大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

韓国人からは軒並嫌われる平安道料理(北朝鮮料理)店 元山麺屋

北朝鮮料理平安道料理店といえば、南部出身の韓国人からは軒並嫌われる料理店

日本人との相性は、悪くないというか、むしろ熱心なファンがいる

元山麺屋といえば、韓国最南端の釜山にあるお店ですが、第二次世界大戦前の平安道(現在は北朝鮮北部)の食文化を現代に伝えるお店です。

平安道料理は、日本人の嗜好にとてもあう料理で、中国東北部満洲)の料理とよく似ているとのこと。
中国東北部満洲)の表向きの公用語は中国語ですが、実際は、朝鮮族の居住地域であり、北朝鮮で使われる朝鮮語が広く通じるので、文化的にも北朝鮮と変わりません。
平安道料理は、日本人の中にもファンが多いです。

ただし、平安道料理店全般にいえるのですが、韓国人から総スカンを喰らうほど他人行儀な接客で知られています。

この店の常連になるには、韓国人が最も苦手とする「付かず、離れず」が基本です。

 

 

f:id:sirius-B:20191025021734j:plain

元山麺屋ができたのは1953年、朝鮮戦争が停戦した年(停戦は1953年7月27日)。
毛筆体のメニューに、そこはかとなく、北朝鮮の雰囲気を漂わせている。
ちなみに、看板には「ウォン サン メン オク」とふりがながふってある。
植民地時代は、韓国語の読みどおりに仮名を振らなかったので、間違いではない。
メニューに書いてあるものすべてが、どの客にも常時提供可能であるわけではない。
また、常連客の要望から、普通の韓国料理のカルビタンがメニューに追加されている。
これは、北朝鮮出身者が南部出身者と食事をする時、同伴者が頑なに平安道料理を食べることを拒む例が相次いだため。
平安道料理店では、同伴者の反発で客足が遠のく問題に頭を抱えている。
1人飯をよしとしない韓国では、同伴者と意見が合わないのは非常に困ったことなのである。ちなみに、ジャンパーは社長のもの。いつもそこに置いている。

 

北朝鮮料理で知られる平安道料理店は、韓国では肩身の狭い、北朝鮮出身者の溜まり場のようになっていることが多い

平安道料理店は、ソウルにも数店舗あるのですが、北朝鮮出身者の溜まり場のようになっていいます。
いずれも一見さんには敷居が高く、韓国人(南部出身者)からの評判は概ね最悪です。

昔は、ソウルにも、もっとたくさんの平安道料理店があったといいますが、そのほとんどは経営難から焼き肉屋に転向し、韓国人(南部出身者)でも入りやすいように努力しているようです。
そして、常連向け裏メニューで平安道料理を出すという形態になっていると聞きます。

もっとも、最近は、日本人旅行者が、どこから評判を聞きつけたのか、冷麺の旨い店ということで、訪れることがよくあり、韓国人(南部出身者)を受けりれる際限のない努力をするより、日本人観光客を歓迎した方がよいという雰囲気ではあります。

 

スユク(水肉)。これぞ平安道料理の真骨頂。韓国人(南部出身者)が、「これが料理か?」と激怒することうけあいの逸品。調理法が極めてシンプルなため、味のごまかしが効かない難しい料理。北朝鮮出身者のふるさとの味。この肉をゆでた汁が、ユクス(肉水)。

北朝鮮料理の味のベース、命のダシでもあるユクス(肉水)。店に入り、レジで料理の注文をして着席すると、即座に提供される。平安道料理店では、客の着席と同時に熱々のユクス(肉水)が提供されなければならない。言うのは簡単だが、実際やってみようとすると意外に難しい。韓国人(南部出身者)には、この加減が理解できないらしい。社長が厨房に雷を落とす原因も、ユクス(肉水)が遅い、ユクス(肉水)の湯気が足らないということが多いようだ。

 

平安道料理は、冷麺と餃子(肉饅頭)2品という韓国ではありえないシンプルさ。これが南部出身者には許せない

そもそも、冷麺と餃子(肉饅頭)というシンプルな平安道料理は、辛くもなければ、塩辛の風味もないあっさりした味付けで、南部出身者の最も苦手とする味。

いや、それでも、餃子(肉饅頭)は、まだ、なまぬるい。
常連客のみ提供されるスユク(ゆでた牛肉)こそが、平安道料理の真骨頂。
牛肉の臭みそのままに、ただコショウを入れた塩水でゆでただけというシンプルさ。
何で常連客だけなのかというと、これは、北朝鮮のふるさとの味。
これをありがたがって食べる人は、正真正銘、北朝鮮出身者しかありえないというクセの強い逸品だから。

