大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

昔懐かしの味 チルソン・サイダー

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日本軍の酒保で取り扱いのあったサイダーを現地生産したものが源流といわれている。軍隊でサイダーなどというものが堂々と扱われた背景には、体格が貧弱だった(食料事情が悪く、痩せ過ぎが多かった)日本兵の体格改善(太らせること)を目的としたものらしい。チルソン・サイダーの特徴としては、当時のレシピをとても忠実に守っており、昭和のサイダーの味がするところにある。製造がロッテなので、当然のことながら、日本でも販売されている。店頭販売はされておらず、アマゾン、楽天などで「韓国サイダー」などの名前で売っている。

 

懐かしき昭和の駄菓子屋の味を思い起こさせるチルソン・サイダーの味

懐かしき昭和の駄菓子屋

1980年代というと、もう、40年近く前のことになりますが、無論、あの昭和まっただなか。
中学、高校の帰り道というと、学校の前に1軒はあった駄菓子屋で、100円のジュースを買って飲むというのがたまらなく楽しかった時代。

 

駄菓子屋は不良の溜まり場と学校から嫌悪された時代

管理教育全盛の時代のことでしたから、校則で、下校時の買い食いは厳禁でした。
だから、駄菓子屋で、100円のジュースを買って飲むということは、学校の先生から不良のレッテルを貼られる行為だったのでございます。

 

学用品を不良の溜まり場の駄菓子屋に販売委託する学校の御都合主義

でも、学校は学校で、堂々と指定体育館シューズやら指定上履きやら指定体操服やらを校門の前の駄菓子屋に販売を委託していましたし、校門の前の駄菓子屋は駄菓子屋で、買い食い厳禁の校則を知っているにもかかわらず、堂々と、肉まんやらジュースやら売っていたっていうんですから、なんなんだこの不条理はってなものです。

 

会社の社長だって、会社の収入支出を知ならいデタラメがまかりとおっていた

平成の時代なら、こういうことがあれば、大炎上するでしょう。
しかし、高度成長期にあった昭和の時代、会社の収入支出を理解できない社長が、でたらめな経営をしても、好景気が原因で会社が潰れないのが当たり前でした。
昭和の時代の厳しさとは、社会の不条理を見てみぬフリをする強靭な精神力が要求されることだったのであります。

 

駄菓子屋の不条理から、子供は大人の世界の不条理を学んだ

ま、なかには、昭和の時代の不条理になじめなかった大人もいました。
生徒指導の先生(体育の先生)が、下校時に、その駄菓子屋の前で生徒が近寄らないように見張っていたところが、営業妨害に怒った駄菓子屋のオヤジと、つかみあいの喧嘩になって、それをみた児童が学校の職員室に駆け込んで、校長と教頭がすっとんでいって、仲裁にはいったなんてことありました。
こういう大人を「大人げない」と子供はあきれて眺めていました。

 

駄菓子屋のサイダーの味は、昔懐かしい思い出の味

さて、あの頃飲んだ駄菓子屋のサイダーの味。
今もって忘れられないのであります。
また、いっぺん飲んでみたい。

韓国に行って、びっくりしたのは、昭和の駄菓子屋のサイダーの味をした飲み物が、ごく普通にあっちこっちで売られていたということ。
コンビニはもちろん、飲食店に行っても、普通に置いてあります。
それがチルソン・サイダー(七星サイダー)です。

 

韓国人には、チルソン・サイダーは女子供用の軟弱なイメージ

大学の頃は、駄菓子屋で買って来たサイダーで焼酎を割って飲むのが自分的にはすごくお気に入りだったのですが、韓国人の前で焼酎のチルソン・サイダー割りをやったら、『軟弱者』『ガキ』『お前はお子様か』『焼酎はウイスキーで割れ』とばかりにボロクソに言われました。
兵役明けで軍隊のノリが抜けてない奴らの前で飲んだのがそもそも間違いではありましたが。

ひとえに、チルソン・サイダーは、韓国では、女、子供用の飲み物というイメージが強いからだと思います。
もっとも、最近の韓国人の子供は、炭酸と香料のきついスプライトが好きなようで。