については、完全ノータッチの立場を貫いた関係で、結局、金浦空港駅設置費用は全額ソウル市が負担しています。
ちなみに、代案2では、既存の地下鉄1号線〜4号線との接続はあまり考慮されず、1号線〜4号線駅のターミナル駅化もしない計画となった関係で、ソウル地下鉄には、日本の地下鉄のようなターミナル駅がなく、地下鉄1号線〜4号線と、それ以外の地下鉄との乗り換えが不便なケースが多などの問題が発生することになりました。

1989年、地下鉄路線網(代案2)

1989年の一般向けプレス資料。この時点になってようやく、ソウル市は「第2期整備計画」を認めた。実際に整備された地下鉄路線とほぼ同じ。すぐにKorailと揉めることになる首都圏電鉄果川線、首都圏電鉄一山線、首都圏電鉄盆唐線は、ソウル市がソウル地下鉄として整備することになっている
ソウル地下鉄5号線に期待された役割
地下鉄2号線の混雑緩和
地下鉄1号線は鐘路を東西に結んでいますが、ソウル駅以南の首都圏電鉄1号線区間は、ソウルの南北交通を担っています。
これは、地下鉄3号線、4号線も同じです。
ところが東西方向はというと、地下鉄2号線1本しかありません。
首都圏電鉄1号線、地下鉄3号線、4号線相互間の乗り継ぎ客は地下鉄2号線を介して乗り継ぐ必要があり、3路線の乗客が2号線1本に集中する構造になっています。
それゆえ、2号線の混雑は尋常ならざるものとなり、『家畜輸送列車のお手本』と利用者から揶揄される有様。
5号線は、ソウルの東西交通の幹線としての輸送を担当し、特に2号線の江北部分のバイパス路線としての役割が期待されました。
蚕室駅前の慢性的な交通麻痺の解消
ソウルオリンピック選手村建設が発端となり、江東区と松坡区に膨大なマンモス高層団地が建設されたのですが、この地域の繁華街は千戸洞の売春街、住民の交通手段はバスのみという惨状。
団地の住環境は、今までの韓国と比べると別世界ともいうべき素晴らしさだったんですが、団地の境界線を1歩出ると、広がる場末感は半端ではなかったのでした。
売春街の広がる千戸洞を避けて、地下鉄2号線の駅のある蚕室で地下鉄に乗り換えるようになっていくのですが、100万人近くの人が朝晩通勤のため蚕室駅に集中するため、蚕室駅のキャパシティーオーバーは慢性化し、積み残し、改札止めが頻発していました。
ここに目をつけたロッテグループが、安心して夜中でも出歩ける遊園地併設のショッピングセンターであるロッテワールドを蚕室駅前に建設することになるのですが、そうすると日中の閑散時間帯もショッピング客で蚕室駅周辺は混雑するようになり、深刻な社会問題化することになりました。
暫定的な対策として、蚕室駅の前後の新川駅、城内駅にバスターミナルを分散化することで混雑対策を図ったわけですが、焼け石に水。
そこで、江東区と松坡区を縦断する地下鉄路線(馬川支線)を建設し、これを5号線に繋げることで、地下鉄2号線及び蚕室駅周辺の混雑緩和を進めることが期待されました。


蚕室駅前の慢性的な交通麻痺、蚕室駅のキャパシティーオーバーに目をつけ、商機を見出したロッテグループが、竣工当時、韓国国内でも非常に珍しかった、安心して夜中でも出歩ける遊園地併設のショッピングセンターとして整備されたロッテワールド。現在もロッテワールド前は、江東区、松坡区、江南区、果川市方面行きの市内バスが集中するターミナルになっており、蚕室駅前の慢性的な交通麻痺は相変わらずである。地下鉄2号線と8号線がロッテワールドを経由し、5号線はロッテワールドを経由しないが、5号線沿線からも比較的短時間で行くことができる
ソウル市の江東区、江西区問題の解消
ソウル市の江東区、江西区は、ソウル市の中にあって、超高級住宅地として人口集積がかなり進んでいるにも関わらず、広大な鉄道空白地帯であり、町の中心部に大規模な売春地帯(千戸洞テキサス、永登浦置屋)が存在し、治安悪化が著しいという悩ましい問題がありました。
売春地帯としては、ミアリテキサス・清凉里588番地の方が規模は大きかったのですが、ミアリテキサス・清凉里588番地の場合は、周辺地域もろとも危険地帯と言われ、警戒対象となっていたのに対し、江東区、江西区は、高級マンション、学校、デパート、駅、バスターミナル、売春地帯が混沌と混在しており、千戸洞テキサス、永登浦置屋の問題はより深刻でした。
江東区、江西区が吹き溜まりになっていた最大の要因は、交通の不便さを原因とする地価低迷にあり、この解消が喫緊の課題であったので、地下鉄5号線整備が急がれました。

