サバの塩焼は、慶尚道のソウルフード(ソウルの人達からは大いに嫌われているが)
黄海に面するソウルと違い、慶尚道は、いわゆる日本海とか東海とか呼ばれる海に面しています。
とりあえず、この海の韓国沿岸では、サバがよく採れます。
港の堤防などへ行くと、水面近くを昼間っからサバやアジが泳いでいるのを見ることができます。
これを塩サバに加工して、韓国全土に出荷しています。
釜山の日本人観光客のあまり来ない地元民向けの食堂のメニュー
釜山風凍鱈汁(豆モヤシがたくさんはいっているのが釜山風、御飯、付け合わせつき)
と並んで、釜山名物といったら、サバの塩燒定食。
味噌味、朝鮮醤油味主体で辛くはない。
付け合わせも、おひたしとか玉子焼きとか日本食と大差ない。
キムチはちょこっとついている程度。
サバの塩燒は、店により当りハズレが大きい。
塩サバのブランドといえば、安東(アンドン)の塩サバ(カンコドゥンオ)
ところで、韓国でサバといえば、生サバではなく、塩サバなんです。
塩サバのブランドといえば、安東(アンドン)の塩サバ(カンコドゥンオ)。
韓国人は生臭い魚は基本的に嫌いで、イワシやアジはほとんど食卓にのぼらないのですが、なぜか釜山人は、サバだけはよく食べるのです。
ちなみに、安東とは慶尚北道の山の中にある都市。
サバの獲れる海からは80kmほど離れた場所。
かつて朝鮮王朝の両班や儒学者を多く排出した由緒ある土地・・・ということで、朝鮮末期頃は結構栄えた土地だったらしいのです。
安東には、朝鮮王朝時代を代表する陶山書院や、河回村(ハフェマウル)など、名跡があります。
単純に、同じ朝鮮王朝時代を代表する名跡が集中する全羅北道の全州市の極めて洗練された運営との比較ではありますが、安東の名跡は、一度行ったら二度と行きたくなくなるほどに韓国の品位を貶める最低さということで、地元安東市民の間では有名で、このせいで、安東市はいつまでたっても観光都市にはなれないと問題にはなってはいるのですが。
塩サバの運搬の再現写真(アンドンカンコドゥンオ)
安東在住の貴族が、財力にものをいわせて、毎日の食卓に塩サバを供したのが由来
朝鮮王朝時代、ココの人たちが、財力にものをいわせて、山の中で、魚は極めて高価であるにもかかわらず、毎日の食卓に塩サバを供して、自らの権勢を誇ったというのがコトのはじまり。
それゆえ、慶尚道では、塩サバは、高貴な食べ物というイメージが定着しており、現在でも、慶尚道の両班の家系の家庭料理には、毎日の食卓に塩サバが供されます。
外国人に対してはそんなことはないのですが、韓国人同士の場合、サバは生臭いとか言って敬遠していると、
「この味がわからん奴は、そもそも下賤の出であろう」
という無言の侮蔑を一身に集めることになります。
もちろん、慶尚道の中心地、釜山では、高貴な食材、塩サバはよく食べられます。
塩を足したのは、臨東(イムドン)のチェッコリ市場
現在は、ダム建設のため、ダム湖に水没した(アンドンカンコドゥンオ)
サバの生き腐れという言葉があるように、サバは、もともと変質しやすい魚で、最も近い盈徳(ヨンドク)の港から安東へ運ぶのでも1泊2日かかります。
生サバでは、わざわざ運んでも、傷んで食べられなくなるので、塩サバに加工する必要があります。
加工時間を節約するため、運搬中に塩を足しつつ運んだことで、ちょうどいい塩梅の塩漬けになった頃合に安東に到着すると。
で、この安東の塩サバが実に美味だったのだそう。