慶尚南道の東莱に日本人がやってきて開いた町に『釜山(ふざん)』と名づけたのはなぜだろうか。
それにしても、『釜山』という名前の響きに、日本らしさのかけらもない。
それゆえ、韓国人が気に入り、もともとあった東莱という地名を捨て、釜山という名前を使うようになった。
あえてこのような変な名前をつけたのには、なにか強烈な理由がありそうだ。
同じく日本人がやってきて開いた町に『大田(おおた)』というのがあるが、これこそ、純日本的響きの名前である。
日本人のつける地名の特徴に、特徴的な地形に由来する傾向があるという特性がある。
先出の『大田(おおた)』の場合、広大な田んぼのド真ん中に朝鮮鉄道最大の分岐点駅を作ったことから『大田(おおた)』となった。
これが現在の韓国中部の大都市、大田(テジョン)のはじまりである。
こちらは、すんなり韓国人に受け入れられたわけではない。広域市の名前として大田(テジョン)はあるが、より小さな行政区分は昔の集落の名前のままである。
釜山のように、昔からあった名前のように受け入れられたわけではない。
大田(テジョン)の例から類推すると、釜山のどこかに『釜』があるに違いない。
それほど広くない釜山の中を探し回ると、確かに釜はあった。
海の向こうに見える影島が、ポコンと置かれた朝鮮釜なのである。
朝鮮釜