韓国の反日運動は、『己未独立宣言書』により定義される政治運動でなければならない
現在の韓国の反日運動の問題点は、韓国人自ら定めたはずの『己未独立宣言書』から逸脱している点にある
韓国の反日運動は、1919年3月1日に制定された『己未独立宣言書』により定義される国際的に認められた政治運動です。
この己未独立宣言書。
北朝鮮政府が親日文書と罵倒するだけのことはあって、今日、日本国憲法下の日本国に生きる我々日本人が見て、パッと見ただけでは、どこが反日なのかまったくわからない宣言書です。
もし、これを反日文書だと言って怒り狂う日本人が、仮にいたとしたら、日本国憲法下の日本国においては、必ずや警察のお世話になるでありましょう。
というのも、実は、戦前の大日本帝国憲法下でも、合法的な政治運動だったからです。
この独立宣言書で特徴的なのは、その戦闘性の希薄さにあって、日本に対する独立宣言でありながら、その日本に対し真の友好関係樹立を呼びかけているところにあります。
己未独立宣言書(写し)
釜山コモドホテルに飾ってあるもの。漢文で書かれているので、日本人にも読める。
己未独立宣言書(朝鮮古文特有の装飾的文章と主旨を色分けしてあります)
宣 言 書(口語訳)
我らはここに我朝鮮が独立国であることと朝鮮人が自主民であることを宣言する。
これをもって世界万国に告げ人類平等の大義を克明にし、これをもって子孫万代に教え民族自存の正当な権利を永久に保有させる。
半万年歴史の権威によってこれを宣言し、二千万民衆の誠忠を合わせてこれを布明し、民族の恒久一の如き自由発展のためにこれを主張し、人類的良心の発露に基因する世界改造の大機運に順応併進するためにこれを提起するものである。
これは天の明命、時代の大勢、全人類共存同生権の正当な発動であり、天下何者といえどもこれを阻止抑制することはできない。
旧時代の遺物としての侵略主義、強権主義の犠牲となり有史以来数千年で初めて異民族に束縛される痛苦を嘗めてからここに十年が過ぎた。
我が生存権が剥喪されたのはどれほどか、心霊上発展が障礙されたのはどれほどか、民族的尊栄が毀損されたのはどれほどか。
新鋭と独創によって世界文化の大潮流に寄与、補裨できる機縁をわれらはどれほど遺失したであろうか。
噫旧来の抑欝を宣暢しようとすれば、時下の苦痛を擺脱しようとすれば、将来の脅威を芟除しようとすれば、民族的良心と国家的廉義の圧縮銷残を興奮伸張しようとすれば、各個人格の正当な発達を遂げようとすれば、可憐なる子弟に苦恥的財産を遺与しないようにするならば、子々孫々の永久完全なる慶福を導迎しようとすれば、最大急務は民族的独立を確実にすることである。
二千万各個人が方寸の刃を懐にし、人類の通性と時代の良心が正義の軍と人道の干戈とで護援する今日、我が進んで勝ち取るのにどんな強さが挫かせられるだろうか、退いて作すのに何の志が展するだろうか。
丙子修好條規以来時々種々の金石盟約を食んだとして、日本の信の無さを罪しようとするものではない。
学者は講壇で、政治家は実際で我が祖宗世業を植民地視し、我が文化民族を土昧人遇し、ただ征服者の快を貪るだけで、我が久遠の社会基礎と卓越する民族心理を無視するものとして、日本の義の少なさを責めようとするものではない。
自己を策励することに急ぐ我は他を怨尤する暇はない。現在を綢繆することに急ぐ我は宿昔を懲弁する暇はない。
今日我の所任はただ自己の建設にあるだけで、決して他を破壊することにあるのではない。
厳粛な良心の命令によって自家の新運命を開拓しようとするものであり、決して旧怨や一時的感情によって他を嫉逐排斥するものではない。
旧思想、旧勢力に覇靡されている日本為政者の功名的犠牲である不自然で不合理な錯誤状態を改善匡正して、自然で合理な政経の大原に帰還させようとするものである。
当初民族的要求に出されない両国併合の結果が、畢竟姑息的威圧と差別的不平と統計数字上虚飾の下で利害相反する両民族間に永遠に和同することのできない怨溝を去益深造させた今来実積をみよ。
勇明果敢をもって旧誤を廓正し真正な理解と同情とを基本とする友好的新局面を打開することが、彼と我が間の遠禍召福の近道であることを明知すべきではないだろうか。
二千万含憤蓄怨の民を威力で拘束することは東洋の永久の平和を保障する理由にならないだけでなく、これによって東洋安危の主軸としての四億万中国人の日本に対する危懼と猜疑を濃厚にし、その結果として東洋全局の共倒同亡の悲運を招致することは明らかである。
今日我の朝鮮独立は朝鮮人に正当な生栄を遂げさせると同時に、日本を邪路から出て東洋支持者としての重責を全うさせ、中国に夢にも逃れられない不安恐怖から脱出させ、東洋平和に重要なる一部をなす世界平和、人類幸福に必要な階段とさせるものである。
これがどうして区々たる感情上の問題なのであろうか。
ああ新天地は眼前に展開された。
威力の時代は去って道義の時代が来た。
過去全世紀に錬磨長養させられた人道的精神は、今や新文明の曙光を人類の歴史に投射し始めた。
新春は世界に来て万物の回蘇を催促しつつある。
