知る人ぞ知る世界有数のスピリチュアルゾーン『龍山 解放村(ヘバンチョン)』
韓国のなかでただひとつ、日本の植民地支配とは完全無関係な『解放村』
韓国で解放村という地名は多いのですが、大日本帝国主義の植民地支配からの解放を記念してつけられた名前が圧倒的です。
そんななかで、龍山の『解放村』は、ただひとつ、日本とは全く関係のない非常にめずらしい解放村です。
『悪魔の支配から解放された』ことを記念して『解放村』という名前がつけられた
何から解放されたのかというと、『悪魔の支配から解放された』というのだから、穏やかではありません。
場所は、ソウルの中心部、南山の麓にあるのですが、地下鉄の通っていない非常に不便な場所にあるので、外国人旅行者には縁のない場所です。
南山3号トンネルと南山2号トンネルの交わる交差点のすぐ近くにあります。
江北と江南をショートカットするルート上にあるため、ここを通過する市内バス(ブルーバス)が多く、バスの車窓から見る龍山の『解放村』の景観は、ソウルの一つの名物になっています。
龍山『解放村』に行くには、ソウルのロッテ百貨店前から、南山トンネルを通って高速バスターミナル方面へ行くブルーバス(かなり多くの路線がある)に乗って「ヘバンチョン」停留所で下車するのが最も近いルート。観光地ではないので、交通の便が非常に悪い、いわばソウルの秘境とも呼ばれる場所。
エルサレムのオリーブ山の景観と非常によく似た奇景が印象的な街
小高い丘の『解放村』は、丘の頂上に、大きくて立派なカトリック教会があり、教会の周囲の斜面はバラック建築の小さな個人住宅で埋め尽くされ、その様子は、頂上に昇天教会のある、中東のエルサレムのオリーブ山の景観を彷彿とさせます。
とても目立つ街で、朝鮮戦争がらみの韓国映画ではよく登場する街です。
ここはもともと、京城護国神社があった場所ですが、1945年、米軍が接収し、京城護国神社を取り壊し、竜山基地の演習場に整備しましたが、紆余曲折があって、韓国国民が住むことを黙認した場所であります。
龍山『解放村』
エルサレムのオリーブ山の景観と瓜二つで、欧米人がこれを見ると、黙示録的な象徴と感じるらしい。ここは北朝鮮平安道出身のキリスト教徒の街というのもかなりいわくつきである。自分たちの苦難の歴史が、未来に起こる大患難時代を生き抜く教訓と千年王国を暗示する象徴であると信じており、いつまでも古いバラック建築の家に住むことをやめない。
『解放村』の語源は、丘の頂上にある解放教会の公式文書によると、「北朝鮮の地を出エジプトした神の民」の村とのこと
ここ、龍山の『解放村』の語源は、丘の頂上にある解放教会の公式文書によると、日本の植民地支配とはまったく関係なく、「北朝鮮の地を出エジプトした神の民」の村であるという非常に宗教的なものです。
韓国国民は、龍山『解放村』にまつわる伝説に対し、非常に否定的
この『解放村』にまつわる伝説は、朝鮮戦争を肯定する話でもあるので、一般の韓国人の心情を大いに逆撫でする話で、あくまで非公式な歴史という位置づけになります。
ただ、丘の頂上にある解放教会の公式資料の中では『伝説』ではなく『事実』であると繰り返し主張しています。
韓国国内では、信憑性はともかく、伝承すること自体に対しても大きな議論がある話です。
龍山の『解放村』の人々が住んでいた頃の平壌
事の発端は、朝鮮半島北部は、非常にキリスト教徒が多かったことにはじまる
第二次世界大戦前、朝鮮半島北部は、非常にキリスト教徒が多く、特に平壌、宣川、義州、中国の丹東(現在の安東)を結ぶ平安道の京義本線沿線は、人口のほとんどがキリスト教徒で占められているような状態で、東洋のイスラエル、東洋のエルサレムと呼ばれていたほどでした。
朝鮮民主主義人民共和国成立に伴い、キリスト教大弾圧が始まった
1945年8月15日、日本の敗戦とともに、金日成が朝鮮半島北部の実権を握ると、共産主義の障害となるキリスト教会に狙いを定め、日本もやらなかったキリスト教徒の徹底的な弾圧を開始します。
この弾圧はあまりに激しく、誰もが聖書の出エジプト記12章1節~51節、マタイの福音書24章15節~22節を連想したといいます。
北朝鮮のキリスト教牧師達は、マタイの福音書24章15節~22節を引用し、