千戸洞テキサス。現在は取り壊され、複合商業施設になっている。この地域の場合、風俗街のなかに一般旅館が混在するという軍事政権時代の韓国の繁華街の治安の悪さといかがわしさが残存していた。売春の非合法化後も頑なに営業を続ける置屋が多く、取り締まりが厳しかったミアリテキサスや清凉里588番地から流れてくる人も多かったようで、一時期、ミアリテキサスや清凉里588番地を凌ぐ賑わいをみせたこともあった。しかし、地下鉄5号線と8号線が交わる主要駅前で、風光明媚な公園の隣接地という風俗街としてはありえない好立地だったことが逆に災いし、地価が爆騰し、固定資産税が爆上がりした結果、まっとうな高層建築を建設して容積率を上げない限り採算が採れないようになってしまい、2020年頃のコロナパンデミックをきっかけに置屋が一斉に廃業し、消滅した。これを蚕室を一大拠点とするロッテグループが一網打尽に買収し、六本木ヒルズのようなロッテ系列の複合商業施設を建設している

永登浦置屋(青少年通行禁止区域の標識がある)。かつてあったソウルの風俗街の中では、圧倒的に小規模であり、写真に写っている区画がすべてである。新世界ショッピングセンターの裏側で、京釜線の線路に挟まれた周囲と隔絶された場所のため、さほど周辺地域に悪影響を及ぼしておらず、再開発が困難なほど小規模であるため、現在も営業しているというのが永登浦置屋の特徴である。永登浦駅前に立地しており、置屋の裏側は、新世界デパートとマリオットホテルの従業員入口、資材搬入口となっており、置屋街の端には新世界デパートの一般駐車場出入り口がある。永登浦駅は古くはソウルの南の玄関口であったのだが、軟弱地盤のため、日本がかつて建設した京釜本線永登浦駅構内の基礎杭があまりに深く数が多く、頑丈にできていたため、地下鉄永登浦駅を設置しようとしたものの、2号線、5号線ともに設置できず、極力永登浦駅に寄せる形で2号線新道林駅、5号線新吉駅を設置したところ新道林駅、新吉駅双方への通路とちょうど反対方向に位置する場所に人の行き来が少ない地域ができてしまって、ここに永登浦置屋が残っている
地下鉄2号線の汝矣島不経由問題の解消
汝矣島はもともと農業には不向きな漢江の砂島だった場所です。
龍山の南側にあって、漢城の城内から距離がそこそこあり、利用価値のない田舎の荒地といった側面があり、積極的に利用されてこなかった場所です。
ただ、島地形の特性上、家畜が逃げる心配がなく、放牧するのに都合が良かったので、日本統治時代、龍山に駐屯した大日本帝国陸軍が、駐屯地に近かったこともあり、軍馬の放牧地として積極的に利用しました。
1903年の飛行機発明以降、大日本帝国陸軍は積極的に飛行機導入を進めており、朝鮮においても1916年には大日本帝国陸軍が飛行機を飛ばしており、当時、広大な草原を飛行機の発着場としていた関係上、放牧地の汝矣島は飛行機発着場として最適であり、1929年4月には汝矣島飛行場が本格的に正式飛行場に指定されることとなりました。

大日本帝国陸軍の汝矣島飛行場。放牧地利用がメインで、放牧地の邪魔にならないように汝矣島の片隅で飛行場を運用していた。誘導路のみ地面が露出している
第二次世界大戦以降、日本に代わって龍山に駐屯した米軍が汝矣島を飛行場として使用することになり、韓国空軍飛行場、旅客用飛行場としても使用され、金浦空港開設による業務移転の後も、1971年まで韓国空軍飛行場として使用されていました。
このことが地下鉄2号線建設計画に影響を及ぼしており、汝矣島再開発は既定路線ではあったものの、飛行場の撤去工事まで考えると、再開発計画の大幅な遅れが予想されたため、地下鉄2号線は旅客需要の見込みがはるかに高い梨花女子大、新村、弘大入口、合井を経由するよう経路変更が行われました。