凍氷寒雪に呼吸を閉蟄したのも一時の勢いとすれば和風暖陽の気脈を振舒するのも一時の勢いであり、天地の復運に際し世界の変潮に乗じた我はなんらの躊躇なく、なんら忌憚することもない。
我に固有の自由権を護全し生旺の楽を飽享し、我に自足の独創力を発揮し春満てる大界に民族的精華を結紐すべきである。
我らはここに奪起した。
良心は我と同存し、真理は我と併進する。老若男女は陰欝な古巣から活発に起来して、万彙群象とともに欣快な復活を成し遂げる。
千百世祖霊は我らを陰佑し、全世界気運は我らを外護する。
着手はすなわち成功であり、前頭の光明に驀進するのみである。
公 約 三 章
一、今日我らのこの行動は正義、人道、生存、尊栄のための民族的要求であり、自由的精神を発揮するものであり、決して排他的感情に逸走してはならない
一、最後の一人まで、最後の一時まで民族の正当な意思を快く発表せよ
一、一切の行動は秩序を最も尊重し、我の主張と態度をあくまで光明正大とすること
朝鮮建国四千二百五十二年三月一日 朝鮮民族代表
孫秉熙 吉善宙 李弼柱 白龍城 金完圭
金秉祚 金昌俊 權東鎭 權秉悳 羅龍煥
羅仁協 梁甸伯 梁滿默 劉如大 李甲成
李明龍 李昇薫 李鍾勳 李鍾一 林禮煥
朴準承 朴熙道 朴東完 申洪植 申錫九
呉世昌 呉華英 鄭春洙 崔聖模 崔 麟
韓龍雲 洪秉箕 洪基兆
己未独立宣言書運動に関する虐殺事件が朝鮮で起きた背景には、大日本帝国政府の構造的な欠陥があった
では、己未独立宣言書の何が問題であったのかというと、大日本帝国憲法を守る気はさらさらなかった超法規的組織、朝鮮総督府の意向に反していたということでした。
1919年3月1日時点において、日本陸軍に事実上所属していた朝鮮総督府は、大日本帝国憲法を守らなくてもよい組織でありました。
朝鮮総督府は天皇の命令だけに縛られる憲法からも内閣からも独立した組織
軍は憲法からも内閣からも独立した組織であり、その下部組織である朝鮮総督府は、首相がコントロールできないという構造的欠陥を有していました。
つまり、朝鮮総督府は、大日本帝国憲法が禁止する民族的虐殺行為や、朝鮮人の人権蹂躙を、首相の意向を気にすることなく、進めることができました。
現在韓国で反日運動のネタとなっている日本の植民地支配の蛮行は、日本軍部の暴走と言い替えることができます。
朝鮮総督府に言うことを聞かせようと思ったら、かつての倒幕の志士が動くしかない
大日本帝国政府が朝鮮総督府に言うことを聞かせようと思ったら、かつての倒幕の志士で構成される元勲(戦前にいた天皇に命令できる特別な人)が裏で天皇と非公式に調整をとる必要がありました。
朝鮮総督府は設立当初より暴走の危険があることは、皆が指摘するところであり、暴走を抑止するため、朝鮮総督に筆頭格の元勲である伊藤博文が任命されていたのでした。
しかし、朝鮮総督府No.1で元勲の筆頭格であった伊藤博文は、朝鮮総督府No.2の元陸軍大臣、寺内正毅とは、どうしようもないほど反りがあわなかったといわれています。
その理由は、寺内正毅が天皇の統制を邪魔に思っていた節があるという点に尽きます。
天皇を殺すわけにはいかないが、伊藤博文がいなくなれば、事実上、天皇と朝鮮総督府のパイプは切れるため、伊藤を殺せば、寺内のやりたい放題できるということになります。
1909年、ハルビン駅頭での伊藤博文暗殺事件の際、安重根が伊藤と誤認して、宮内大臣秘書官、森泰二郎を誤射した機を捉え、寺内の命を受けた警護兵らが、邪魔な伊藤を射殺したという説が、かつて何度も否定されましたが、現在、日本人研究者だけではなく、韓国人研究者からも広く支持されています。
朝鮮総督府による朝鮮人無差別虐殺を危険視したのは他でもない大日本帝国政府
己未独立宣言書運動は、伊藤博文暗殺事件の後の出来事ですから、寺内のやりたい放題となった朝鮮総督府による朝鮮人無差別虐殺を招きました。
この知らせを聞いて驚いたのは、他でもない大日本帝国政府そのものでした。
日本国内の知識人階級も朝鮮総督府を危険視しました。
朝鮮総督府の暴走、すなわち軍部の暴走を放置すれば、大日本帝国はいずれ瓦解しかねないと危険視する意見が相次ぎました。
実際、大日本帝国は、1941年12月9日軍部の暴走による対米開戦により、瓦解しています。
元勲の調整で、朝鮮総督府に朝鮮統治方針の変更を迫った経緯があります。
大韓民国は、国家存立の基盤であるはずの己未独立宣言書の改訂を主張する
現在の大韓民国政府は、己未独立宣言書の正当な継承者であると主張しています。
しかし、大韓民国が、建国の父、李承晩が、自らの王朝を建設せんがためにアメリカの軍事力を背景にした私的国家としてスタートした経緯とあいまって、残念なことに、国是であるはずの己未独立宣言書の改訂を主張する者が多々おり、
『排他的感情への逸走』
『無秩序で欺瞞に満ちた態度』
『感情的な行動により、東洋全局の共倒同亡の悲運を招致すること』
の3点において、宣言書のうたう新生朝鮮の姿と似ても似つかないのであります。
さらに、李承晩は、朝鮮総督府の蛮行の手法を手本とし、独立後、自国民に向かって無差別大量虐殺を何度も行い、挙句の果てに、済州島の住民が根絶されるという済州島四・三事件を起こします。