大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

京釜高速道路

京釜高速道路は韓国で最初に作られた高速道路

京城(けいじょう)から釜山までを結ぶ高速道路という意味

京釜高速道路はソウルと釜山を結ぶ高速道路で、1969年に全線開通しました。
京釜の『釜』は釜山の釜ですが、『京』は京城(けいじょう)の京だったりします。

光復後(植民地からの解放後)、さっさと京城(けいじょう)をソウルという名前に改名するほどに、あれほどいやがっていた『京城』という名前ですが、なぜか高速道路の名前につけられてしまっています。
しかも、釜山も、日本人がつくった街の名前。

こういう日本人だとやたら気になる矛盾は韓国では実に多いのですが、韓国人の間ではさして問題ではないようなので、気にしないように努力しましょう。

 

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日本の新幹線に負けるなとの掛け声で作られた京釜高速道路

ちなみに、日本の東名高速道路と開通年が同じというのには深い意味があります。

実は、事業着手は、日本の東名高速道路より早かったのであります。
日本より早く高速道路を完成させるハズだったのです。
どのぐらい早かったかというと、東海道新幹線着工とほぼ同時期でした。

 

当時の日本も、実に悲惨な交通事情だった

当時の日本は、国道1号線ですら対面通行できない未舗装の砂利道という有様の中で、日本の東京と大阪の間の輸送力は、旅客・貨物双方が東海道本線1本に頼っていました。
溢れた分は、船で運んでいましたが、海の難所、伊豆半島紀伊半島を迂回する都合で、非常に時間がかかりました。

頻発する貨物列車の合間を縫うように旅客列車が走っていました。
が、よくて1時間に2〜3本という有様。
これすら、貨物輸送にあてようと、荷物車や郵便車を連結していました。
荷物車や郵便車の都合で、列車は軒並、長距離運転。
東京発西鹿児島行き普通列車なんていうものがありました。
で、東京から大阪に向かう場合でも、各駅停車の普通列車の切符ですら早朝深夜の短距離列車以外はプラチナチケットという悲惨さでした。

 

打開しようにも日本には高速道路建設の技術力はなかった。で、新幹線を作った

この状況を打破すべく新幹線計画が発動したのですが、世界3バカ算定(万里の長城、ピラミッド、東海道新幹線)とマスコミがこぞって批判し、インターネットもない時代にもかかわらず、絶賛大炎上中でした。

鉄道のような低速で融通の利かない19世紀の遺物はさっさと廃棄し、これからの交通の主役となる自動車交通を国の基盤とすべきだというのが当時の常識でした。

ただし、3年で東京−大阪間を全通させないと、経済成長が失速し、国の経済が破綻するという危機的状況のなか、3年という超絶短期間のムチャクチャな突貫工事で完成させるには、実績のない高速道路建設では無理で、戦前の弾丸列車計画の遺構と研究成果をフル活用できる新幹線しかなかったという経済的事情があったようです。

実際、新幹線は新技術を極力排除して、既存の技術だけで完成させるという方針だったといいます。

日本には新幹線を作る技術力はあっても、高速道路建設の技術力はまったくなかったというのが本音のところです。
その当時、戦前の満州国で満鉄経営でならした猛者や、弾丸列車計画に従事した技術者が国鉄の管理職だったからこそ、批判に耐え、開業までこぎつけられたのであって、そうでなければ間違いなく挫折していたようなきわどい計画でした。

 

韓国にも高速道路建設の技術力はなかったが、強引に作ってしまった 

時の韓国大統領、朴 正𤋮は、日本のマスコミと同意見で、鉄道のような低速で融通の利かない19世紀の遺物はさっさと廃棄し、これからの交通の主役となる自動車交通を国の基盤とすべきだとの意見でした。
というわけで、日本に先んじて高速道路を作ろうということになりました。

