大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

弘大入口


ソウルの原宿といえば、弘大入口

アクセス性抜群の繁華街

弘大入口は、韓国人にとっては、ソウルの西の外れというイメージが強いですが、空港鉄道の沿線であり、空港鉄道の一般列車に乗っていけば、仁川国際空港から簡単にアクセスできるという抜群の利便性を誇る街です。
エリアとしては、地下鉄2号線弘大入口駅、合井駅の間の繁華街になります。

この街の客層は、地下鉄と市内バスを乗り換える人が中心なので、バスの発着本数が最も多い弘大入口駅前が中心になります。

商店は一旦途切れますが、古くからの繁華街である新村・梨大エリアの繁華街は歩いてすぐで、東大門市場を超える広大な歓楽街を形勢しています。

弘大入口の特徴としては、地下鉄と市内バスを乗り換える人が中心客層となっているので、コロナ禍で、大幅に集客が落ちて荒廃した繁華街が多いなかで、比較的堅調であったという点が特徴的です。

現在は、弘大入口にもホテルが多数ありますが、古くからの旅館街のある隣駅、新村と比べると、数は少なめ、料金は高めです。
日本からの旅行客など全然考慮されていないかのような繁華街ですが、実は弘大入口、韓国国内で、日本人居住者が最も多い地域であり、街の人々は日本人慣れしているという意外な側面をもっています。

道路の中央にはバスレーンがあって、弘大入口バス停がある。雨の日のバス待ちのとき、傘をさした人が道路にはみ出て危険という問題があって、最近、屋根が整備された。路線案内が、シールから、キオスク端末に変更になったのは大きな変化だったが、ソフトにバグがあって、路線案内どころか、バス接近表示すらまともにできないという超絶改悪になってしまったところはソウル市の公共事業らしい毎度お馴染みの展開であった。

キオスク端末が正常に動作していれば、こうなるはずなのだが・・・・ならない。
ソウル市内でGoogleマップを表示し、出発地と目的地を入力し、経路検索を行うと、自動的に市内バス検索と連動し、目的地まで、何番の市内バスに乗ればよいかを表示してくれる。市内バスをよく使用するソウル市民はだいたいこの方法で市内バスの検索をしている。以前なら、地元民でなければ絶対乗れなかった、ややこしいマウルバスも経路検索してくれるところがよい。市内バス検索アプリは結構たくさん出回っているが、ポップアップ広告てんこもり、個人情報の入力必須といういやらしい感じのソフトばかりなので、Googleマップを使った方がよい。

 

日本人街として発展した意外な歴史

ソウルの西の外れにあったこの街が注目されるようになったきっかけは、龍山米軍基地の南に、東部二村洞という街が作られたことと関係があります。

この時代の韓国は、李承晩大統領の悪政のため疲弊し、バングラディシュ以下の経済状況であり、端境期の春になると、食糧が欠乏し、国民が木の根や山草を求め、仕事を放り出して野山を彷徨い歩くほどでした。

これほどの経済困窮を打開するには、経済大国となった日本との関係を修復する以外にないというのは明白でした。
これを李承晩大統領は頑なに拒み、韓国を米軍の援助物資をたかるだけのタチの悪い乞食国家にしてしまったのでした。
朴正煕大統領がまず第一にしなければならなかったことは、いかにして敵性国家である日本を受け入れるかということでした。

ソウルの韓国人と地理的に隔絶した地域に東部二村洞という日本人居住地域を作り、そこに日本人を受け入れるというのが妥当な結論でした。

さて、東部二村洞という日本人居住地域を作り、そこに日本人を受け入れ始めるようになると、新たな問題が勃発しました。
韓国側が頼りにした通訳が、あまり頼りにならなかったという問題です。

 

龍山線(京義旧線)チェッコリ駅跡のモニュメント。日帝時代、ここにチェッコリ駅があった。1970年代には旅客営業をやめて、駅舎とホームは取り壊されていた。地下鉄二号線弘大入口駅ができたからである。龍山線が現役の貨物線だった頃、ここに来ても、なにもなかったような記憶がある。この駅前の集落が弘大入口の街の最初だった。現在、このモニュメントの地下に、京義・中央線&空港鉄道&地下鉄二号線弘大入口駅がある。

 

今もあるある、通訳があまり頼りにならない問題・・・その1

建設・工学の専門家である理系の日本人が韓国で仕事をすれば、当然、韓国人が今まで見たことも聞いたこともない先進技術を目の当たりにするわけです。
それに驚いた理系の韓国人技術者は、当然、それを知りたいと思うわけです。

そこで、文系の韓国人である通訳に、こんなことを聞いてほしいとお願いするわけです。
さて、文系の韓国人である通訳は、理系の難しいことなど、まったくわかりません。
文系の韓国人である通訳は、理系の韓国人技術者が何を言っているのかさっぱり理解できないのです。

なんと、同じ韓国人同士の間で、話が通じていないのです。
これでどうやって、日本人とのあいだで通訳できるのでしょうか?