『あの忌まわしいもの』が聖なるところに立っているのを見たらーーー読者はよく理解せよーーー(中略)逃げなさい。屋上にいる人は家にあるものを持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません・・・とキリスト教徒達に告げ、即刻逃亡するよう告げてまわったそうです。
このメッセージを聞いて、北朝鮮のキリスト教徒達は、取る物とりあえず、それこそ、今しがた食事をした茶碗を片付けることすらせず、直ちに南へ逃亡したのだそうです。
金日成は、キリスト教徒を南部に逃がすと朝鮮の赤化統一の障害になるので、キリスト教徒及び、キリスト教徒の血縁の根絶を図った
しかし、朝鮮全土を手中に収め、共産化する気であった金日成は、今ここでキリスト教徒達を南に逃したら、後々、日本に逃亡する者が出る可能性もあり、そうなると、キリスト教弾圧が露見して、面倒なことになると考えました。
そこで、北のキリスト教徒を北朝鮮領内に閉じ込め、根絶することは、国家の最優先課題と考えていました。
絶滅対象は、キリスト教徒本人のみならず、未信者であっても3親等以内の親族、及び子孫に及び、キリスト教徒に関係する血統そのものを根絶し、血の穢れを共和国から取り除くことを最終目標としていました。
そこで、北緯38度に国境線を設定し、逃亡するキリスト教徒を逮捕、拷問し、3親等以内の親族、及び子孫をあぶり出していくこととなりました。
韓国の初代大統領 李承晩が、噂に違わぬ気●いぶりを発揮した隙を突いて、金日成は、朝鮮戦争を仕掛けたが・・・
ところで、朝鮮半島南部はというと、米軍は、無能だとは知りつつも、とりあえず反共の鬼として知られていた李承晩を担ぎ上げ、大韓民国を建国しました。
李承晩が無能であることは、李承晩と直接の面識のあった金日成は、よく知っており、この成り行きをほくそ笑んでいました。
李承晩は、自分の立場を脅かす人物だという理由により、金日成が恐れる朴憲永、呂運亨、金奎植が次々と暗殺し、李承晩の同士で、テロ活動で有名であった右翼活動家の金九ですら、暗殺したのでした。李承晩自ら、金日成が恐れる韓国の政治的リーダーを一掃したこととなり、金日成は、李承晩が正真正銘の大馬鹿野郎だとの認識を新たにしたといいます。
この大馬鹿野郎が大韓民国の唯一無二の首領である好機を逃す手はないと、金日成は、5年間かけて軍を整備し、散発的に挑発行動をかけ、韓国軍の整備を妨害し、暗殺に失敗し、韓国国内を逃亡中であった南朝鮮労働党党首の朴 憲永の合流もあって、準備が完了した1950年、大韓民国に軍事侵攻を仕掛けました。
韓国軍は、自国民の虐殺に忙しかったため、北朝鮮軍と戦わず、北朝鮮軍との戦闘をアメリカ軍に丸投げした
朝鮮戦争における李承晩の支離滅裂な行動は非常に有名ですが、分量が非常に多いので、ここでは文面の都合上省略します。
朝鮮戦争開戦直後、李承晩が漢江人道橋爆破事件を起こし、韓国軍はその巻き添えで壊滅するという無茶苦茶な展開で朝鮮戦争は始まりました。
残存した韓国軍部隊は、北朝鮮軍との戦闘よりも、国内政治犯の抹殺や反乱分子の摘発を名目とした自国民の虐殺に戦力を費やしたため、大韓民国側の戦局は大混乱。
北朝鮮軍との戦闘は米軍に丸投げの状態でありました。
韓国国民は、北朝鮮軍のみならず、韓国大統領と、韓国軍と戦わなければならないという状態に陥りました。
韓国軍が、なぜ自国民の虐殺に没頭したかというと、かつて日本軍に従軍した戦闘経験豊富な人材の登用を避けていたため、韓国軍の練度は著しく低く、北朝鮮軍と戦闘できるレベルにありませんでした。
一方、生き残った韓国軍の幹部は、大統領に良い報告を挙げなければ、猜疑心の塊の李承晩に殺されるのは目に見えていたので、李承晩が納得する戦果をでっち上げ続けるためには、丸腰の逮捕者を処刑するのが手っ取り早かっため、韓国軍は、丸腰の逮捕者を処刑に熱中したのでした。
北朝鮮軍との戦闘を丸投げされた米軍も、日本軍と戦った戦闘経験豊富な人材が韓国駐留部隊にはおらず、人材が払底していたため、日本に駐留している戦闘経験豊富な人材が来るまで、北朝鮮軍とまともに対峙できませんでした。
米軍も韓国軍も、北朝鮮軍と戦う間もなく退却を重ね、釜山まで追い詰められてしまいました。
北朝鮮軍の想定外の大勝利により、北朝鮮に残存するキリスト教徒達の前に、南への避難路が出現した格好となった
北朝鮮軍は、想定外の大勝利により、怒涛の如く南方に前線を拡大しました。
