大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

朴正煕大統領

 

【任期】

1963ー1979大韓民国中央情報部KCIA部長金載圭による暗殺)

【学歴】

大日本帝国大邱師範学校尋常科卒

大日本帝国陸軍士官学校(第57期)

韓国国防警備隊士官学校入学(2期)

陸軍大学卒、韓国陸軍大将

大日本帝国陸軍士官としてエリート教育を受けた人で、大統領になってからも、大日本帝国陸軍士官としての行動様式は変わらなかった。
朴正煕大統領時代の韓国の政治スタイルは、大日本帝国そのものであり、金日成から極度に警戒された。
A級戦犯被疑者(不起訴により釈放)極右政治家であった岸信介とは親交があった。
田中角栄など、反戦意識が強く、民主主義を正義と言って憚らぬ戦後の日本の政治家とは徹底して反りがあわなかった。

 

5.16軍事クーデターにより、韓国の政権を奪取した時の朴正煕少将(左端)。朴正煕の側には常に側近として車智澈大尉(右端)がいた。車智澈の性格は、非常に猜疑心が強く、極端に自己中心的な性格で、何事も暴力に物をいわせて従わせようとしたため、軍での昇進は遅かった。粗暴なため、韓国の陸軍士官学校に行けず、救済策として派遣されたアメリカの陸軍士官学校で暴行事件を起こすなど、暴力絡みの事件が多かった。反面、自分の信じた正義には非常にストイックという極端な一面もあり、極端なまでに敬虔なキリスト教徒だった。1日2回、朝と夕に牧師を招聘して礼拝を行い、酒とタバコは一切せず、生涯金銭には無縁だった。日本との国交回復は正義であると断じ、反対多数で国会が空転した際、実力行使(暴行)により強行採決し、日本との国交回復を果たす。一旦正義であると確信させることができれば、無茶な仕事でも暴力で突破する人であったため、朴正煕に重用された。1979年10月26日、朴正煕暗殺事件で主犯の中央情報(KCIA)部長、金載圭に真っ先に射殺された。金載圭に対する過酷なパワハラが原因だったといわれる。

【功績】

1.自立した大韓民国の確立

共産主義化の攪乱が目的であった大韓民国を建て直し、自立した国家にした。

2.高度経済成長(国民総生産が北朝鮮を超える)
朴正煕大統領が就任したときには、ソウルといえば、朝鮮戦争の戦災が色濃く残り、粗末なバラックが建ち並び、土埃の舞う未舗装路があるだけだったのが、政権末期には高層ビルが建ち並び、高速道路が縦横に走る大都会に変貌した。このあまりの急激な変化を『漢江の奇跡』という。

3.軍事的にも朴正煕大統領の時代に、北朝鮮を超える
もともと哲学やイデオロギーを重視する傾向が強かった韓国に実利主義、経済優先主義を定着させる。万事消極的で日和見的性格の強かった韓国に「やればできる」という思想を定着させた功績は大きい。

【政治スタイル】

1.臆病で猜疑心が非常に強い性格

2.禁欲的でストイック(戦前の日本の軍国主義教育の影響が強い)

3.反共、反北、用日

日本を徹底的に利用する技術に関しては非常に長けていた。

日本からの戦時賠償金として国家予算の3倍の無償金、有償金、円借款を獲得し、京釜高速道路などのインフラ整備、浦項総合製鉄をはじめとした企業の強化を実施した。
国民にばら撒かず、効果的に戦時賠償金を経済発展につなげた点は評価されるが、日本からの個人補償分として獲得した予算も国民に内緒でインフラ整備、企業の強化にあてたことから、今に残る賠償請求の日韓の見解の違いを生んだ。