 

 

今もあるある、通訳があまり頼りにならない問題・・・その2

何人もの通訳をチェンジし、なんとか、理系の韓国人技術者が何を言っているのか理解できる通訳を連れてきました。

といっても、通訳はあくまで文系の韓国人。
理系の韓国人技術者が言っていることの深いところまでは理解できていません。
理系の韓国人技術者が言うことを、一字一句、日本語に変換して伝えるだけです。

すると、憎たらしいことに、通訳が逆立ちしても回答不能な質問を、日本人技術者は一瞬で理解した様子。

それで、日本人技術者が答えるわけだが、日本人技術者が答える日本語に1対1で対応する韓国語がまだないという、通訳として絶望的な状況に直面することになるのでした。
この状況で、理系の韓国人技術者に、文系の韓国人通訳は、理系の日本人技術者の言うことをどうやって伝えればよいのでしょうか?

そんなの、できるわけがないだろう!!!

 


今もあるある、通訳を通さなかったら、通訳を通すよりよかったというシャレにならない問題

全然通訳できないことに業を煮やした理系の韓国人技術者が、身振り手振り、数式や英語を介して、無理やり直接日本人から話を聞けば、むしろ通訳を介さない方がスムーズに、迅速に意思疎通できてしまったりします。

韓国で仕事をしていると、こういうのは、いつものことで、文系の仕事より、理系の仕事の方がこういう状態になることがよくあります。
数式とか、理系の専門用語とかは、万国共通だから、そうなるってことなのですけれども。
理系の技術者は特に、通訳をあてにしていたら、仕事にならないのです。

 

通訳が役に立たないということが、韓国の学術界で大問題となる

どちらかというと、文系の学問、特に言語学が盛んな韓国の学術界としたら、このような事態は、侮辱、屈辱以外の何者でもなかったのですね。

とにかく、韓国語を学びたいという日本人がいたら、理系の技術者にそんな人がいたら、最高なのだけれども、とにかく受け入れて、韓国の学術界のレベルアップを図らなければならないということになりました。

実際、あてにならない通訳に業を煮やした日本人技術者のなかに、韓国語を学びたいという需要は高かったのでありました。

この状況に、韓国政府は迅速に動きました。

特に延世大学などの語学講座を開講している大学の在学証明があれば、敵性国民である日本人であっても、居住地の制限は設けないという、なりふり構わない策を打ち出してきました。

このとき、延世大学のすぐそば、ソウルでも比較的未開発地が多かった弘大入口周辺に、安下宿、安アパートがあり、ここに、居を構える日本人が増え、第二の日本人街が形勢されるに至りました。

弘大入口に住む日本人は、基本、大学の在学証明が必要だったこともあって、韓国語に堪能な日本人が多かったようです。
その分、弘大入口の住民との交流も多かったようで、弘大入口の街全体が、東京のように垢抜けた明るい雰囲気をもつようになっていった原因にもなってきました。

ソウルの都市化の進展は早く、第二の日本人街としての弘大入口の時代は、それほど長続きしませんでした。

ただ、韓国語ができない人が多かった東部二村洞が比較的閉鎖的で、長く日本人街であったのに対して、韓国語が堪能な日本人の多かった弘大入口の場合は、地元住民との交流が盛んで、開放的な雰囲気が特徴的な日本人街であったため、都市化するソウルの街に素早く馴染んでいきました。

ソウルの西にある空港とのアクセスが抜群に良いので、今でもソウルのなかで、最も日本人の居住者が多い街なのですが、垢抜けたソウルの若者の街としての確固たる地位を築いています。

 