ところが、それが原因で、補給線がぷっつり切れ、武器弾薬、糧食が欠乏して、現地の住民から略奪する状態。
当時、物資が豊富にあった北朝鮮とは異なり、韓国は、李承晩の度重なる悪政が原因で日々の食糧にも事欠く状態。
略奪する物資すらなく、北朝鮮軍は飢餓と直面する有様で、大混乱に陥っていました。
このとき、北朝鮮に残存するキリスト教徒達の前に、南への避難路が出現した格好となりました。
大混乱の北朝鮮軍は、南へ逃亡するキリスト教徒に構っている余裕はありませんでした。
そこで、多くのキリスト教徒が南へ逃亡し、潜伏することができました。
このとき、逃亡をためらった北のキリスト教徒、そういったキリスト教徒を一人残らず逃亡させるため、説得のために北朝鮮に残った牧師、神父がいたのですが、皆、行方不明(解放教会の公式文書では「殉教」)になったといいます。
グダグダな経過をたどった朝鮮戦争は、オカルト的な戦場伝説が頻発した怪しげな戦争でもあった
さて、朝鮮戦争は、不可解な戦場伝説が頻発した特殊な戦争であったことが知られています。
特に、仁川上陸作戦後の米軍についてみてみると、不可解な戦場伝説が集中して発生しています。
部隊に置いて行かれ、孤立した米軍兵士が、味方の小隊によって救出されたが、基地に帰ってみるとそんな小隊は存在しなかったとか、北朝鮮軍のミグ15を神がかり的な技量で次々撃墜していくF-86セイバーを目撃したが、基地に帰ってみると、その時にその地域を飛んでいたのは自分だけだったとか。
現在のところ、表向き、その多くは、戦闘という極限状態で起こった兵士の錯覚、あるいは誤認であろうということになっています。
ただ、この戦場伝説の調査は、米軍により、相当綿密に行われたようで、後のベトナム戦争でも同様な調査が行われたようです。
しかし、朝鮮戦争のような奇妙奇天烈なことは、ベトナム戦争では起らなかったといいます。
その当時の竜山米軍基地内では、当時有名だった金日成のキリスト教弾圧の情報と併せて、神の介入ではなかったかと噂されたのだそうです。
当時調査にたずさわったビリー・グラハムは、自身の著書でそう書き残しています。
ビリー・グラハム(1918年11月7日 - 2018年2月21日)
南部バプテスト教会牧師。保守派を中心としたアメリカ合衆国大統領の霊的助言者である。ビリー・グラハムはこの事件を当事者から直接伝聞したと言っている。
人的介入の余地がまったくない出来事が多く、錯覚、あるいは誤認とするには相当の無理があり、神が人類歴史に介入する場合に起こる、ごくありふれた、天使を用いた歴史への介入ではないかという仮説を提唱している。
在韓米軍が、朝鮮戦争を『天使を用いた歴史への神の介入』ということを前提に解釈したことが、龍山の『解放村』誕生の経緯
この話で重要なのは、休戦後、「北朝鮮の地を出エジプトした神の民」を名乗る避難民が竜山米軍基地の兵士達の前に現れたとき、兵士達の間に非常に強い恐れの感情が起こったということです。
北朝鮮からのキリスト教徒の避難民を、誰も共産主義者とかスパイだとか言って逮捕したり処刑したりしようとはしなかったことです。
朝鮮戦争休戦後、米軍竜山基地が、『天使を用いた歴史への神の介入』ということを前提に解釈し、米軍は、この人たちにテントを与え、基地の北側にある丘の上で礼拝することを黙認しました。
これが、龍山の『解放村』誕生の経緯です。
この礼拝所は、もともと北朝鮮にあったキリスト教派連合のような教会としてスタートしましたが、たまたまカトリック信者が多かったことから、カトリック教会を名乗っています。
後にプロテスタントの南山教会、永楽教会の支援を受けて、神殿のような立派な教会堂となります。
もともとが教派連合の教会なので、カトリック教会ながら、プロテスタント教派(長老派)に属し、神父がおらず、牧師がいるというカトリックとプロテスタントの間の子のような教会です。
その後、韓国国内に散らばった「北朝鮮の地を出エジプトした神の民」がこの丘に集結し、米軍廃材や捨てられた板などを拾って家を建て住み始めたことがこの『解放村』起源であるのですが、このときの米軍廃材や捨てられた板は、ディアスポラの証拠として今も大切にされ、子孫に当時のことを伝承しているため、『解放村』のバラックの風景がいつまでもなくならないのだそうです。