1960年代後半、末期の汝矣島飛行場。コンクリート舗装されている。冬の写真であるが、漢江が全面結氷している。現在は、冬の朝晩の気温が-20℃になるといっても、地球温暖化の影響からか、漢江が全面結氷することはほとんどなく、たまに全面結氷すると全国(韓国)ニュースになるくらいである
1980年代に入ってようやく汝矣島開発が軌道にのりはじめたため、地下鉄建設を行う方向で検討が始まり、ソウル市地下鉄第1期整備計画の修正2案において、地下鉄5号線が汝矣島を経由することに決まりました。
漢江を横断する水底トンネルの建設問題
なぜか漢江を橋で横断することを気にするソウル市民
韓国ではよくあることですが、1980年代後半のことですが、『ソウルの地下鉄は、地下鉄とは言いながら地上を走っている』という怪文書が新聞に投稿されました。
大抵、この手の怪文書は、世論形成のため、韓国政府が自作自演で新聞社に偽名で投稿されることが多いのですが、韓国政府はよほど漢江を横断する水底トンネルを建設したかったのでしょう。
漢江を横断している地下鉄2〜4号線は、漢江手前で地上に出て、橋を渡って渡河しています。
地下鉄1号線は、漢江を横断していませんが、電車の運行系統上では、京釜線に乗り入れ、橋を渡って渡河しています。
要するに、ソウルのすべての交通機関は橋を渡って漢江を横断しているわけです。
つまり、橋梁を爆破すれば、ソウルの南北交通は容易に寸断されうるということなのでした。

地下鉄5号線の駅といっても、ごく普通にある地下鉄の駅に過ぎないから、ぱっと見、印象は薄い
朝鮮戦争中『漢江橋梁爆破』ということは実際起こりました。
しかし、北朝鮮軍が破壊工作して爆破したのではなく、韓国軍が爆破しました。
漢江人道橋爆破事件がそれです。
北朝鮮軍進軍の知らせを聞いた大統領の李承晩が、水原に逃走した際、北朝鮮軍進軍の情報を隠蔽し、自分が真っ先に漢江を渡り終えると、北朝鮮軍の進軍を阻むため、漢江人道橋爆破を命令しました。
李承晩大統領の水原遷都の発表を聞いたソウル市民は、李承晩大統領に騙された、自分たちは北朝鮮軍をおびき寄せるエサにされたと、大パニックとなり、唯一の避難路であった漢江人道橋に殺到し、漢江人道橋は4000人を超える避難民でごったがえしていました。
これを、避難民もろとも爆破したため、死傷者は1000人を超えたともいわれます。
韓国軍の本隊は、板門店付近で北朝鮮軍と交戦中でしたが、漢江人道橋爆破の一報で、李承晩大統領に騙された、自分たちは北朝鮮軍をおびき寄せる囮にされたと、大パニックとなり、たちまち瓦解してしまいました。
軍事常識のある人間だったら、絶対やらない、この不祥事が原因で、韓国軍は壊滅し、韓国の敗北が決定的となってしまいました。
さらに悪いことに、京釜線漢江鉄橋も同時に爆破しましたが、こちらは装薬量の計算違いから、爆破に失敗し、北朝鮮軍は京釜線漢江鉄橋を使って韓国南部に進軍することとなり、漢江人道橋爆破事件の犠牲者は、まったくの無駄死にになってしまったのでした。

爆破された漢江人道橋と、爆破中の京釜線漢江鉄橋。京釜線漢江鉄橋は、爆破に失敗したため、落橋しなかった。そこで、北朝鮮軍は、落橋しなかった京釜線漢江鉄橋を板などを敷きつめて道路橋に改造し、漢江を越えて、南進した。

韓国の歴史書の挿絵では、わりとざっくりした描写が多く、とりあえず木造っぽい何かが爆破されたことは確かなのだが、何をどうやって爆破したのかという描写があるものは少ない。だが、実際に爆破された漢江人道橋は、市電も走るれっきとした近代的な鋼製トラス橋であったため、破片が空高く舞い上がったわけではなく、単純に水面めがけて橋桁が落下しただけである。ただし、20mぐらい落下したため、橋上にいたソウル市民や韓国軍兵士はことごとく墜落死・溺死することになったのが実態である。現代の韓国人の知識の前提として、李承晩時代は、中世もかくやとばかりの劣悪な生活水準であったゆえ、さらに前の日本占領期はさぞかし悲惨でみじめな状況であったであろうという共通認識があるため、おそらく、このような描写が社会的に受け入れられたのであろう。

