初代朝鮮王、李成桂が、明王朝と安保条約を結んで、共通の敵、満州族と対峙したのが最初だったから
悪名高き中国の植民地化政策、『冊封制度』は、もともと単なる安全保障条約だった
韓国でよくある説明では、『冊封』とは、事大主義(中国を無条件で称揚する考え方)の産物と説明される場合が多いですが、朝鮮王の族譜(家系図)に付属する業績書を読んでみると、つじつまがあわないことが多いので、私はその説は間違っているのではないかと思っています。
朝鮮王の族譜によれば、中国の王朝でも明王朝は善、清王朝は悪とはっきり書かれており、『冊封』とは明王朝の時代、朝鮮と中国の共通の敵、満州族を討つための安全保障条約としての色彩が強いものだったようです。
私はその説を採用したいと思います。
『冊封』は、朝鮮王朝初代王、太祖(李成桂)の身分保障がそもそもの目的
『冊封』の開始は、朝鮮王朝初代王、太祖(李成桂)がなぜ朝鮮王になったかということと深い関係があります。
李成桂の家系(全州李氏)は、もともと全羅北道、全州に住む高句麗民族末裔の両班(貴族)でしたが、高麗(後高句麗)王から謀反を疑われ、一族抹殺の危険を察知して、当時、元王朝(モンゴル)が支配していた咸鏡道北部(現在の北朝鮮)に一族180人引きつれて亡命します。
これを元王朝は歓迎し、李一族に、女真族(現在の満洲族)統治を任せました。
元王朝に相当嫌われ、忌避されていた高麗王朝
高麗の性格として、国政は、万事大雑把、いい加減だったようです。
元王朝の日本侵略(元寇)に際して、元王朝は遊牧民の出自であったことから、船舶の建造技術が未熟で、船舶の建造を高麗に任せるしかありませんでした。
ところが、高麗の量産した軍船は、玄海灘をまともに航行できないほどの欠陥船であったようです。
そして、航海の知識のない元王朝は、高麗の言うがまま、その欠陥船で、台風の季節に日本を侵攻するという極めて無謀な軍事行動をとったことから、元軍は壊滅の憂き目をみました。
その箸にも棒にもかからないデタラメ王朝であった高麗のなかで、生真面目で細かい性格の李一族の優秀さは元王朝の知るところとなり、元王朝は李一族を高く評価しました。
それが原因で、李一族は高麗王から謀反を疑われたのでした。
元王朝崩壊で、李家の統治する地域(満洲)が独立国化したが、それが気に入らなかった高麗王
元王朝が崩壊すると、李家の統治する地域が独立国化したわけですが、この時の全州李氏は、高句麗民族の末裔であるという意識が高かったため、高麗王の懐柔を受けいれ、李家の支配地域、満洲は高麗に吸収合併されます。
この頃に咸鏡道北部で初代朝鮮王の李成桂(太祖・・・太祖は諡)は生まれています。
いっぺんは満洲族の国を運営したことのある李成桂が、デタラメな高麗王朝に嫌気がさしたのが朝鮮建国の理由
中国の歴史書によれば、高麗王朝では、王位継承者を場当たり的に決めていたので、王の後継を決めるに際し、内戦が起こるのが恒例だったようです。
そもそも全州李氏が咸鏡道に亡命しなければならなかったのは、王位継承問題で謀反を疑われたのが原因であったわけで、当時の李一族の頭領、李成桂は高麗に帰ってきてはみたものの、またもや謀反事件に巻き込まれ、お家断絶の危機に陥りました。
いっぺんは満洲族の国を運営したことのある李成桂が、そんな高麗王朝に嫌気がさしたのは当然のことで、腐敗のない規律正しい国家を作ろうと考えた。
これが明国が記録する朝鮮王朝建国の理由です。
韓国人が各家庭で族譜(家系図)を編纂するようになったのも、この高麗王朝の王位継承問題と関係しているといえます。
朝鮮王朝とは中国東北部に根を張った大木
ところで、朝鮮王朝とは、中国東北部に根を張った大木に例えることができます。
中国東北部の経済活動で得た利益(養分)をもとに国家運営を行っていたということがわかっています。
だからこそ、明国の面子を立て、明国皇帝の任命を受けて国家を成立するということをしていました。
これが『冊封』です。
明国特使の接遇は朝鮮王朝の重大な国家行事となり、明国特使を御馳走攻めにして、とっとと国に帰すための韓国の宮廷料理文化が発展していくことになります。
中国明王朝は、元王朝と同じくモンゴル系の血統の王族の統治する国家で、出自が遊牧民である性格を生かし、シルクロードを舞台とした国際貿易を得意とする国家でした。
もともと満洲の遊牧民であった高句麗人の末裔、李成桂も国際貿易は得意中の得意。華々しく経済的成功を收めました。
この時発展した物流に紛れて、ポルトガル人が日本の種子島に漂着しています。
日本もこの経済的成功の御相伴にあずかり、絢爛豪華な安土桃山文化が開花することになりました。
それまで、中国奥地の風土病であったペストと天然痘が、明王朝と朝鮮王朝の国際貿易によって、世界中にバラ撒かれるという事件が起こりました。
日本は江戸幕府、徳川綱吉の時代のことです。徳川綱吉は、それまで莫大な利益を叩きだしていた朱印船貿易を停止、一転して厳しい鎖国政策に転換し、日本でのパンデミックを防ぎきります。
その反動で、江戸幕府は急速に財政状況が悪化し、綱吉の時代以降、江戸幕府は財政難に苦しむようになります。
ペストと天然痘にやられ、明王朝が壊滅。よりによって、朝鮮王朝が支配していた満州族が中国の覇権を握って、清王朝を建国。あとは朝鮮に積年の恨みを晴らすのみ
中国清王朝は、積年の恨みを晴らすため、人類の歴史が続く限り、永遠に朝鮮王朝に嫌がらせを続ける目的で、朝鮮王朝を生かさず殺さずという状態で強制的に存続させ続ける方法を模索しました。
その妙案が、明王朝の『冊封』制度を悪用することでした。
まず、朝鮮王朝の生命線である中国東北部の経済活動を禁止し、大木である朝鮮王朝を枯らしてしまいます。
その状態で、朝鮮王朝に莫大な税金を課しました。
その結果、朝鮮王朝は、国全体が乞食の様相を呈するまでに荒廃し、目を覆うばかりであったということでした。
通常なら、中国に併合されて終わるところであるのですが、清王朝はあえて朝鮮国王を強制的に任命し、どんなに落ちぶれても、国家が滅亡することを許さなかったというというものになります。
無知から、永遠のオシオキ制度 『冊封』をぶっ壊して中国に恨まれることになった日本
明治に入って、ロシアは、世界情勢には全く無関心な清王朝なら倒せるだろうと、シベリア鉄道を着々と建設してくるようになりました。
そうなると、次に侵略されるのは日本だと考えた明治政府は、おせっかいにも、中国清王朝が永遠に朝鮮をオシオキしつづける制度に改変した『冊封』をぶっ壊して、東アジア全体を近代化しなければならないと考えました。
当然、中国は日本を嫌いになるわな。
そして、朝鮮も表立って親日になるわけいかんわな。
それが長年続いてきた大陸の事情ってもんやし。