大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

身内にはやたら寛容で、よそ者には無愛想な韓国人

 

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身内には寛容。よそ者には無愛想。これが韓国人のデフォルト

相手が日本人だろうと、中国人だろうと、韓国人だろうと関係ない

基本的に韓国人は、家族と家族以外の関係は非常に強く区別します。
基本、よそ者は仲間外れです。
こういう人間関係の取り方をする民族は多く、日本のような社会は、世界でもむしろ少数派なのです。

 

身内とよそ者を区別する符丁として、あだ名で呼ぶ文化がある

あだなの付け方には法則性があって、日本人が使うあだ名とは、かなり雰囲気がちがいます。
とりあえず、韓国人同士では、基本的に名前で呼び合うことはありません。
「ソウルの家」「安東のおばの夫」「釜山のおばさん」
関係ない人が聞いたら、だれのことやらまったくわからないというのが普通です。

韓国人の説明では、韓国では直接名前で呼び合うのは非常に失礼なことで、あだ名で呼ぶことが礼儀なのだと説明します。
私は、常々、この説明はおかしいなと思っていました。
というのも、直接名前で呼ばれてしまう人もそこそこいるからです。
それは、礼儀をわきまえなくなった最近の悪い傾向と韓国人は言います。
でも、なんかおかしい。

その理由は、たまたま族譜(家系図)を調べていたとき偶然発見したのですが、日本が朝鮮を植民地化する以前の朝鮮人には、名前のない人、「名無し」という人が結構いたのです。
こういう人を呼ぶとき、名前がそもそもないので、あだ名で呼ぶしかありません。
それも、「ソウルの家」「安東のおばの夫」「釜山のおばさん」といった感じの。

実は、朝鮮王朝時代、名字はおろか、名前すら、ある程度高貴な身分の人にだけ許されたもので、女性ともなれば、大部分はかなり身分が高くても「名無し」だったようです。

逆に、高貴な身分の人は、名前を複数持つのが当たり前。
族譜と通名が異なるケースも普通にありました。
となると、名前を持っている人でも名前で個人を特定することが難しいわけで、誰もがわかるように個人を特定しようとなったら、あだ名で呼ぶしかありません。
それも、「ソウルの家」「安東のおばの夫」「釜山のおばさん」といった感じの。

ということで、その話を老年の韓国人にして、本当のところ、どうなんですか?と聞いたら、
「そんなん、知るか!!おまえは、いったいどこの民族だ!!」
と言われました。

 

学校や会社でもあだ名が横行し、それがわからない人は、部外者という位置付け

面白いのは、幼稚園とか小学校の保護者の呼び方が「○○君のお母さん」「○○ちゃんのお母さん」ということになっているということです。
これで話の通じる人たちは身内ということになります。

同様に、自分の住む町内でも、『洞長(町内会長)(ドンチャン)』、『(市役所の)主査(チュサ)』、『巡査(スンサ)』、『釜山の家(プサンテギ)』、『大田の家(テジョンテギ)』、これで話の通じる人たちは仲間、通じない人はよそ者ということになります。

 

韓国人のつけるあだ名がわかれば、日本人でも仲間は仲間

日本人であっても、こういう話の輪の中にはいっていけるようになると、仲間扱いされるようになります。

大抵『日本の家(イルボンテギ)』というあだ名がつきますが。

ただし、顔形が似ているだけに、仲間扱いされるようになると、韓国人は日本人を相手にしているということを忘れることが往々にしてあるので、注意が必要です。

こちらに何の身に覚えがなくても
「おまえなんだその失礼な態度は(注:女性でも韓国人はこういう言い方をする)」
と突然韓国人が怒りだしたら、韓国人は、絶対、日本人を相手にしているということを忘れてます。