漢江人道橋は、爆破後、8年間にわたって再建されることはなく、仮設の有料橋を歩いて渡らなければならなかった。李承晩政権時代の韓国は、鋼製トラス橋を架橋できるほどの経済力はなかった。李承晩の失政により、韓国国民の生活は、中世の生活水準にまで逆戻りしてしまったためである

手前の4本束になったトラス橋が京釜線漢江鉄橋。中洲を経由して2本橋がかかっているのが漢江大橋(旧漢江人道橋)。北朝鮮のダム無断放流攻撃対策のため河川拡幅工事が済んだ現在は、中洲を経由して2本橋がかかっている形だが、拡幅前は、中洲から左側の橋はなく、地続きだった。この場所に人道橋があったのは、漢江の川幅がもっとも狭い場所だったからである。京釜線漢江鉄橋は、急曲線を嫌う鉄道の特性上、人道橋と若干離れた位置にあったが、ここに架橋された理由は、人道橋と同じく、漢江の川幅がもっとも狭い場所だったからである。河川拡幅工事に伴い、延長された部分には上部トラスがない。1950年6月28日人道橋爆破。1958年人道橋再建。1982年、8車線の現在の橋に掛け替えられた。


漢江人道橋復旧開通式。写真中央の老人が李承晩大統領。この人は、8年前、自分が強硬爆破して、1000人近い犠牲者をだし、韓国軍壊滅の原因となった橋の復旧開通式を盛大に挙行するずうずうしさがあった。
米軍関係者が参加していることから、お金の出所はアメリカなのであろう。
この時のソウル市民及び韓国軍関係者の怒りと恨みは甚だしく、軍事政権の真っ最中に、地下鉄5号線の漢江横断トンネルを作る原因となった。
ちなみに、現在は漢江人道橋と呼ばれるこの橋だが、写真には漢江大橋と書かれている。漢江人道橋爆破事件は確かにあったのだが、爆破されたのは漢江大橋で、正式な橋の名前として漢江人道橋という橋は実際には存在しなかった可能性がある。この程度のデタラメは李承晩時代にはよくあって、李承晩時代相次いだ虐殺事件に比べれば、極めて些細な話であった。
というのも、李承晩は自らの逃走劇を正当化するため、逃げ遅れて90日間食うや食わずで北朝鮮占領を耐えた99%にも達するソウル市民に対し「政府と運命を共にし、南下した我々こそが愛国者で、陥落地区に残留したお前らは北朝鮮を迎合した不純分子だ」と言い放ち、「前列死刑、後列無期懲役」で知られるデタラメな大規模粛正を行い、死体の山を築いたのである
そりゃあ、ソウル市民が漢江人道橋爆破事件をしつこく恨まないはずはない
韓国人は、日本の植民地統治をあれだけ恨みに思う国民でありますから、非常識極まりない漢江人道橋爆破事件に至っては、恨み骨髄に達すの域にありました。
とはいえ、李承晩大統領(『あの馬鹿野郎』と年配のソウル市民は未だに言う)に言っても、逆に虐殺されるのがオチなので、韓国がソウルオリンピックを誘致できるまともな国家となるまで、皆、黙っていました。
1980年代後半というと、朝鮮戦争経験者が30歳代、40歳代の時代ですから、漢江人道橋爆破事件も、まだ記憶に新しい事件でありました。
それゆえ、河底トンネルで漢江を横断する地下鉄建設は、経営上いかに無謀であろうが、技術的にいかに無謀な挑戦であろうが、韓国政府は、けじめとしてどうしても建設しなければならないものだったのです。
第二次世界大戦中、日本軍は関門トンネル建設の予備試験として、韓国に海底トンネルを何か所か建設していました(有名なのは統営市の統営海底トンネル)。
韓国人はその工事にも動員されていましたから、さすがに海底トンネルは無理でも、河底トンネルぐらいできんでどうする?というのがこの時代の韓国人の平均的な認識でした。


