大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

釜山市民からは嫌われた交通の要衝 西面

釜山の新市街地になりきれなかった繁華街 西面

西面といえば、釜山第二の繁華街として紹介されているが・・・

西面は、行政の関わる観光ガイドブックで、釜山の繁華街として、非常に大きくクローズアップされています。

それは、釜山市にとって、狭隘な南浦洞よりも、再開発の余地の大きな繁華街だからで、観光客を誘導する目的があります。

西面は、釜山駅から北東方向に離れた内陸に位置し、朝鮮時代の朝鮮人の町、東莱との中間地点にあります。

 

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このゴチャゴチャしたところが西面の商店街
これといった特徴のない商店が軒を連ねている

釜山市の郊外から、繁華街、南浦洞に行こうとすると、乗り換えが発生する場所

釜山市の郊外からバスで釜山駅南方の繁華街、南浦洞(ロッテ百貨店・光復路・国際市場)に行こうとすると、どうしても乗り換えが発生する場所。

それが西面でした。

本来は、すべてのバスが釜山駅、南浦洞まで乗り入れできればよいのですが、土地が狭く、道も狭いときているので、西面で運行系統を分断する必要がありました。

西面を経由すると、渋滞やら乗り換えの待ち時間などで、片道30分~1時間、往復だとその倍、余計に時間がかかるので、できることなら避けて通りたい場所でした。

 

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夜はこんな感じ。大きい商業ビルは元デパート
現在は貸しビルとなっている
商店街は大きくなく、すぐに住宅街になってしまう
住宅街の部分は、イルミネーションがないので、道は暗い

 

現在では、いかに西面を経由しないかが、釜山の交通対策

現在では、西面を経由せず、釜山駅方面に直行できるようにするための長大トンネル、長大橋が相次いで整備されました。それだけ、西面経由が釜山市民に不便を強いていたということになります。

しかし、相変わらず多くのバス路線や地下鉄は西面を経由しているようで、釜山市民はそれを避けるため、タクシーを積極的に使います。

その迂回路がなかった2000年頃の西面は確かにすごかった。
釜山駅方面は狭隘なため、運行するバス路線が限られ、地下鉄の西面駅は郊外へのバス路線が集中しているバスターミナルでありました。

バスターミナルといっても、特別な建物があるわけではなく。
ただ、道路で多数のバスが客扱いをするという状態。
かといって、この時代、バス停に案内標識が立っているわけでなく。
客扱いもほぼ適当。無秩序という言葉が当てはまるかと思われます。

 

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現在の西面ロータリー 衰退したとはいえ、交通量は多い

 

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2000年頃の絶頂期の西面ロータリー
溢れるバスの中から目的のバスを瞬時に見つけ、飛び乗るというエクストリーム
スポーツ会場さながらであった。もちろんバス停の目印などない。
この頃のバスは、乗車の手掛かりとなる系統番号が見辛い。
もちろんバスの行き先なんて読めるような場所には書いていない。
それでどうやって乗るかというと、道でバス待ちしている常連とおぼしき人に
片っ端から、どのバスにどこで乗ればいいのか聞いていくのである。
ちなみにこの当時、釜山のバスは、ソウルのバスより概してボロかった。

西面ロータリーのあたりに立っていると、次から次へとバスがやってきて、適当に止れるところで止まる。
渋滞の具合によっては、道路の真ん中で停止中なのにドアを開けて客扱いしてしまう。
で、乗ろうとする人は、止まったバスめがけて猛ダッシュするという。
なんか、年中お祭り騒ぎのような、にぎやかな場所でありました。
そんな人々の交通環境を向上させるべく、出店していたお店が繁盛していたと、西面は、そんな場所でした。

 

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西面の要塞、ロッテホテル&ショッピングセンターは今も健在

 

釜山市が、西面の新市街地建設構想をブチあげたものの・・・

そこで、釜山市が、新市街地建設構想をブチあげ、ロッテホテル、ロッテデパート、大和デパートなどが建設され、銀行も多数集結し、新市街として発展する・・・はずだったのだけれど、失速し、衰退し、デパートの撤退が続き、現在に至ります。

衰退の原因は、もともと、西面はできれば通りたくない釜山の交通の隘路だったうえに、そこにあった商店街も、取り扱う商品が、乗換客の時間潰しに耐えうる程度の貧弱さだったことが一番だったのではないでしょうか。