大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

日本が誕生するはるか以前、ユダヤ人は聖書を携えて中国にやってきていた説

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ユダヤ教神殿の聖所で使用される予定の純金製のメノラー(七枝燭台)
このメノラーがユダヤ教第三神殿の聖所に安置されたとき、その名のゲマトリアが666の反キリストが現れるといわれているので、非常に不気味なメノラーなのである。
作ったユダヤ人たち(神殿研究所)は、このメノラーはあくまで第二神殿の聖所に存在したメノラーの原寸大模型にすぎないし、この伝承を根拠がない迷信だと一笑に付している。

終末預言で知られるヨハネの黙示録は、キリスト教界に数多くの物議を醸してきた。
もともと、ヨハネの黙示録は、21世紀の現在ほどの評価はなく、信ぴょう性が疑われたことは一度や二度ではなかった。
むしろ、劇作家や小説家の方がヨハネの黙示録を評価する始末である。
宗教改革者、マルチン・ルターも、ヨハネの黙示録新約聖書から削除すべき偽典と主張するキリスト教聖職者の1人だった。
その理由は、ヨハネの黙示録の予言する未来には、古代に滅亡したイスラエル政府と、生贄の燔祭を行うためのユダヤ教神殿が存在するからである。

あくまでイスラエルは、相次ぐ神への反逆の末、見捨てられた契約の民に過ぎず、旧約聖書の預言はキリスト教会(霊的イスラエル)が引き継いだというのが、現代に至るキリスト教主流の神学、置換神学であり、イスラエルの復活もユダヤ教神殿再建も絶対に起こらないというのが常識だった。
第二次世界大戦におけるキリスト教徒によるユダヤ人虐殺も、神への反逆に対する裁きであり、このキリスト教神学(置換神学)により、ユダヤ人は聖絶しなければならないとされ、正義と認定された。

1948年、イスラエル建国の陰で、良心のある一部のキリスト教信者がその不気味さに戦慄した。
キリスト教置換神学にとっては禁断(タブー)の書であった旧約聖書エゼキエル37章の預言のとおり、イスラエルが復活したからである。

 

中国にユダヤ人が到達していたのは日本が誕生する前、キリスト誕生以前であった

紀元前2世紀、ディアスポラユダヤ人は、すでに中国に定住していた

最初に聖書が東アジアにもたらされたのは、日本が誕生するはるか以前。
イエス・キリスト誕生以前だった可能性があります。
もちろん、現在の韓国を構成する高句麗民族も誕生する以前。
モンゴルを駆け回る騎馬民族、扶余人だった時代の話しです。

 

現代文明に匹敵する超古代文明バビロンがイスラエルを侵略したのがきっかけで・・・

時は、紀元前5世紀。中国文明もまだ黎明期だった頃の話です。
既にメソポタミア地方では、現代文明に匹敵する超古代文明が開花していました。

その名はバビロン。
武力によって、領土と植民地を拡大することを生業とする人類最初の世界帝国であります。

この超古代文明が、一つの弱小国家イスラエルを侵略し、住民を奴隷として連れ帰ったのがそもそものはじまり。
ただ、このイスラエル
弱小だったけれど、並外れた宗教文化を持つ国家でありました。

このバビロン捕囚を、イスラエルは、神ならぬものを崇拝し、神の定めた律法に違反したがゆえの神の怒りと理解したのでありました。

 

バビロン滅亡のどさくさで、故郷への帰還を許されたイスラエルだったが・・・

その後、イスラエルを侵略したバビロンは、人類史上2番目の世界帝国、ペルシャ帝国の攻撃で滅亡し、このどさくさで、イスラエルは故国への帰還を許されました。

ところが、早くもイスラエルは、神ならぬものを崇拝し、神の定めた律法に違反するという、バビロンでの反省は何だったのかという事態に陥りました。

 

祭司エズラ宗教改革で追放されたイスラエル人は東方に移住し、中国に到達する

バビロン捕囚帰還民が、当時、律法で禁じていた異民族との婚姻を行い、バビロン捕囚の原因となった偶像崇拝に再び染まっていく様子に激怒したユダヤ民族のリーダー、祭司エズラが、異民族と婚姻を行ったレビ族を中心とするイスラエル人を、イスラエルの地から追放しました(エズラ記10章)。

このとき、イスラエルをを追放されたイスラエル人は、ペルシャ帝国の東端に移住し、さらに、インド北西部から寧夏(現在の甘粛省)へ移り定住しているところを、紀元前108年より前、西域を平定し漢帝国の版図を広げるためこの地に派遣された前漢の将軍李広により発見されました。

非常に優秀な人々であったので、科挙を経て、漢帝国の役人となった者も多数いたようです。

 

中国に定住したイスラエル人は、今度こそ聖書の教えをしっかり守った

2回も強烈なオシオキを経験した彼らは、さすがにお灸が効いたのか、今度こそ聖書の教えをしっかり守るようになりました。

律法を守り、偶像崇拝の忌避、幼児割礼、豚肉を食べなかったというユダヤ人特有の生活習慣を頑なに守るようになりました。

ただし、彼らがイスラエルを追放された時代、まだローマ帝国が成立しておらず、「ユダヤ」という言葉がなかったがために、自らのことを「イスラエリ(イスラエル人という意味のヘブライ語ヘブライ語は子音だけを表記する言語なので、アラム語風に『エズラエーレ』と発音しても間違いではない)」と称していました。

 