弘大入口駅と合井駅のある通りは、市内バス路線が集中する通りで、特に弘大入口は、ここの近辺を通るすべてのバスが停車する。図では、煩雑になるので、マウルバスの走行経路を載せていないが、マウルバスは、弘大入口駅と合井駅周辺の路地を網羅して走る。旅行者でも、新村、ソウル駅、明洞方面に行くバスは、利用価値が高い。実は、仁川国際空港行き空港バス(6000番台のバス)と、金浦空港行きのブルーバスも、弘大入口バス停発着となっている。空港鉄道で行った方がわかりやすいが、空港鉄道の一般列車の乗り心地がバスに比べてかなり悪いので、バスの方が人気がある。

 

ソウル西部の都市化の進展で、交通の要衝となった弘大入口

ソウルの都市化の進展で、いままで畑が広がっているだけだったソウルの西部、延禧洞・延南洞、鷲岩洞などに、大団地が造成されるようになりました。

日本人からすれば、それってどこよ?っていう場所ですが、これは、ソウル市民でも事情は同じで、韓国人の大部分が知らない場所といっても過言ではありません。
というのも、鉄道空白地帯だからで、ソウルの地図にはまず載らない場所だからです。
ソウルの鉄道網は、北西部が極端に弱く、広大な鉄道空白地帯が広がっています。

ソウル北西部の鉄道空白地帯は、公共交通機関は、ソウル市民の間ではあてにならない交通機関として悪名高い市内バスしかないという場所です。
それゆえ、基本的に、自動車を持っていないと生活できず、この地域の人々が買い物にいくときは、ソウルとは逆の高陽市のショッピングモールに出かけるという都市郊外の生活スタイルになっています。

ここを走る市内バスは、古くは、漢江を渡って、大きな繁華街のある永登浦まで行っていました。
弘大入口でバスを待っていると、ちらほらやってくるブルーバスがその名残りです。
比較的広大な鉄道空白地帯を抜けてくる市内バスは、いずれも長大路線となる宿命があり、効率的な運行を考えたら、渋滞がひどい漢江渡橋は避け、最寄りの地下鉄駅でUターンしたいところです。

大型バスが無理なく効率よくUターンできる最寄りの地下鉄駅が、地下鉄2号線、弘大入口駅と、すぐ近くに隣接する合井駅だけだったのでした。

古くからの繁華街、新村は、昔、新村ロータリーがラウンドアバウト構造をしていたときは、容易に大型バスが無理なくUターンできた関係で、バスターミナルとして賑わっていました。
しかし、新村ロータリーの普通交差点化の後、新村で大型バスがUターンできなくなったので、Uターンできる弘大入口駅、合井駅がバスターミナルとして脚光を浴びることとなりました。

弘大入口は、バス停を中心に発展した歓楽街である。人が最も多いのが道路中央に設置されたバス停であり、バス停に入りきれない乗客が道路にはみ出して危ないのも弘大入口の日常風景である。地下鉄入り口付近に若者がたむろして、携帯電話をいじっているのは、バス停のキオスク端末が不調なのと関係があって、目的地までの市内バス路線を検索する目的がある。弘大入口は、若者が集中するので、携帯回線がパンクぎみで、Wifiの使用率が高いが、地下鉄入り口付近は、地下鉄のフリーWifiと、地上のソウル公共フリーWifi両方が繋がるので、うまく通信できるのである。
日本の携帯電話でも、Wifi接続で、Line通話専用電話として使えば、割高な国際ローミング契約をしなくても、韓国で、充分、携帯電話としての役割を果たす。日本への通話も、日本にいるときと同様に可能である。

 

京義中央線、空港鉄道の駅ができて、ソウル随一の交通結節点に変貌

弘大入口は、地下鉄2号線しか通っていなかったときから、それなりの繁華街でした。
弘大入口のバス停でバスを待っていると、ものすごい数のグリーンバスがやってくるのは、その時代の名残りです。
京義中央線、空港鉄道の駅ができて、仁川市、金浦市、高陽市、坡州市といった、38度線近辺のニュータウンの人々がたくさん訪れるようになりました。
これらの都市から、ソウルへ遊びに行くとなると、今までは1日がかりだったのですが、京義中央線、空港鉄道の駅ができて、片道1時間程度で遊びに来ることができるようになりました。
また、仁川市、金浦市、高陽市、坡州市の自動車を持っている大人は、基本的に郊外のショッピングモールに出かけますが、それができない若者は、電車やレッドバスに乗って弘大入口へ遊びに来るというわけなのです。