日本が朝鮮半島の混乱の引き金を引いた
日本はアメリカを道連れに、民族が滅亡するまで戦うはずだった
アメリカは、天皇に終戦の意志があることは知っていましたが、日本陸軍による宮城(皇居)襲撃作戦の存在を知っていたため、こんなシナリオを想定していました。
日本は、天皇を暗殺し、アメリカを道連れに、民族が滅亡するまで戦う。
これが起こった場合、アメリカという国家は、存続が非常に困難な状況に追い込まれることは明白でした。
当時、軍事機密として伏せられていましたが、日本の防空レーダーシステム、迎撃用高射砲の技術は高く、日本本土爆撃で襲来したアメリカ軍B29爆撃機は、次々と撃墜されていました。
終戦直前半年間の日本本土爆撃で発生したアメリカ軍B29爆撃機搭乗員の死者・行方不明者は3267人に達しており、生還を前提とした作戦であるにも関わらず、戦死が前提の日本陸海軍特攻隊の合計死者数4160人とあまり差がないという有様でした。
アメリカ軍で、B29爆撃機搭乗員を拝命するということは、日本で特攻隊に選抜されるということと何ら変わりがなかったわけですが、これは、トルーマン大統領が頭を抱えてしまったほど深刻な問題で、当然、アメリカ国民に絶対知らせることのできない軍事機密でした。
太平洋戦争末期、アメリカ軍にとって最も重要だったのは、日本国滅亡の道連れにならないこと。
本土決戦は避けられないので、いかに早く首都東京を制圧し、日本の政府機能を停止するかが先決でした。
これには、まず九州を制圧し前線基地とする。
しかる後に、茅ヶ崎上陸作戦を敢行。
町田、八王子を占拠した後、首都東京を制圧する。
これに要するアメリカ軍の戦死者は1500万人。
日本人死者は、当時の日本人口の半分の3500万人。
前途あるアメリカ人の若者1500万人を殺してまで制圧するだけの資源や産業が日本にあるのかと問われれば、それはない。
アメリカが日本との泥沼の本土決戦に踏み切る覚悟だったのは、もちろん日本列島をアメリカが取る気だったからです。
アメリカが撤退すれば、ソ連が日本に侵攻してくるのは目に見えていました。
日本をソ連に渡したら、アメリカは太平洋という巨大な緩衝地帯を失うことになります。
アメリカ軍としては、史上まれにみる厄介な戦争となってしまったわけです。
早期に日本人を叩き潰し、戦意を喪失させ、アメリカ軍兵士を救済する必要に迫られました。
原爆を、広島、長崎に加えて京都、東京を含む27都市に連続して投下し、主要都市を完全に焦土とし、日本の戦意を徹底的に喪失させることは、日本人想定戦死者3500万人より少しでも減らすという目的においても、充分に正当化できるものでありました。
昭和天皇が終戦の詔を発するという事態は、世界史を揺るがす前代未聞の大事件だった
これからが原爆投下作戦本番という1945年8月15日、昭和天皇が終戦の詔を発するという前代未聞の大事件が起こり、日本は、突如、連合国に無条件降伏をしてしまいました。
この事態は、アメリカにとって完全想定外でした。
本土決戦はもとより、原爆の27発連続投下をなりふり構わず阻止するということが昭和天皇の考えていた緊急課題であったことは、終戦時の玉音放送の多くの部分が、米軍の原爆使用に対する非難に割かれていることからもわかります。
韓国政府公認の歴史では信託統治反対であったとなっている李承晩が作った信託統治歓迎の看板。ちなみに、太極旗は、現在の公式デザインと異なる。
韓国の公式の歴史では存在してはいけない写真である。信託統治歓迎の姿勢がアメリカが李承晩を大統領を擁立した大きな理由であった。当時アメリカ兵が撮影したもの(1946年)
建前は分断統治、本音はアメリカが取るか、ソ連が取るかだった日本と朝鮮半島
第二次世界大戦末期、ソ連のヤルタで行われた協議により、共産主義よりもファシズムを危険視していたルーズベルト大統領は、世界三大ファシズムの一翼であった日本解体は絶対であり、日本本土と朝鮮半島をアメリカとソ連が分断統治するという密約をソ連と結んでいます。
