大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

朝鮮半島の共産主義勢力の系譜

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左 北朝鮮労働党金日成。右 南朝鮮労働党の朴憲永
みればわかるが、朴憲永がずっと先輩。マフィアのボスのような金日成と、あくまで学者である朴憲永の特徴がしっかり写っている。

共産主義朝鮮半島を席巻した背景には、キリスト教ブームがあった

歴史の教科書にはほとんど載っていませんが、第二次世界大戦後には、救世主気取りの人が頻出した時代でした。

当時の聖書理解によると、第一次世界大戦第二次世界大戦が、世の終わりにやってくる悪魔が人類を蹂躙する患難時代であり、その後、キリスト教信者によって、千年王国(至福千年期、又は、ミレニアム)が打ち立てられ、そこにキリストが再臨すると考えられていました。

こういう聖書解釈は、現在では「誤り」「異端」とされていますが、当時はこれが社会常識でした。

 

誰がリーダーになって至福千年期を実現するかが本気で考えられた第二次世界大戦

この考え方の母体となったのは、5世紀頃に生きたカトリック教父、聖アウグスチヌスの確立したキリスト教神学といわれています。

使徒パウロが確立し、ユダヤ神学にまみれたと評される古いキリスト教神学に、大幅にギリシャ哲学の要素を加え、より洗練されたキリスト教神学を確立した功労者が聖アウグスチヌスでした。

しかし、このユダヤ神学とギリシャ哲学を折衷したキリスト教神学は、十字軍遠征、ヒトラーによるユダヤ人虐殺の温床となるなど、有史以来、頻繁に世界史に悪影響を及ぼしているという点は、広く知られているところです。

朝鮮半島の混迷も、この聖書解釈とは無関係ではなく、朝鮮半島共産主義が根付いた背景には、植民地からの解放後、誰がリーダーとなって、第二次世界大戦後の朝鮮半島に至福千年期を打ち立てるかという命題がまずあったという背景があります。

現在、韓国に新天地イエス教団のような至福千年期の建設を標榜する異端教団が多いのもこの時代の名残りです。

 

名乗りを上げたリーダーは2人

そうなってくると、当然のことながら、誰がリーダー(教祖)となって、至福千年期を打ち立てるかが重要な問題になってきます。
これらのリーダーは救世主気取りの人であったという点でも共通しています。

(1)李承晩
(2)金日成

(1)の李承晩は、アメリカ軍関係者から「朝鮮のキリスト(救世主)」、十字架にかかって刑死したキリストに引っ掛けて「殉教者」と皮肉を込めて罵られたという事実からもわかりますが、自分を朝鮮の救世主だと言ってはばからない人でした。

(2)の金日成が救世主というのは、説明不要でしょう。
北朝鮮の首都平壌に行ったなら、金日成が救世主であることを認めないと、逮捕、処刑されます。

李承晩のやったことはハチャメチャだったのですが、対する金日成は、スターリンから見込まれただけあって、国家経営のセンスがあり、優秀でした。

今でこそ乞食国家のイメージの強烈な北朝鮮ですが、金日成の生きていた時代、北朝鮮は経済成長した韓国と比べて落ち目ではあったものの、そこそこ裕福で、乞食国家に落ちぶれたことは一度たりともありませんでした。

金日成は、鄧小平の助言を受けて、1990年代には、改革開放を目指しますが、1994年に心筋梗塞で亡くなり、改革開放に失敗しています。

 

金日成はもともと人望のある共産主義のリーダーではなかった

金日成は、もともと人望のある共産主義のリーダーではありませんでした。

朝鮮半島共産主義勢力のなかで、人望のある順に、

(1)朴憲永(パク コニョン:表記上はパク ホニョン)
(2)呂運亨(ヨ ウニョン)
(3)金日成

といわれていました。

 

朴憲永。頭のよさが感じられる人で、実際、李承晩を手玉に取るほどの実力のある人であった。これが原因で、金日成から危険視され、処刑されることになった。彼の共産主義は、金日成共産主義と比べ、マルクス理論偏重の傾向があった。

一番人望があったのは朴憲永。一言で言うと学者

独立運動歴が長く、政治犯として朝鮮総督府からの逮捕歴もあり、政治学に精通し、朝鮮半島一の秀才といわれました。
他人を見下す悪い癖がありましたが、一度信頼した人は信じ通す義理堅さが、周囲から高く評価されていました。

 

呂運亨。共産主義リーダーの中では、一番の年長者であったが、当時の共産主義者の間では、改革開放を標榜する修正共産主義を唱える変態であり、性格の悪さから相当に嫌われた人だった。共産主義国家が次々と破綻した後の21世紀の視点からみてみると、言っていることは唯一正しかった