すごいのは、追放されたイスラエル人が、聖書を持って中国に到達していたこと 

すごいのは、祭司エズラに不信仰が理由で罪人と認定されて、追放されたイスラエル人たちが、当時の聖書を捨てることなく、持って中国まで到達していたということです。

当時の書籍は、羊皮紙の巻物で、重量も重く、たいへん高価でした。

バビロン捕囚直後、聖書正典と認識されていたモーセの五書を複数所持していたのですが、羊皮紙の巻物1巻が重量にして15kgほど、現在の貨幣価値にして200万円ほどするものなので、モーセの五書一式、総重量75kg、ピアノほどの重さにもなる一千万円ほどの価値の聖書を、いくつも中国に持ち込んだことになります。

 

当時の聖書正典はモーセの五書のみ。キリストの到来の預言は限定的

彼らの聖書は、キリスト到来を預言したイザヤ書、ダニエル書、ゼカリヤ書がまだ聖書正典と認定されていなかった時代のものであったがために、イエス・キリストユダヤ人の待望するメシヤであるという認識はなく、また、認識することもできなかったといわれています。

 

彼らの持ち込んだ聖書は、古すぎるが故に、現在では聖書とは認められず

ユダヤ教の規定では、聖書とは、紀元2世紀頃確定したマソラ本文39巻のことを指します。
エズラに追放されたユダヤ人の所持していた写本は、それより600年も昔の聖書であったため、トーラー5巻しかなく、ユダヤ教ラビから、聖書とはいえないとされました。

実は、ユダヤ教旧約聖書正典確定作業は、キリスト教誕生と新約聖書成立に対抗して、紀元90年頃より開始された経緯があって、旧約聖書成立は、新約聖書成立より遅いのです。

当然、エズラに追放されたユダヤ人がマソラ本文39巻を持っているはずがありません。

特に旧約聖書成立の足を引っ張ったのが、聖文書の『雅歌』であり、激しい議論の末、当時の高名なラビ・アキバが強引に正典に編入して、旧約聖書は成立しました。

新約聖書成立より遅れること半世紀のことでした。

 

 

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習近平政権の弾圧を逃れるべくイスラエルに帰還した中国開封ユダヤ
大部分はユダヤ教祭司の末裔、レビ族。上段右端のヨーロッパ人的外見の男性と同一民族、血が繋がっているというのだから恐れ入る。外見は完全に中国人と同化している。人間とはかくも容易に外見が変化するものであることに驚かされる。彼らの帰還は紀元前6世紀の彼らの先祖、レビ族の預言者エゼキエルにより預言されている(エゼキエル書37章)。中国開封ユダヤ人は、日本人よりはるかに古い歴史を持つ集団である

 

カトリックイエズス会が、開封にコミュニティーを作っていたユダヤ人を発見する

後の王朝、特に唐、宋、及び明王朝においても、科挙を経て、役人となった者も多数いたようです。

宋王朝の時期には、開封ユダヤ人コミュニティーを形成しており、現在も開封ユダヤ人コミュニティーが残存しています。

17世紀、明王朝の時期、カトリックイエズス会が中国に到達します。

当時のイエズス会宣教師は、キリスト教異端としてカトリックを追放されたネストリウス派が、紀元7世紀には中国宣教を進めていたという認識があり、既にネストリウス派とは15世紀に和解した状態であったため、中国宣教の足掛かりとして、ネストリウス派教会を探していました。

たまたま北京で、モーセの律法に異常なまでに詳しい中国人を見つけたことから、ネストリウス派信者かもしれないと調査を進めると、彼がヘブライ語モーセの五書を暗唱できたため、ユダヤ人だと認識した次第。

イエズス会は、直ちに、モーセの五書の写本買取と、ユダヤ人伝道を開始しますが、1000年以上もの間、ネストリウス派宣教に染まらなかった彼らのことですから、イエズス会は、モーセの五書の写本買取と、ユダヤ人伝道双方に失敗します。

 

日本は徹底したキリシタン禁令一色であったことから、カヤの外

これらのことが起こった時期、日本はキリシタン禁令一色であり、徹底的なキリスト教弾圧に邁進した時期と重なります。

徳川幕府キリスト教弾圧はあまりに徹底しており、キリスト教宣教の土壌を根こそぎ葬った形になっています。

従って、日本人にとって、中国のユダヤ人コミュニティーの話や、ネストリウス派宣教の話しは一般的ではなく、トンデモ系雑学の域を出ません。

  

20世紀の韓国、21世紀の中国で起きた爆発的なキリスト教宣教の土壌はコレ

ただし、中国、そしてその冊封国であった朝鮮ともなると、比較的当たり前の話であって、今さら何を驚いているのかと、むしろ日本人の無知ぶりに驚かれることになります。

中国建国の頃には、聖書が中国に存在し、冊封国であった朝鮮もその影響下にあったわけです。
日本には日本という国すら存在していません。

日本では、キリスト教宣教に対する殺し文句として
「自分だけ救われるのでは、御先祖様に申し訳ない。
自分は天国に行ったとしても、地獄には聖書も知らず信じることもかなわず苦しんでいる先祖がいるのに、そこでの生活を楽しめるはずがない。
だから信じない」

というものがあります。
日本人のキリスト教伝道師を黙らせるには、このセリフが一番です。

しかし、韓国や中国で伝道しているキリスト教伝道師にこれを言ってはいけません。
「日本人は聖書持ってなかったんだよね」
と、文化的後進性をこれでもかというほど馬鹿にされるか、いったい紀元前何世紀の御先祖様の心配をしているのかと呆れられます。

20世紀の韓国、21世紀の中国で起きた爆発的なキリスト教宣教は、結局のところ、キリストが誕生する前から聖書を持っていたという文化的プライドが土壌となっているのです。