4.軍事独裁開発独裁

開発、近代化に対し、感情的になって反対する者を、軍隊、警察を用いてことごとく逮捕、処刑するなど、旧朝鮮総督府の朝鮮統治手法を踏襲した。
ただし、道路やビルの建設用地買収の際には、有無を言わさず、立ち退き対象に指定された住民に大金を渡し、あるいは、出来上がった近代的な高層アパートを与えるなどしたため、国民の評価はそれほど悪くなかった。

また、従来軽視されていた、経済、理工学分野には重点的に予算配分し、研究や事業活動の自由の保証を展開した。

日本の戦後政治を軟弱だと徹底的に批判していたが、高度経済成長をもたらした経済政策は高く評価していた。とはいえ、

「日本は、いったい、いつから大蔵官僚の巣窟になったんだ」

と批判していた。


【目指す国家像】

1.針鼠のように武装した強小国

平和主義を標榜し、軍事力強化に対し反対する者を、軍隊、警察を用いてことごとく逮捕、処刑し、強権的手法で、軍事大国化を進めた。

2.日本を利用して経済発展を成し遂げ、二度と日本に蹂躙されない強大な軍事力を有する経済大国を達成する

北朝鮮との戦争に勝つ程度では、軍事力の強化は不充分であるとした。
日本との戦争に勝つに充分な兵力をもって、軍事力の強化を達成したと評価することとした。

3.核兵器保有を進め、アメリカからの援助なしに政治的独立を達成する

当時、日本を、作る気になったらいつでもすぐに核兵器が作れる潜在的保有国と評価していたのは、他ならぬ朴正煕大統領である。

アメリカが日本に、破格の軍事支援をするのも、いかにして日本に核兵器を作らせないかという難問が存在するためであることを知っていた。

従って、韓国の核保有を軍事力強化の絶対条件とした。

【政治的汚点】

1.民主化運動弾圧

2.北派工作員問題金日成暗殺部隊の派兵、実尾島事件)

1968年、北朝鮮軍第124部隊第1中隊第1小隊に所属する31名が青瓦台に突入し、 朴正煕大統領を襲撃する事件を起こしている。
これをきっかけに韓国も北朝鮮に特殊部隊を送り、最終的には金日成を暗殺することを目論んだ。

3.ベトナム派兵ベトナムにおける韓国軍の残虐行為)

アメリカから経済支援を得るために、韓国軍のベトナム派兵を行った。
アメリカの索敵殺害作戦に同行した韓国軍は、李承晩政権時代に韓国国内で行った大量虐殺手法を遺憾なく発揮し、非戦闘員への徹底的な無差別攻撃や、暴行、殺戮、強姦、略奪を引き起こした。
当初アメリカ軍は、あまりの凄惨な殺戮に引いていたが、滅茶苦茶な殺戮で、ベトナム人へ底知れぬ恐怖感を植付けることにより、効果的に反撃を抑止できたため、アメリカ軍も韓国軍の方式を採用するようになり、映画「地獄の黙示録」で描かれたような、狂気じみた殺戮に埋没していくようになっていった。

4.核兵器開発

特に核兵器開発はアメリカを大いに怒らせた。
アメリカの知る限りにおいて、朴正煕政権時代の韓国は、ソ連よりもはるかに高い科学技術力を持っていたためである。
韓国の核兵器開発が、アメリカではなく、日本攻撃を目的とした核兵器であると説明しても、日本の核兵器開発を何としても阻止したいアメリカが承服できるものではなかった。
このことが朴正煕大統領暗殺事件の引き金になったという説が有力である。

5.日本の国家主権の侵害(金大中事件

KCIA(大韓民国中央情報部)が、日本政府に無断で、日本国内で警察権を行使した事件。
東京都千代田区飯田橋ホテルグランドパレスで、日本に潜伏中だった民主化運動政治家、金大中を白昼堂々、政治犯容疑で逮捕。

正式な裁判なしで日本国内で処刑しようとしたところ、アメリカ政府から、金大中を処刑した場合は韓国に軍事総攻撃をかけると通告され、金大中の釈放要求に、韓国政府が渋々従ったというもの。

