大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

韓国の仏教徒とキリスト教徒との宗教戦争

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エスの実家
住所:
Al-Bishara St 12, Nazareth, Israel(Basilica of the Annunciation内)
電話番号:
+972 4-656-0001(Basilica of the Annunciation)
urlとメールアドレスもあるが、ナザレ市の政情の不安定さを反映してかアクセスできないことが多い。
エスは2000年も前の人なのに、意外にも家が残っている。
聖書批判学の観点で、イエスの実在を否定する宗教学者は多いが、科学者、ことに考古学者でイエスの実在を否定する人はいない。
考古学者は実在したイエスのことを『史的イエス』と呼んで、宗教学者からの攻撃を回避している。
エスには弟妹としてヤコブ、ヨセフ、シモン(シメオン)、ユダ及び妹が2人いたが、イエスが宣教のためナザレを出奔して以来、実質的にこの家の所有者であり、イエスと生前対立していた弟ヤコブは、後にエルサレム教会初代総主教となるなど、早期に保全が進む要因はあった。
夏は40℃を越える猛暑が常態化した土地柄、熱波を避けるため、石灰岩を削って作られている。
地下一階と地下二階があり、作業場(イエスの本業は木工大工だった)と、生活スペースがある。
2000年前とはいえ、中東各地のローマ植民都市に行けば、高い芸術性を誇る高層建築は掃いて捨てるほどあった。
それゆえ、バプテスマのヨハネの弟子、ナタナエルが、イエスの実家のあるナザレを「あんなどうしようもない田舎」と言っている。
現在は、雨が入って傷まないよう、屋根兼高架橋が作られている。
崩壊しないよう一部補強してあるものの、中は2000年前の状態を保っている。
原則立ち入り禁止。
たまに、抽選でツアーが組まれる。
人が立入って傷めないようにするためというよりも、内部に複数の大きな貯水槽があり、落ちて死傷事故にならないようにするためでもある。隣が母マリアの実家。反対側の隣が父ヨセフの実家。

 
 

特に地方では、仏教徒キリスト教に転向する例が目立ちます。
キリスト教の布教を規制する法律を作るべきという政治運動が韓国には存在するほどです。

でも、多数決をすれば、必ず仏教徒が負けるという構図は昔から変わっていません。
もともとキリスト教徒が圧倒的に多い上、熱心な仏教徒の中にも、寺院に対して批判票を入れる人がいるので、仏教側に勝ち目がありません。

韓国の仏教徒がお寺を離れる理由
その1:お布施の使途がブラックである
(檀家に会計報告を発行するお寺などみたことがない)
その2:お布施が信徒の利益に還元されない
(お布施は、100%お寺のことに使われる)
その3:法要は別料金である
(法要の料金は、100万円単位で日常的な御布施とは別料金)
その4:困った時に助けてくれない
(修行以外のことは、お坊さんの事務分掌にはない)
その5:お金の切れ目が縁の切れ目である
(日常的に高額な御布施ができない人は檀家から除名される)

韓国の仏教徒キリスト教会に近付く理由
その1:献金の使途は、必ず文書化される
(牧師謝儀が高すぎるとかいう批判があるケースも多々あるが、毎月会計報告が発行される)
その2:献金は信徒に還元される
(国の生活保護を受けている信徒対象のフードバンク制度があることが多い)
その3:結婚式、葬式は原則無料である
(別途、人件費、会場使用料名目でこころづけを牧師に渡す人が多い:任意)
その4:困った時に、相談にのってくれる
(それで解決するかどうかは別として)
その5:献金の額が多くても少なくても、信徒としての取扱いに違いはない
(金持ちからは文句が出やすい)

仏教徒キリスト教に転向することについて、キリスト教会からみて、これがうれしいことかといわれると、さしてそうでもないようです。
というのも、転向の動機がほぼ100%金絡みであって、信仰(キリスト教)、あるいは衆生求道(仏教)とはあまり関係がないからです。

イエス・キリストの十字架の死と復活を信じますか』
『は? それ何ですか?』
という、何を信じているかわかっていないけれど、とりあえず信徒を名乗る人がでちゃ困るというのがキリスト教会の本音なのですが、結果的に多数でてしまう現実があります。
「とりあえず信徒」でも献金はしてくれるので、キリスト教会にとっては有益とは思うんですけど、真面目な教会ほど「とりあえず信徒」からの献金は、金額の大小に関わらず、断固お断りなのだそうで。
それで、ますます仏教徒からの転向が増えるというあんばい。

 

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韓国の教会は地方に行っても規模は大きいことが多い。日本では珍しいが、十字架を掲げない主義の教会も多いので、ハングルが読めない人には、ただのオフィスビルにしか見えない教会も多い。