パンスタードリーム号。全長160m、幅25m。瀬戸内海を航行する時、他の船舶と併走可能なサイズ(全長200mを超えると、周囲の他船は停船が必要)。オーソドックスな三菱造船所スタイルのカーフェリーで、どこからみても日本船にしか見えない。外洋航行能力の高さが特徴。小回りは効かない。収益のほとんどは貨物フェリー事業のコンテナ運送で稼ぎだしており、旅客輸送はほんのオマケ。在日韓国人のライフラインの維持が目的。それでも旅客サービスがよいのは、船旅好きの社長のこだわりによるもの。社長の趣味は上等級に行けば行くほど強く反映されているので、上等級にあえて乗った方がお得。例えば、フランス料理のフルコースがサービス(無料)で提供されるとか。公海上で船から打ち上げ花火を打ち上げたこともある。いいのかな。
パンスター・ドリーム(PANSTER DREAM)号とさんふらわあ号の深い因縁
パンスターライン社によって復活した大阪−釜山航路
許永中氏の開設した大阪国際フェリーは、イトマン事件の影響で廃業しましたが、それから10年ほど経って、大阪−釜山航路は、韓国パンスターライン社によって復活しました。
パンスターライン社の社長は、さんふらわあ号創案で有名な照国郵船の中川喜次郎と似ている
パンスターライン社の金 泫謙(キム・ヒョンギョム)氏は、若い時から、豪華カーフェリーで韓国と日本を結ぶ航路を開設する夢があったのだそうです。
日本にもこんな人いましたね。
そう、照国郵船(現・マリックスライン)代表、日本高速フェリーの創業者にして、豪華高速カーフェリーさんふらわあシリーズを創設した中川喜次郎です。
中川喜次郎がいなければ、現在の金 泫謙氏はいないというくらい、この2人は因縁があります。
豪華高速カーフェリー、さんふらわあ号を建造し、世に問うた中川喜次郎
中川喜次郎は、低速で貨物輸送中心、安価で難民船並みの低レベルな詰め込み旅客輸送に終始していた日本のフェリーの伝統を完全に無視し、船旅の高級レジャー産業化を図るため、豪華高速カーフェリーを多数建造し、照国郵船の本拠地、鹿児島と本州を結んだのでありました。
しかし、当時の日本人は、豪華高速カーフェリーなんかに見向きもせず、中川喜次郎の事業は失敗に終わったのでした。
先を行き過ぎた、さんふらわあ事業は失敗して挫折したが
今となってはなかなか先見の明があった話で、豪華な接客設備を誇るさんふらわあ号シリーズは商船三井系列の船会社により引き継がれ、現在も運行を続けています。
ところで、中川喜次郎の事業失敗の影響で、行く先がなくなった船に、『さんふらわあ くろしお』号がありました。
中川喜次郎の事業失敗の影響で『さんふらわあ くろしお』号が所属先を失ったことからコトが始まる
『さんふらわあ くろしお』号は運輸施設整備事業団の発注で三菱重工業下関造船所で建造され、1997年7月1日、初代さんふらわあ号に代わり、東京 - 那智勝浦 - 高知航路に就航しました。
中川喜次郎の設計の初代さんふらわあシリーズの問題点であった、極端に豪華すぎる点と、船の収益の柱であったトラック積載スペースが小さすぎるという問題点を改善し、収益性を向上し設計の船となっていました。
『さんふらわあ くろしお』号は、外洋を航海する能力が重視された設計という、さんふらわあ号の基本コンセプトは遵守されていたが
中川喜次郎はもともと、日本−ホノルル間のカーフェリー航路を開設するつもりでした。
そこで、その目的で建造されたのが、さんふらわあ号でした。
それゆえ、中川喜次郎氏絡みのさんふらわあ号のこだわりとして、条件の厳しい太平洋を航行できることが必須条件というのがあり、『さんふらわあ くろしお』号も、外洋を航海する能力が重視された設計となっていました。
日本政府発注船だった『さんふらわあ くろしお』号は、交通刑務所と見紛うほどだったという問題もあり・・・
竣工当時の『さんふらわあ くろしお』号の船内のコンセプトは「浴衣でくつろぐ船の旅」でした。
和風旅館をイメージした内装だったそうです。
が、その実態は、いかにも政府発注船で、交通刑務所もかくやという感じの無骨な作りで、特等室・一等室は独房、二等室は雑居房といった感じで、「浴衣でくつろぐ」には程遠かったのだそうです。
運賃が安い国内航路を運行した『さんふらわあ くろしお』号は、徹底的に儲からない船だった
『さんふらわあ くろしお』号は、安価で難民船並みの低レベルな詰め込み旅客輸送ができない構造だったため、軒並み日本の船会社から嫌われました。
どのぐらい嫌われたかというと、会社を潰す貧乏神、疫病神とさえ言われていました。
2001年10月1日、航路廃止により定期航路から引退しましたが、機関故障で長期離脱したスターダイヤモンドの代船として、2001年10月から12月までダイヤモンドフェリーの神戸 - 別府航路に就航しました。