5号線沿線には、韓国人でも知る人ぞ知る隠れた景勝地が多い。東端にある夢村土城。駅の名前は「オリンピック公園」。元オリンピック会場。丘から眺めるソウルの街並みは秀逸。特に夕方のフォトジェニックな風景がたまらない。基本的に観光地ではないので、周辺の高級住宅地の住民しかいない。日没とともに人がいなくなるので、注意。写真は、有名な『ひとりぼっちの木』2代目。ヒノキ。初代はイチョウで、すぐ近くにある。現在はかなりの大木になっており、『ひとりぼっちの木』というには大きすぎるのだが。
韓国政府は、けじめをつけたかったがお金がなかった
なるほどそういうことなら、韓国政府は、けじめとして、漢江横断水底トンネルは、どうしても建設しなければならないものでした。
それゆえ、地下鉄5号線は、経営的にいくら赤字になろうが、何としても建設しなければなりませんでした。
ただし、この時代、韓国は、急激な経済成長をしていたとはいえ、気違いじみた過剰投資が常態化していました。
後先考えず公共事業をやり散らかしても、翌年には支出額を超えた収入(税収)が入ってくるという状態でした。
ただし、年度内の会計は全然つじつまが合っていなくて、年度内の急ぎの支払いに対応するため、ソウル市は、あっちこっちの銀行から金を借りまくっては返している自転車操業の状態でした。
これではさすがに危なっかしくて、漢江横断水底トンネルはもちろんのこと、地下鉄5号線を建設するわけにはいきませんでした。

景福宮。景福宮は5号線の沿線にある。韓国人が普通、景福宮へ行く場合、地下鉄1号線か2号線を使って市庁駅で降りるのだけれども。5号線光化門駅からも行ける。

東大門市場。東大門市場は5号線の沿線にある。
ただし、東大門の下にある大きくて立派な地下鉄駅は地下鉄1号線の駅で、地下鉄5号線の駅は、地下鉄2号線、地下鉄4号線の駅とともに、DDP東大門デザインプラザ(旧:東大門野球場)の外れの方にある。
東大門市場は、夕方5時からはじまり、朝5時に終わる夜の市場である。料金の安い夕方遅い飛行機で到着しても、余裕で遊びに行ける観光地として、根強い人気がある。
ただし、深夜に東大門市場に集まるタクシーは高確率で雲助タクシーという噂があり(善良なタクシーは雲助タクシーに嫌がらせされるので東大門市場に近寄れない)、注意が必要。
円借款のプレゼンに通すため、計画は盛りに盛って、特徴が不明瞭に
そこで、日本の海外経済協力基金 (OECF) による円借款を利用することにしました。
日本人の間では税金ジャブジャブのバラマキと評判は悪いですが、このお金を取ってくる外国人から見ると、なかなか厳しい。
一種の競争的資金なので、日本政府が指定した採択条件(日本に利益をもたらす事業計画:通称毒饅頭)が含まれていないといけませんし、事業計画を日本でプレゼンして、高得点を獲得して事業を採択してもらってはじめて手にできるお金です。
しかも、事業実施後、世界一厳しく細かい・・・通称:地獄の沙汰と悪名高い会計検査を受けなければいけません。
日本の海外経済協力基金 (OECF) は毒饅頭ということはよく知られていて、諸外国では可能な限り避けて通りたいものなのですが、かといって、ドカッとまとまったホワイトなお金を貸してくれる国は他にないですからね。
いざとなったら切腹覚悟で取ってくる価値はある資金です。
もし、OECF並のお金をロシアとか中国とかから借りた日には、莫大な利息と、莫大な延滞金と、莫大な違約金がついてきて、強大な軍事力を背景に、国が滅びるまで督促される、ヤクザも真っ青の、それは、それは、おそロシアな話です。
昔、それで朝鮮王朝が瓦解したんですから。
また、これまでのソウル市内で完結する(はずの)地下鉄1〜4号線とは異なり、郊外鉄道としての性格をもったソウル特別市都市鉄道公社が運営することになりました。
これでもかというぐらいアピールポイントを盛りに盛った計画のせいで、特徴の不明瞭な路線となってしまいましたが、無事、海外経済協力基金 (OECF) に採択され、円借款を受けることができました。

汝矣島。ここも5号線沿線。米軍飛行場跡を開発した場所で、国会議事堂、KBS本社などがある。北端の63ビルは長らく韓国一高いビルとして韓国人に親しまれた。今となっては63ビル自体はさほど有名ではないのだが、工事開始から40年程経った現在でも竣工せず、世界最大の廃墟として知られる北朝鮮が建設した柳京ホテルは、実は63ビルに対抗して建設されたものである・・・ということで、63ビルは、北朝鮮の金正日を煽り、北朝鮮の経済破綻を決定づけた名建築として、世界史に名を残している。写真左端、細い川と高速道路(オリンピック大路)を挟んである低い建物は、日本の食通系youtubeでお馴染み、韓国の水産市場で有名な鷺梁津水産市場。ソウルのド真ん中にあるのだけれど、高速道路と京釜線に挟まれた不便な立地で、建物の老朽化もあいまって、場末感満載であった。2016年、新市場が旧市場の隣に建設され、移転。現在は、ショッピングモールのようになっている。