ルーズベルト大統領急死を受けて後を引き継いだトルーマン大統領は、ファシズムは崩壊し、無神論の共産主義が今後アメリカの脅威となると考えていました。
これは、トルーマン大統領が元聖書学者である経歴と非常に関係があり、また、実に謹厳実直な人で、大言壮語癖があって万事仕事がいい加減であったルーズベルト大統領とは対照的でした。
ルーズベルト大統領は、間違ったことを間違っていると直言する副大統領であったトルーマンを毛嫌いしていたので、トルーマンには重要な政策は秘密で通していたのでした。
トルーマンは大統領就任後、ヤルタ会談の、そのあまりの杜撰な駆け引きの真相を知り、どうせソ連(スターリン)は密約を破ってくるのだからと、アメリカも積極的に密約を無視することを決めます。
スターリン率いるソ連側も、分断統治の密約は最初から無視する予定だったので、朝鮮半島の国家樹立の方向性について、アメリカと話し合う予定はありませんでした。
存在は完全に無視されていた大韓帝国亡命政府
朝鮮半島はアメリカが取るか、ソ連が取るかという問題であったので、中国上海にあった大韓帝国亡命政府との意見調整も当然できていませんでした。
というより、最初から無視されていたんですね。
日本の唐突な無条件降伏という大番狂わせが、朝鮮半島の運命を決定した
1945年8月15日、昭和天皇が終戦の詔を発するという前代未聞の大事件が起こり、この大番狂わせが、朝鮮半島の分断を引き起こします。
朝鮮半島の国家樹立の方向性については、この時点で、何も決まっていませんでした。
アメリカが主導するかソ連が主導するか、意見が対立しており、これがまた、中国上海にあった、大韓帝国亡命政府の意向とも対立していました。
アメリカが日本との最終決戦の時間を利用して、かたをつける予定でしたが、突然日本が無条件降伏してきたため、予定していた朝鮮半島の国家樹立の準備が間に合いませんでした。
急場しのぎで、アメリカの信託統治領(実質的にはアメリカ軍政)として、朝鮮半島を統治しようということを言い出したのですが、ソ連は大反対。
突然日本が無条件降伏する可能性を正確に把握していたソ連
というのも、スターリンは、日本にスパイを送り、近衛内閣にも浸透していたため、大日本帝国の政治動向を極めて正確に把握していました。
日本の天皇は、サイパン陥落以前から終戦を模索しており、終戦の方法を巡って陸軍と海軍と揉めていて、日本が原爆投下があろうとなかろうと、突如無条件降伏してくる可能性は高いと読んでいました。
そこで、終戦間際に対日参戦を行い、朝鮮半島を掌握し、可能であれば、日本の領有も進めるという野心的計画を極秘裏に進めていたのでありました。
アメリカは、アメリカの信託統治領として朝鮮半島を統治しようとしたが、ソ連は、日本の無条件降伏を無視して満洲に軍事侵攻し、アメリカを狼狽させた
とりあえずアメリカの信託統治領(実質的にはアメリカ軍政)として、朝鮮半島を統治しようということになったのですが、ソ連は、日本の無条件降伏を無視して、終戦後の満洲に軍事侵攻を開始し、力ずくで朝鮮半島を奪取しにかかりました。
朝鮮の総意は、共産主義国として独立することであった
朝鮮の総意としても、アメリカによる信託統治反対、朝鮮独立を叫ぶ人は多く、ソ連による朝鮮侵略という事態を阻止するために、共産主義国として独立することに決まりかけました。
当時、韓国の独立運動家の多くが、現在より格段にひどかったアメリカ式資本主義の腐敗体質に批判的であり、マルクス主義に傾倒する傾向が強く、日本人と入れ替わりに朝鮮に進駐してきたアメリカ軍当局と激しく対立していました。
ソ連主導による共産主義国としての朝鮮独立を叫ぶ勢力が大勢を占める状態で、朝鮮半島に共産主義による統一国家が設立される気運が一気にたかまりました。