おかげで、韓国の鉄道は、2000年を過ぎるまで、ほとんどほったらかしの状態になります。

ところで、当時の韓国にももちろん、高速道路を作るノウハウはまったくありませんでした。
とりあえず可能な限りまっすぐな道路を作り、カーブは半径を大きくとれば高速道路になるという発想でした。

韓国はもともと日本ほど地形が急峻ではないということもあって、一直線の高架橋やトンネルで、強引に山や丘陵を突っ切るように建設を進めていきました。
それが原因で難工事の連続となり、工期に遅れを生じ、後発の東名高速道路よりも完成は遅くなりそうになりました。
負けてはならぬと無理な工事を強行した結果、莫大な犠牲者をだすこととなり、なんとか完成しました。
韓国らしいやりかたといえなくもないですが、ほぼ同じ長さの東名高速道路より、ずっと高くついたことは間違いないです。

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日本を出し抜いてこういうことをやるのは、朴 正煕大統領の十八番

 

日本も強引に作ってみたものの、地形が急峻すぎて失敗 

同じく高速道路を作るノウハウはまったくなかった日本では、1958年から、試験線である名神高速道路を作ったんですが、大阪から京都までまっすぐ道路を作ったところで、どうあがいても琵琶湖に抜けられないことが判明。

急遽、アウトバーン建設で実績のある西ドイツの技術者クサヘル・ドルシュを招聘して、1965年、七転八倒の末、7年の歳月を経て(それでも超短期間の突貫工事ですが)なんとか完成までこぎつけました。

日本ではこの教訓から、次に作ることになった東名高速道路からは、クロソイド曲線を多用し、山や丘陵を避けるように設計するようになりました。

 

走らせる自動車もないのに高速道路を作った韓国は、乗用車より先に、高速バスを大量生産

ちなみに、開通当初、韓国には、高速道路を走る自動車そのものが、そもそもなかったといいます。ですから、無理して1969年に開通させなくてもよかったんです。
それでも1969年に開通させたのは、日本に対するメンツだったそうです。

高速道路を作ってから、乗用車より先に、高速バスを大量生産し、鉄道に代わる旅客輸送をするため、高速バス路線網が整備されました。
この影響は現在もあって、韓国の旅客輸送の主力は高速バスです。

 

道路中心の韓国の交通政策は、いつも渋滞との戦い

ところが、1980年代に入って、自動車交通を国の基盤とするという方針は壁にぶちあたります。
自動車の急増で、交通渋滞が慢性化してしまうことになりました。

おかげさまで、4車線で開業した京釜高速道路。
拡張に拡張を重ね、現在8車線化されています。
が、それでも慢性的に渋滞しています。

軍用機の滑走路に京釜高速道路を使うという都市伝説がありますが、それは完全なデマです。
まっすぐなのは、建設当時、クロソイド曲線というものを知らなかったのが原因であり、道幅が広いのは、度重なる渋滞対策のなれの果てです。

滑走路に使えそうということで、実験は行われたことがあるらしいのですが、実際にやってみると、ジェット機の滑走路として使うには、勾配がキツすぎ、飛行機が尻餅をついたり、地面に激突したりする危険が大きいので、不時着以外の用途で滑走路に使う計画はいまのところありません。

 

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京釜高速道路
地図ではウネウネ曲がっているように描かれていますが、実際に運転して走ってみるとわかるんですが、嫌になるほどまっすぐなんですわ。これが。名神の京都大阪間の一直線よりひどいです。
で、これがソウルから釜山まで、延々と渋滞が続くんですわ。高速バスは、専用レーンを走っていくので、渋滞とは無関係です。
地形が急峻ではない韓国のこと。
これで高速道路ができる、簡単じゃん、となったもんだからさあ大変。
後発の高速道路も、多少クロソイド曲線が入っているものの、ほとんど一直線な感じ。
まっすぐだと、ほんと眠くなるんだよ。
おかげで、居眠り運転による自爆死亡事故が激発しました。そこで、『仮眠所』なる駐車場が後付けで多数設置されました。