金大中は日本で釈放するわけにはいかなかったため、ソウルで釈放し、アメリカの面子を立てた後、改めて政治犯として逮捕している。

この事件の主犯は、大韓民国大使館一等書記官、金炳賛であったが、当時、田中角栄内閣は、特段の配慮から、この事件には一切無関心を装い、特に目立った対応も韓国政府への非難も行っていない。

事件後、韓国政府から日本政府に数億円規模の多額の慰謝料が支払われ、決着している。

戦前と違って大蔵官僚が支配する戦後日本なら、政府はプライマリーバランスしか気にしていないので、何をやっても慰謝料さえ払えば大丈夫。
日本が韓国に軍事侵攻してくることは絶対にありえないというのが朴正煕の考えだったといわれる。

当時の後藤田正晴内閣官房副長官(元警察庁長官)は、戦後日本の最大の弱点を突かれたと言い、この事件の最中、韓国政府が日本国内で多数の日本国民を政治犯として逮捕・処刑するに及ぶ危険性があるとして、秘密裏に、韓国民主化運動と関りのあった日本国の関係者に逃走・潜伏を要請したといわれる。

田中角栄内閣が無関心を装ったのは、日本国の関係者に、逃走・潜伏の隙を作るためだったといわれる。

 

最晩年の朴正煕大統領

歴史的文書をみる限り、特に戦後日本に対しては非常に老獪な政治手腕をみせ、日本政府関係者からも恐れられたが、これで60歳前後と政治家としては若い。
大統領の性格が垣間見える非常に珍しい映像である。
冷徹で危険な独裁者にはふさわしくない非常に人情味のある表情の人であったため、多くの人を惹きつけた
(TV Chosun)

 

【血統】

朝鮮王族とは何ら関係のない高霊朴氏

高句麗人の朝鮮王族に対して、新羅人新羅王族の家系の高霊朴氏という関係にあり、この人が何で大統領になるのかという疑念が広く韓国人の中にあったということは事実である。

従って、誰でもわかりやすい形、軍事クーデターをもって政権を奪取しなければ誰も朴正煕を大統領と認めなかったことは事実であり、強権的な軍事独裁を続けた背景には、常に、この人が何で大統領になるのかという韓国人の疑念と戦う必要があったからであった。

最終的には、朝鮮王族、(財)全州李氏大同宗約院との和解により、大統領としての地位が確定した。


【その他】

この大統領は興味深い逸話が多い。

「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」

「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」
朴正煕選集2 国家・民族・私 p.238


「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」

「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」
「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」
朴正煕選集1 韓民族の進むべき道 p.92
 
日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。 (朴正煕)
金完燮 日韓「禁断の歴史」p.212


「(日本と断交しても)安保、経済に問題はない」、「日本は赤化工作の基地となっている」

文世光事件の時の発言


一國の元首に對して、頗る禮を缺いた話だが、私は敢へて書く、正直、私はその粗食に驚いた、オムレツは中まで硬く、表面がまだらに焦げてゐる。もし日本のホテルだつたら、「これがオムレツか」と私は文句を言つたであらう。が、それを平氣で口にしてゐる青瓦臺の「獨裁者」をまじまじと眺め(後略)

福田恆存福田恒存評論集 第10巻

マクドネル・ダグラス社重役のデービッド・シムソンが100万ドルの小切手を“誠意”として渡すと朴はこう言い返したという。
「あなたが私にくれたこの100万ドルは、私のお金でも、かと言ってあなたのお金でも無い。このお金は、今、私の兄弟、私の子供らが千里他郷で、そして遠くベトナムで血を流しながら戦っているわが息子たちの汗と血と換えたものだ。そのようなお金をどうして一国の父親として私の腹を肥やすのに使えよう。」
それでも薦めたシムソンに対し、朴は
「このお金は持って帰れ。代わりに、このお金分の銃を我々に寄越し給え!」
と言い返したという。