南大門にも信託統治歓迎の看板が掲げられた。当時アメリカ兵が撮影したもの(1946年)これも、韓国の公式の歴史では絶対に存在してはいけない写真。なぜいけないかというと、李承晩は後年、従属国主義などは真っ先に忌諱すべきもので、それを支えていた朝鮮王家の人間などは自分が築き上げた独立国家に入国させるべきではないと厳しく糾弾していたからで、大統領自らの従属国主義的姿勢を証明するような写真は存在してはいけなかった。
この事態をひっくり返すべくアメリカがとった作戦・・・どうしようもない問題児、李承晩を大統領に据えた大韓民国を建国し、朝鮮半島を破壊と混乱の坩堝に陥れ、ソ連を排除しようとしたアメリカ
この事態をひっくり返すには、大韓帝国亡命政府の問題児として有名で、「ぶっ壊し屋」「気●い」とも中傷され、評価が散々であった李承晩を、大統領として、あえて擁立し、朝鮮半島を混乱のルツボに陥れるしかなく、1948年、朝鮮半島を混乱のルツボに陥れる役割を帯びて、大韓民国は建国されました。
李承晩大統領が民衆から支持された理由
(1)朝鮮人一般民衆が民主主義を知らなかったから
(2)李承晩が朝鮮王族だったから
なぜ、この散々な李承晩が大韓民国の初代大統領として民衆に認められたかというと、李承晩が朝鮮王族の傍系だったからであり、朝鮮王朝の古い体質をひきずっていた一般民衆は、王族だからという一点で、この『尊いお方』を統治者と認めたのでした。
こうして建国された大韓民国は、かつての南ベトナムがそうであったように、親米という点だけにおいてアメリカの都合の良い政権ではありました。
基本的にアメリカの食糧援助がなければ食べていくことができない、乞食のような状態であることは、後の南ベトナムと何ら変わりありませんでした。
何かというと米軍をゆすって援助物資をせびるくせに、何一つ米軍の言うことを聞かない国家でもありました。
その諸悪の根源は、徹頭徹尾、わがまま放題の李承晩大統領に尽きました。
この大統領の相手をすることになった米軍は、たまったものではありませんでした。
米軍としては迷惑千万だったのですが、米軍はアメリカ本国の意向には逆らえません。
アメリカ本国の意向とは、独裁者の気の向くまま、滅茶苦茶な行動を容認し、バッサバッサと共産主義者をぶっ殺し、ソ連を攪乱してもらえばよかったのでした。
あのスターリンですら嫌がった李承晩大統領
李承晩は、それこそ、韓民族を永遠の楽園に導く救世主気取りであったという点で、スターリンですら李承晩とは関わるのを嫌がったといいます。
まさに、「毒をもって毒を制す」を地で行く大迷惑な人だったのです。
大統領になると、早速邪魔物の粛清にとりかかります。
盟友で大日本帝国を相手のテロ活動で名の知れていた金九を暗殺。
社会主義市場経済論を唱え、先見の明のあった呂運亨は邪魔なので暗殺。
共産主義者の朴憲永は、潜伏先の求礼の集落の住民もろとも虐殺しようとしました(朴憲永は辛くも逃げ切っている)。
日本人と共産主義者は殺せ・・・が国是だった建国当初の大韓民国
永遠の楽園では、日本と共産主義は絶対悪であるという李承晩の信念から、日本人と共産主義者はこの世から抹殺すべきとして、徹底的に思想教育が施されました。
李承晩時代の大韓民国は、日本人が行ったら、現在の北朝鮮よりはるかに危険な国でした。
朴正熙大統領の時代に、かなりの社会的混乱を伴いつつも、大胆に修正されましたが、未だにその悪影響は強烈で、相当尾を引いています。
そして、気に入らない韓国人も殺せ・・・が国是だった建国当初の大韓民国
そして、この救世主気取りの大統領は、事実があろうとなかろうと、見境なしに、気に入らないなら、自国民ですら共産主義者のレッテルを張って、裁判なしに大量虐殺するようなことを常習的に繰り返しました。
かの朴正熙大統領も、李承晩時代に、密告が原因で、韓国軍内に潜伏する共産主義者という理由で死刑になりかけています。
済州島の一般住民が事実上絶滅するという済州島四・三事件もこの大統領によって引き起こされました。
韓国国民であっても、いつ大規模虐殺が始まるか予測がつかなかったので、現在の北朝鮮よりはるかに危険な国でした。