大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

大韓民国式セーラー服


そもそも日本でセーラー服が開発された経緯

・・・それは、先代の女学校の制服である矢絣に袴が大失敗であったから

セーラーカラーと呼ばれる、独特の形状をした大きな襟が特徴の制服。
もともとは、イギリス海軍の軍服として開発されたもので、当然男性用の服なのですが、極東、日本において、このデザインが女性用の服として、使いやすかったことから、着物から洋服への転換期、爆発的に普及したという経緯をもちます。

セーラー服が普及する1代前の女性の服といえば、矢絣に袴。
学校に通うことのできる女性は上流階級に限られました。

江戸時代の裾をひきずる着物では体育ができないという理由で、行灯袴に靴を履かせたのがはじまり。
現在は、女子学生の卒業式の定番衣装として定着していますが、現役で制服として使われていた時代には非難ゴーゴーの嵐。

 

矢絣に袴が大失敗だったのは、袴と靴は男だけのものというのが常識だったから

袴と靴は男のものと決まっていたので、後ろ姿では男か女かわからんと非難されたというのです。
当時、女性の男装は、現在の男性の女装以上にOUTだったのです。

それゆえ、遠くから一目で女性だと判別できるように、女学生は、長髪で豪華に髪を結う必要に迫られたと言います。

 

セーラー服は、極めて高いハードルを越えて女子学生のアイコンになった

時は日露戦争直後の時代。
健康で活動的な良妻賢母の育成は急務であった時代。
女性だからといって、50メートル競走ができないんじゃ困ります。
それで、矢絣に袴は時代遅れとなってしまいました。

前回の失敗を教訓に、遠くから一目で女性だと判別でき、50メートル競走ができる活動的な洋服を女子学生の制服にする必要がありました。
セーラー服は、その点、ぴったりでした。
男性でも生まれて初めての洋服は軍服だったという人が多くいた時代。
『セーラー服は女性用の軍服』という位置づけで、押し切ったというあんばい。

 

セーラー服は日本人が韓国に持ち込み、韓国でも女児服として定着した

ちょうどセーラー服が生まれた時代と、韓国が日本の植民地になった時代と、ほぼおんなじで、「日本人の着ているもの」として韓国にセーラー服が入ってきます。

これに反発して、活動的なチマチョゴリを開発したといわれる柳寛順という人が有名です。
現在に残る写真と、反日運動の歴史資料は食い違っている部分もかなり多いので、何が正しいのかは、今となってはよくわかりません。

とりあえず、『柳寛順チョゴリ』は、愛国的な服装として、現在も北朝鮮の女子学生の制服として使われています。

ちなみに、柳寛順はれっきとした大人ということになっていて、女学生ではなかったので、北朝鮮では、『柳寛順チョゴリ』は大人の女性でも着るものと認識されているようです。
朝鮮学校チマチョゴリとして日本でも広く知られているアレです。

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柳寛順が熱烈な愛国主義者だったということは間違いはないのだけれど、最近のグレタ・エルンマン・トゥーンベリという人(環境保護団体)とよく似た感じの人。どう見ても中学生ぐらいの年齢で、写真をみると、柳寛順本人が着ていたのは、いわゆる保守的な朝鮮王朝時代と同じ丈長の女児用の上下白色の韓服。他の女の子達が、当時流行の女児用の上が白で下が紺色のチョゴリを着ているのとは対照的。

 

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いわゆる『柳寛順チョゴリ』。とりあえず、日本のセーラー服の向こうを張ってつくられたものであるらしい。北朝鮮製だけではなく、韓国製、日本製もある。品質では、日本製、韓国製、北朝鮮製の順。

 

韓国でも女子学生の制服として採用されたセーラー服

一方、韓国ではセーラー服が1950~1970年代まで、主として中等学校の制服として使われています。

 

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現在も、韓国人の家の物入れに眠っていることが多々ある。1950~1970年代の女の子は栄養状態が悪く、小柄な娘が多く、現在残っているものも非常に小さいサイズであることが多い。上着の丈が長いこと、袖口がパフスリーブになっていないこと、スカートが箱ひだや車ひだではないことなど、戦前、日本人の女の子が着ていたセーラー服の形を踏襲している。ラインの縫いつけが面倒なのと、据わりのよい襟にするのに技術が必要なことから、洋服屋から嫌われたようである。

 

韓国では、セーラー服は廃れ、『バスガール型』へ移行

その後、韓国の制服は、いわゆる『バスガール型』と呼ばれる、日本では大正時代に、セーラー服と制服の座を争って没になったタイプが普及します。

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韓国で1970~1980年代に普及した型。現在も京畿女高など一部で使われている。日本では、戦前、セーラー服と並んで採用されることの多かった型。ただし、「バスガールみたいでふしだらだ」と父兄から猛反発を喰らってセーラー服になった学校が相次いだ。大正時代、バスガールは女性のあこがれの職業であったが、江戸時代生まれの御老人達からは売春婦並みに認知されていたらしい。

 

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朴正煕時代の中学生。ハングルの立看がなければ、日本と区別がつかない。
韓国ではこれが軍事政権のイメージと重なり、金泳三時代に改革のターゲットになった。

 

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京畿女高(公立)では現役の制服。襟の形が単純で、スカートがプリーツのないAラインスカートで製作が簡単という点で製造業者にウケた。襟の切れこみが深いので、下着は見えやすい。

 

韓国でセーラー服が廃れた最大の原因は、縫製の難しさ。
座りの良い襟を作る難しさはもちろんのこと、白いライン(平線・蛇腹線)を平行に真っ直ぐ縫い付けるのに物凄い縫製技術を要したから。

実は、平成不況の最中、日本でセーラー服が廃れた最大の原因も同じ。
セーラー服は韓国や中国に外注することができず、どうしても日本国内で縫製しなければいけなかったので、コストダウンに邁進していた当時の制服屋さんはいろいろ理由をつけて、セーラー服の廃止を積極的に進めていたようです。

韓国では、その後、学校の権威主義的な要素が嫌われたようで、現在では、権威主義的な要素を排除したブレザーやポロシャツが『教服』として使われています。

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現在の韓国の教服。どちらかというとこちらが主流。
あまりのダサさに、学生からの人気は、はっきり言って相当低い。

 

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日本のセーラー服の人気は抜群に高い。背景は韓国のムグンファ号一般客車
韓国のアイドルがセーラー服でプロモーションビデオを作って、日本と聞くと何でも噛みついてくる愛国者団体相手に物議を醸すなんてことは日常茶飯事。一種の炎上商法ですな。


日本からの修学旅行生が、セーラ服着て集団でソウルの街中を歩いた日には、ソウル中、韓国人女子高生の発信した目撃情報の写真がカカオとLineで飛び交う事態となる。