大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

聖職者の勉強不足とキリスト教異端

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「マダバの生命の樹
アラブ人は、伝統的に、クリスチャンのことを、エデンの園に神が自ら植えたといわれる「生命の樹」で表現した。クリスチャンを虐殺の対象としかみなくなったのは、第二次世界大戦以降のことである。イスラエルやアラブ世界には、「生命の樹」は、ナツメやしとよく似た木であったとする伝承があり(一度に非常に多くの実をつけ、実を干すと保存性が高まり、万能の薬として、遠方に流通させることが可能)、「マダバの生命の樹」もナツメやしをモデルにして描かれている。
いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。(旧約聖書 詩篇1篇)


韓国のキリスト教徒は自由です。

ただし、平信徒に限り。
そうでない韓国のキリスト教会は偽物、キリスト教を名乗る新興宗教です。

韓国ではキリスト教聖職者の汚職が実に多い
・ 賄賂
・ 利益供与、便宜供与
・ 蓄財
・ 帯妻(子作りも含めて、むしろ義務であることが多い)
聖職者は、以上の行為いずれを行ってもOK(カトリックでは、いずれも禁止ですが、いずれも裏でやっている聖職者が多くて困っています)ですから、日本人が想像できる範囲の汚職といえば、刑法犯罪を犯すぐらいしかないでしょう。

しかし、韓国のキリスト教指導者の汚職は、非常に多い現実があります。

もちろん、刑法犯罪を犯しているわけではありません。

聖職者の汚職で最も致命的なのは「聖職者の勉強不足」であり、これがキリスト教会の異端化の原因のほとんどになっています。
 

聖職者の勉強不足はなぜ起こる?

カトリックを除くキリスト教の聖職者は、礼拝で、1時間ほど聖書の講解メッセージをしなければいけません。
が、その準備に膨大な時間を要します。
カトリックでは、聖書の講解メッセージが神父の義務ではありません)

聖書と、数多くの解説書を照合していく作業は、とてつもなくたいへんな作業です。
聖書を一字一句、すべて暗記していれば、ホイホイと原稿を書けるかもしれませんが、通常、聖職者といえども、あの分厚い聖書を一字一句、すべて暗記している人は希です。

高位の聖職者ほど、高度な聖書の講解メッセージが期待されるのですが、基本的に聖職者は偉くなるほど、信徒の人生相談や、教会外の雑用が増え、聖書を勉強する時間が、どんどん喰われていってしまいます。

 

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教会員数1万人規模のメガ・チャーチ ソウル・インマヌエル教会
韓国国内のキリスト教徒の間でも、メガ・チャーチに対しては賛否両論ある。
これほどに教会が大きくなると、この教会のスタッフであることだけでも相当な社会的な信用がある。
少なくとも、キリスト教と無関係な部外者ほど、伝道師、副牧師、牧師に対して、神の如き扱いをするようになる。

すると、何を勘違いしてか、神の如き振る舞いをする者、信仰がないのに、教会のスタッフになろうとする者が続出するようになる。

やってらんないよ・・・と思った聖職者が手を染めるのが、自分の権威を悪用した聖書の独自解釈(手抜き)。
そして、独自解釈がある一定水準を超えると、キリスト教系異端宗派に変化していってしまいます。

 

「信仰に聖書は不要」と言ってしまう異端牧師

世の東西を問わず、ろくすっぽ聖書を勉強していない聖職者が言い出すのが、
「信仰に聖書は不要」
という言葉。

さながら、勉強不足の仏教のお坊さんが、仏教にお経は必要ないと開き直っているようなもの。
実際に、聖書66巻の名前を言えない信徒以下のレベルの自称牧師も相当数います。

それでいて、聖化体験(神秘体験)がない人間は、偽信者であると信徒を煽って、献金やら奉仕活動やらを強制する。

とはいえ、こういうことは、昔、カトリックがやったことで、ルターの宗教改革を引き起こした古典的な金集めの手法で、今もよくあります。

マルチン・ルターは、非常に律儀なカトリックの修道士で、『こんなエセ宗教行為を止めよ。聖職者たるもの、聖書をちゃんと読め』と公開質問状をバチカンに送ったことが原因となって破門になった人。

 

韓国でよくあるのが、キリスト教とムダン(巫教)が合体した新宗教

聖化体験(神秘体験)とは何ぞやというのは、異端キリスト教界では、非常に頭を悩ます重大問題。

聖書には、これじゃないかというヒントが山のようにあるので、どれを選ぶかが、異端牧師の頭痛のタネとなるのだそう。
「預言」「異言(勉強したことのない外国語を話す。転じて、どこか宇宙の言葉を話すことも含む)」「奇跡体験」。
また、これらを駆使して伝道する指導者、使徒職を復権させようということを言い出します。

いずれにせよ、キリスト教異端教会をまじめに作ろうとすると、正統派教会をやるよりはるかに聖書を深く勉強しないといけないわけで、面倒くさいことこのうえない。
ろくすっぽ聖書を勉強していないが、人望だけは人並み外れている異端牧師にできる仕事ではない
んですよね。
そこで、勉強の不要なムダン(巫教)と合体するケースが多いらしいのです。

 

異端でも、神を信じているだけマシな聖職者の汚職
「聖職者が実はキリストを信じていなかった」という驚愕の事件(実によくある)

これぞ神の教会と手放しでお勧めできるほどの教会でも、実は聖職者の汚職からは逃れられないという現実は溢れています。

『聖職者が、実はキリストを信じていなかった』
というもの。

これは、宗教法人の根本に関わるキリスト教会の汚職の中でも最も致命的なものです。
昇進するにつれ、どうも聖書と違うことを言い始めるので、問い詰めたら、聖書の知識があまりにも稚拙で、『実はキリストを信じていなかった』ことが発覚するというケース。

昔は、聖職者になるには殉教の覚悟が必要だったので、『実はキリストを信じていなかった』人が聖職者になることはありえなかったのですが、政治経済が安定した最近の韓国では、この問題が増えているそうです。

アメリカのキリスト教映画、レフト・ビハインドでも、世の終わりに、信徒は全員天国へ行ったのに、牧師だけ天国へ行けなかったという場面がでてくるので、キリスト教アメリカでも、そういうことは珍しくないということです。