一番の年長者で先見の明があった呂運亨は、暴言癖で嫌われた

呂運亨は一番の年長者でしたが、この人も学者。

この人の共産主義は、社会主義市場経済、当時の言葉で修正共産主義鄧小平の考えかたに近い)だったことから、朴憲永や金日成とは距離を置いていました。

現代から見れば、この人が統一朝鮮の指導者として最も適任だったといえますが、彼に人望が集らなかった理由はその性格。
他人を見下す悪い癖が終生抜けず、その暴言癖から、会う人、会う人をことごとく不愉快にしたといいます。

この人が日本語で話す時は、言葉の不自由さもあって暴言癖が出なかったので、日本での評価は非常に高かったといいます。
この人の弟子が非常に優秀だったので、歴史に名前が残っています。

その弟子とは、後に大統領となる朴正𤋮。
このとき、兄の朴相𤋮を通じて、朴正𤋮が呂運亨より社会主義市場経済の薫陶を受けました。
朴正𤋮が韓国大統領になってからというもの、第◯次五ヶ年計画といった具合に、共産主義的政策を次々に打ち出して、アメリカを狼狽させました。

 

若い頃の金日成。オタク顔で理論派の共産主義者が多かったなかで、イケメンで経済に強い、異色の共産主義者だった

美男子がウリの共産マフィアのボスだった金日成

金日成は当時異色の共産主義活動家で、学術的正当性に訴えるよりも、マフィアとしての組織構成力がずば抜けていました。
たいへんな美男子であったことをウリに大衆の人気を惹きつけていきます。

金日成の人望が一番ではなかった最大の理由は、当時かなり若かったという年齢的ハンデがあったという点につきます。
現在もそうですが、朝鮮の社会において、若年者が不当に差別され、疎外されるということはごくありふれたことでした。

 

北は金日成、南は 朴憲永という共産主義革命の役割分担

当初、朴憲永は、貧困地帯を多く抱え、共産化の思想教育の効果があがりそうな朝鮮半島南部。
金日成は日本の残していった工業地帯を擁し、経済的に豊かだった朝鮮半島北部を担当し、共産主義革命を目指しました。

 

李承晩の共産主義殲滅作戦で、呂運亨は暗殺。朴憲永は北へ逃亡

特に理念もなく、王族出身という血統の良さだけに頼って、朝鮮半島南半分のリーダーとなっていた李承晩にとって、先見の明のあった学者、呂運亨は非常に厄介な政敵でした。
そこで、早々に暗殺して除去。

百戦錬磨で一筋縄では対処できない朴憲永は、潜伏する智異山一帯の住民もろともパルゲンイ(アカ=共産党員)と見なし、虐殺するというムチャクチャな方法で粛清しようとしました。
それゆえ、南朝鮮労働党のリーダーである朴 憲永は北朝鮮に敗走し、北朝鮮労働党のリーダーである金日成と合流することになりました。

朴憲永、金日成の2巨頭を擁することになった北朝鮮は、力を結集して、韓国に攻め入ります。これが朝鮮戦争です。

朴憲永は、智異山の麓の街、求礼で起きた虐殺事件に絡んで、李承晩に対する並ならぬ恨みがあり、韓国の地理に詳しい朴憲永が北朝鮮軍を主導したことで、北朝鮮軍は釜山以外を一気に手中に収めます。

 

世界史の教科書には朴憲永などという名前は出てこないが?

日本の世界史の教科書では、朴憲永の名前がでてきません。
これは日本の朝鮮半島研究家の多くが、親北朝鮮の立場をとっていることと関係があります。

北朝鮮の公式見解が正しいとして、学術的に採用しているためです。

北朝鮮の歴史では、朴憲永という人間はそもそも存在しなかったことになっています。

もし、北朝鮮で、朴憲永の写真を持っていれば、それだけで死刑は免れません(金日成と一緒に写っているなど論外)。

 

朝鮮戦争開戦で、朝鮮に突然登場した日本の救世主、ダグラス・マッカーサー。朴憲永の快進撃を止めてしまう

さて、その当時、日本の救世主といえば、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサー

当初は、日本の侵略者に過ぎなかったのですが、数々の強権的な施策により、日本の発展を阻んでいた旧弊な社会構造を一掃し、日本を世界トップレベルの民主国家に引き上げた大恩人として、世間的には、日本の救世主の扱いを受けておりました。

このダグラス・マッカーサー
実は、朝鮮半島に実質支配権を有しておりました。「朝鮮のキリスト(救世主)」「殉教者」と皮肉を込めて罵られた李承晩ですら、日本の救世主ダグラス・マッカーサーの「虎の威を借る狐」でありました。

GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサー
仕事中コーンパイプをふかすのも、アメリカ軍なのにフィリピン軍の帽子をかぶっているのも軍紀違反という、なかなかすごい最高司令官でした。
もともとは、まっとうなクリスチャンだったのですが、日本人が、戦前現人神だった天皇のかわりに、ダグラス・マッカーサーをおもいっきりヨイショしたので、本人、その気になっちゃって、変になったという話。

さて、朝鮮戦争は、朴憲永の活躍で、快進撃を続けていましたが、これを止めたのがダグラス・マッカーサー

なんでも、マッカーサーは、この期に乗じて、彼のかつての任地であった極東に、日本、韓国、台湾、フィリピンを統一する至福千年期を体現したマッカーサー王国を建国しようとしていたらしく、そのために、米軍を利用しようとした野望があったという噂が残っています。

日本国憲法が極端に理想主義に走っていると評されるのも、マッカーサーが日本に至福千年期を体現したマッカーサー王国を建国しようとした意図があった名残だという専らの噂です。

通常、戦争というと、市街地に残存する金目のものは温存し、略奪するというのが定石で、戦争とは、略奪によって戦費を回収して成り立つ一種の商売のようなものです。

マッカーサーは、どうやら、聖書の終末論にインスパイアされたらしく、大量の爆弾と銃弾の雨を降らせて、金目のものであろうとなんであろうとすべてを焼き払い、灰塵にして、無にしてしまうというハルマゲドン戦法をとりました。
これにはさすがの朴憲永も空いた口がふさがらなかったといいます。

バカを相手には戦えないと、朴憲永は敗走を余儀なくされます。

ここに中国軍が参戦して朝鮮戦争は泥沼状態となるのですが、ここにマッカーサーが太平洋戦争終結で余剰になった原子爆弾を大量に投下し、中国軍を粉砕する作戦を発動します。

朴憲永から大韓民国を救ったダグラス・マッカーサー。しかし、日本赴任の時と違って、その動機は最初からかなり不純だった。ゆえに「韓国の救世主」とは言われない。ダグラス・マッカーサーが「日本の救世主」だったことは、日本史の事実であるが、これはこれで、聖書学者で大統領だったハリー・S・トルーマンが聞いたら大激怒するアメリカのタブーだったのである。

ハリー・S・トルーマン。聖書学者でもあり、謙虚で誠実な仕事ぶりが特徴で、人類史上まれに見る多大な功績を残した。アメリカ大統領の中でもトップクラスだとの評価が高い。第二次世界大戦終結させたが、同時に核兵器開発で世界の歴史を一変させた人でもある。朝鮮戦争関連で、韓国とは繋がりが深い。

馬鹿げた救世主ごっこ終結させた元聖書学者ハリー・S・トルーマン大統領

時のアメリカ大統領、ハリー・S・トルーマンは、元聖書学者で、大統領になっても正統的かつ熱心なクリスチャンでありました。

自らの信仰に従い、いち早く患難時代を終結させ、至福千年期を確立し、無駄な戦死者をなくすことが神の意志だと信じ、広島と長崎に原爆を落とすというようなことをやった人です。

広島と長崎のあまりの惨状の報告を目にしたとき、特に、長崎の浦上天主堂に原爆が着弾したことを知ったとき、自分の持つキリスト教神学の誤りに気付いたといわれます。

原子爆弾を使うという行為は、どんな正義や大義名分の下で使ったとしても、エデンの園の禁断の実を食べることと何ら変わらない行為なのだということを体験的に悟った人でもありました。

このことがあったからといわれていますが、トルーマンは、終生、広島と長崎の原爆は自分の責任において投下したと明言しています。

また、原爆投下の一件をトルーマンがどれだけ真剣に受け止めていたかは、マッカーサー電撃解任事件の一件でもよくわかります。

かねてより、日本でヨイショされ、救世主気取りであったマッカーサーのことを気に食わなかったというのは、元聖書学者であるトルーマンの出自からきているらしいのですが、ハルマゲドン戦法を展開し、原子爆弾朝鮮半島に大量投下しようとするマッカーサーの作戦の暴走話を聞くに及んで、大激怒し、朝鮮戦争を直ちに停戦し、直ちにマッカーサーアメリカに召喚してしまったのです。

 

朝鮮戦争その後

北朝鮮南侵をきっかけに起こったマッカーサー暴走の一件で、急場凌ぎの窮余の策であった大韓民国の存在は、ソ連も認めざるを得なくなり、大韓民国は国際的に承認された国家となりました。

朝鮮戦争終了後、朴憲永は、金日成の政治的謀略に嵌まり、逮捕され、死刑となります。また、歴史から朴憲永の名前は抹消されました。
北朝鮮に2人もリーダーはいらないということでした。