外洋を航海する能力が重視された設計が仇となり、瀬戸内海航路では小回りが効かず操船が困難を極め、設備は難民船レベルでも小回りの効くスターダイヤモンドが修理復活すると、ダイヤモンドフェリーはさんふらわあくろしお号を手放してしまいました。
会社を潰す貧乏神、『さんふらわあ くろしお』号を拾ったパンスターライン社
このとき、大阪−釜山航路開設を模索していたのがパンスターライン社の金 泫謙(キム・ヒョンギョム)氏で、条件の厳しい太平洋を航行でき、設備も、従来の日韓航路のオンボロカーフェリーと比べれば豪華だった『さんふらわあ くろしお』号は、まさに金 泫謙氏の夢を実現できるうってつけの船でした。
考えていることが、さんふらわあ号の生みの親、中川喜次郎とおんなじなんだから、さんふらわあ号がベストだったというのは当然の結果。
しかも、日韓航路は、日本国内航路と違って、運賃単価が十倍以上の高額路線。
四方を海に囲まれた日本の国境を跨ぐ路線の場合、運賃の競合相手は、事実上、飛行機だけなので、飛行機の普通運賃(ディスカウントなしの運賃)よりちょっと安いくらいの運賃が運賃相場になっています。
会社を潰す貧乏神は、パンスターラインのフラグシップに生まれ変わったのでした。
さんふらわあ号本来の豪華路線に改装された『さんふらわあ くろしお』号は・・・
優秀な日本船ということで購入した韓国のパンスターフェリーが解決しなければならなかったのは、交通刑務所もかくやという感じの無骨な内装。
なんぼなんでも交通刑務所では商売にならないということで、特等、一等はロッテホテル並み、二等はコンドミニアム並みの豪華内装に大改装されました。
ステージ付き大食堂の設置だけに飽き足らず、通路もロビーも大改装。
コンビニ、エステ、カラオケルームまで作って、韓国で当たり前のホテルのサービス水準を船内で提供しています。
さんふらわあ号は、もともと船の骨格の設計が、豪華内装を前提としたものだったのは幸運でした。
韓国では、日本の中古船を豪華改造することが一時期流行りましたが、タネ船が難民船並みの低レベルな詰め込み旅客輸送を前提とした設計の船だった場合、失敗した例が多かったのです。
会社を潰す貧乏『さんふらわあ くろしお』号が、さんふらわあシリーズでは最も長命な幸運船、パンスター・ドリーム(PANSTER DREAM)号となり・・・
韓国で徹底的に内装を改装したうえ、パンスター・ドリーム(PANSTER DREAM)号となり、釜山港と大阪南港を結ぶ国際航路に2002年4月から就航しました。
日韓航路は、なんぼ腐っても高額な運賃単価の国際航路。
『さんふらわあ くろしお』号の外洋を航海する能力が重視された設計が遺憾なく発揮されることとなり、以後20年以上にもわたって釜山 − 大阪 航路で活躍しています。
中川喜次郎氏の事業失敗の影響で、行く先がなくなった、さんふらわあシリーズの中では、最も長命な幸運船となったのでした。
ちなみに、パンスタードリーム号。
所有は韓国のパンスターラインですが、船籍は東京。
航路の大半が日本領海なので、日本船にしてあると、緊急時に直近の国内専用港に入港できて(不開港場へ寄港する権利の保証:船舶法3条)、安全確保上都合が良いのだそうです。
船舶法上、日本の商船旗である日の丸を掲揚しなければいけない変わった韓国商船です。
もっとも、韓国船なのに日の丸を掲揚するというようなことは、韓国では許されないことなので、普段はパンスターラインの社旗を掲揚しています。
日韓航路の場合、星希号(パナマ船籍)など一部の例外を除き、安全確保上の問題から日本船籍にしてあることが多いようです。
もっとも、全長200mを超える船は、入港が他船の出入りの少ない夜間・早朝に限られてしまうため、あえて全長を199m以下に抑えてある場合が多いようです。
ホテルではありません。1等客室です。日本船だと、当然ホテル関係者が運送業の船舶に関わってくることはないため、こういう内装デザインにするという発想はそもそもありません。この船で注意すべき点は、乗っている人があくまで船舶であるということを忘れてしまう居住性。上等客から船員へのクレームも、ホテルのサービスとしてどうよ?といった類のクレームがほとんど。これはあくまで船なので、我慢してくださいとなるのがいつものパターン。船が旋回すれば、当然部屋ごとカーブ外側に傾くわけで、机の上に置いたコップのジュースが落ちるということが普通にあります。
さんふらわあ号名物、船体後部の多客期詰め込み輸送用2等客室は、乗務員居住区画になっており、和風旅館そのままの内装の大部屋のまま使われています。車両甲板の下に、本来の乗務員居住区画があるはずですが、どうなっているかは知りません。