やっぱり、河底トンネルで、悪戦苦闘
そうして、建設された5号線ですが、肝心の河底トンネルで、当時の韓国の土木技術がまったく通用せず、悪戦苦闘することになります。
漢江周辺は軟弱地盤ゆえ、トンネル掘削が思うに任せず、やはり漢江は橋で渡るべきという撤退意見が続出したとのことです。
しかし、日本政府に撤退がバレたら、全額補助金返還の刑が待っていて、それをやったら韓国政府の財政が一瞬で破綻するので、『撤退はありえない』との軍事政権下の韓国政府の18番(おハコ)だった粛正をちらつかせた脅しの下、必死の思いで無理やりコンクリートを打設し、そもそも日本政府の地獄の会計検査も怖いので、24時間突貫工事の連続の末、期限内になんとか完成させました。
しかし、案の定、漢江からの漏水が激しく、対処療法的に設置したポンプを24時間フル稼働させないとトンネルが水没するという有様でした。
もともと水底トンネルというものは、ポンプの24時間フル稼働は必須だったのですが、その当時の韓国の認識では、上手に作れば、大規模な水抜きポンプは必要ないと考えていた節があります。
ちなみに、日本の水底トンネルの場合、W字の水抜き坑を別に掘り、少ないポンプ数で水が抜ける工夫がされているだけのことなのですが。
特に水抜きの工夫のない2本の漢江の河底トンネルは、ポンプの力技で排水するしかなく、ポンプの電気代を含めた維持管理コストはすさまじく、地下鉄5号線の営業利益を吹っ飛ばして有り余るほど。
地下鉄5号線は、大惨事連発&超絶大規模設計変更で莫大な建設費がかかった地下鉄3号線に次ぐ韓国第2位の赤字路線となっています。
その後に作られた地下鉄7号線や空港鉄道は、もちろん、これに懲りて、経済的理由から、橋を渡って漢江を渡河するようにしています。

金浦空港。ここも5号線沿線。基本的に国内線用だが、狭い国土の韓国の場合、飛行機で行く必然性があるのは済州島ぐらいなので、発着枠に余力があり、東京など近距離国際線の発着もある。空港旅客は、基本的に停車駅が少なく、運行速度の速い空港鉄道を利用する。地下鉄5号線は、駅が多く、運行速度も遅いので、専ら空港周辺の江西区民の足。
できた5号線は、末端部が賑わう一風変わった地下鉄路線に
そうして完成した地下鉄5号線ですが、やはりバックアップ路線として作られた経緯があるだけあって、他路線との接続駅が多く、地下鉄1〜4号線に乗り継ぐ人が多く、地下鉄5号線を乗り通す人はあまりいません。
代替路線の多い中央部より、代替交通手段も限られる末端部で重要な交通機関となっており、末端部の江西区、江東区、松坡区では、基幹交通機関として機能しています。
路線概要
路線
- ソウル交通公社 5号線 (傍花駅ー江一駅)
- ソウル交通公社 江南線 (渼沙駅ー河南黔丹山駅)
- ソウル交通公社 5号線馬川支線 (江東駅-馬川駅)
全線直流1500V電化、右側通行
運行管理 ソウル交通公社
所有 ソウル特別市
運行系統
- 本線系統(傍花駅ー河南黔丹山駅)
- 馬川支線系統(傍花駅ー馬川駅)
- 馬川支線線内系統(江東駅ー馬川駅)
5号線の特殊性として、馬川支線のほうが本線よりも居住人口の多い地域を通っており、本線よりも馬川支線の旅客数が多いということがあります。
なぜ利用者が少ない方が本線となったのかというと、ソウル市に合併する前は、広州郡の繁華街として、千戸洞から河南市にかけてが賑わっていたことにあり、5号線建設時点で、本線側の方が人口が多かったことによります。
1990年以降、松坡区の開発が進み、超高級住宅団地がいくつも建設された結果、馬川支線のほうが賑わうようになって、現在に至っています。
馬川支線沿線は、農地からいきなり超高級住宅団地が造成された関係で、本線沿線のような古くからあるような本格的な商業地があまり形成されておらず、馬川支線沿線民は、地下鉄で買い物に出かける傾向が強いことも、馬川支線の混雑に拍車をかけています。