しかも、テーブルの上にたくさんの皿を並べるのが韓国料理のスタンダードとすると、平安道料理は、普通、品数が2品程度。

それこそ、冷麺と餃子、またはスユクしかテーブルの上に並ばないのが普通。

牛丼のような一品料理に慣れた日本人には平気でも、韓国人(南朝鮮人)なら、それを見た瞬間、確実に爆発、憤慨しますね。

それが、平安道料理店が苦戦する理由ともなっています。

 

f:id:sirius-B:20191025021911j:plain

一般的な韓国冷麺と異なり、スープは茶色。キュウリとネギが入る
社長は、レジを立って、私に提供された冷麺を見に来るなり厨房に行って一喝。
料理の交換が必要なほどではなかったが、盛り付けに締まりがないと雷を落としたようである。
いい加減さが許せない几帳面な性格は、北朝鮮出身者に概ね共通するのだが、元山麺屋の社長もそうである。

 

f:id:sirius-B:20191025022022j:plain

これは北朝鮮平壌の玉流館の冷麺
元山麺屋の冷麺とよく似ている。なお、北朝鮮には水冷麺でも数種類のレシピが存在しており、北朝鮮の冷麺がすべてこの形態というわけではない。蕎麦を塩水のスープで出す、蕎麦の麺の旨みを堪能するだけの日本の水蕎麦のような水冷麺もある。韓国でこれを何を勘違いしたか、水蕎麦のような水冷麺を「平壌冷麺」と言って出す店が空港を中心に存在するが、北朝鮮の食文化の基本がわかっちゃいないまま提供しているので、はっきり言って金返せと言いたくなるほどド不味い。

 

元山麺屋は、苦戦する平安道料理店の中にあって別格の存在

元山麺屋は、釜山市内に2店舗を経営しておりますが、韓国には珍しい現場主義の社長。
いつも不機嫌な顔をしてレジに座っています。

ただし、客を怒鳴ることは滅多にありません。
専ら厨房と店員に目を光らせ、ほんの少しでも手抜きが見つかると、席を立って、雷を落とします。

平安道料理は、調理法が極めてシンプルなので、味のごまかしが効かず、手抜きがそのまま味の劣化となって現れる難しい料理だからです。

平安道料理店に共通する
・ 現金前払い
・ 常連客偏重(一見さん軽視)
の経営方針も、発端は南部出身の韓国人の徹底的な無理解だったのですが、これが輪をかけて韓国人の蛇蝎の如く嫌う経営方針。
平安道料理店では、初めての客は入り口の近く、と決まっています。
すいている時であっても、どんどん奥に進むと、社長や店員に怒鳴られます。

さらに、元山麺屋に至っては、店のトイレも、小便以外はお断り。

でもご心配なく、社長は言葉がきつくても気持ちのさっぱりとした人で、常連の日本人客のために、光復路に面した店の立派な看板やメニューにわざわざ無茶して日本語のふりがなを振るという韓国人にあるまじきことを平気でやっています。

 

f:id:sirius-B:20191025022705j:plain
餃子(肉饅頭)は大きな蒸籠のままで出される
1個がおにぎりほどの大きさ
韓国の通常の餃子よりはるかに大きい

 

平安道料理の命、平安道料理の心は、牛肉スープであるユクス(肉水)の質とタイミング

席に座ってすぐに出されるユクス(肉のスープ)。
この質とタイミングが平安道料理店の誠意のすべてなんですが、店員も南部出身韓国人なものですから、その極意を理解せず、いつまでたってもユクス(肉のスープ)を持ってこない、ユクスがぬるいなんてことがあるんですけど、そうなったら、社長がとんでいって、店員と厨房を一喝します。

元山麺屋の人気の秘密は、まったくブレのない味。
平安道料理の命、牛肉スープであるユクス(肉水)がまったく臭みがなく、味のブレがまったくない。

冷麺も餃子も、10年前食べた時も、いま食べても、まったく味も香りも風味もかわっていないんです。
味にブレがないなんて、韓国の料理屋では絶対ありえないこと。
常連の日本人客がいるというのもうなずけます。

 

元山麺屋の極意は、「付かず、離れず」

ひとりで毎日のようにやってくる客(1人飯を嫌う韓国人は普通やらない)、仲間と連れだってやってくる客。
会話はそのグループの中だけで成り立ち、他の人を巻き込むことはありません。
それでも、帰るときには、レジのところにいる社長に挨拶を交します。
「それじゃあ」(韓国語)
「どうも」(韓国語)

 

f:id:sirius-B:20191025022755j:plain

店の場所は光復路の東端のローターリーをちょっと南方向に奥に入った場所
片仮名の振り仮名が目印

 

f:id:sirius-B:20191025022852j:plain

入り口のメニューを参考に注文すればよい。ただし、ジョンゴルチェンバン(すきやき)とスユク(ゆでた牛肉)は5人分ぐらいが最小単位なので、旅行者が食べるとすれば、冷麺(ネンミョン)と餃子(マンドゥ)しか選択肢はない。咸興冷麺(ピピム冷麺)は他所でもおいしいので、あえてここで食べる必要性はない。結局のところ、平安道料理の基本、平壌冷麺(ピョンヤンレンミョン)と餃子(マンドゥ)を頼む一択しかない。ただ、それがなかなか絶品で、また来たくなる。