大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

御馳走攻めの芸術、 韓定食

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圧巻 全羅南道韓定食(一人分)
こんなすごい料理をだされて、これで勘弁してよと、暗にほのめかされたら、よほどのことでもヨシにしてしまう誘惑にかられる。
事の善悪は、大部分、人の感情によって決定されてしまうものだから、人の感情に訴えれば、黒いものも白くなるという韓国伝統の処世術がある。
韓定食は、こういった処世術を背景に成立している。
これが全羅南道のものという判別ポイントは、スプーンの位置から数えて右に3皿目に、全羅南道でしかお目にかかれない箸休め、ホンオフェがある。これは、ガンギエイをアンモニア発酵させた珍品で、一種の胃薬。

もう満腹で食べられないという頃合いを見計らってつまむとあら不思議。
強烈なアンモニアの効果で、胃の中のものが腸に送られ、再び空腹になって続きが食べられるという代物。当然、空腹を満たす食べものではない。
韓国の韓定食にも地域性があって、ソウルの韓定食は皿数少な目でこの半分くらい。

 

食材を犠牲にして難問を解決する。これも朝鮮民族4000年の歴史の知恵

享楽は悪ではない。生き抜くための道具なのだという知恵


韓国人は、日本人以上に、富を享楽として楽しむ才能があり、儲けは享楽の道具として利用されてきました。
『武士は食わねど爪楊枝』『やせ我慢』『貯金が唯一の趣味』ということがことさらに美徳とされる日本人とはこの点が大きく異なります。
韓定食は、富を享楽として楽しむ一種のアートだと思います。

この、韓国料理のアートには、苛酷な使命が課せられていました。
中国からの甚だ厄介な使節を御馳走攻めにして、国家の命運に関る懸案事項をうやむやに葬り、とっとと返すという厄介払いの役割を担っていたという闇の歴史がありました。

 

一分の隙も見せず、客を御馳走攻めにして、とっとと返すという韓国料理の闇

現代の韓定食にも、客を御馳走攻めにして、懸案事項をうやむやに葬り、とっとと返すという韓国料理の陰の性格が見え隠れします。

当然のことながら、現代の韓定食にも、客に大量の料理皿を見せつける演出があり、文句のつけようもない山海の珍味が盛られ、どこから箸をつけてよいやら迷います。

韓定食の場合、基本的に、ご飯と汁物以外は、すべてつまみであり、主菜も副菜もへったくれもありません。

食べたければ食べる。
食べたくなければ食べない。
それでよいのです。

では、ご飯と汁物はきちんと食べる必要があるのかというと、これもそうでもない。
ご飯と汁物はきちんと完食すると、おかわりが運ばれてくる段取りになっています。

一分の隙も見せず、客を御馳走攻めにして、とっとと返すという韓国料理の闇は、ここに極まります。

 

食材を犠牲にして延命を図る。違うところは、食べるのか、捨てるのかという差異だけ

これでは食材の無駄じゃないかという批判は当然でてくると思われます。
確かに、韓定食は、ここで出される食材はすべて無駄になることが前提。
これら料理はすべて捨てることが前提になっています。

ただし、現代でも、ビジネスの現場で、厄介事、懸案事項は山のようにあります。
多くの人の生活や命を危険に晒すような交渉事も少なからずあります。
このような厄介事を食材を犠牲にすることで円滑に乗り切り、延命を図る、韓定食は一つの処世術なのです。
現代社会でも、実際こういう需要は根強く存在するがゆえに、韓定食は消滅しないのです。

 

本当に食材を無駄にするのかというと、実はそうではないところが韓国流

ちなみに、中国からの甚だ厄介な使節を御馳走攻めにして、役割を果たした料理はどうなったかというと、建前上廃棄されましたが、実際には庶民に下賜されました。

現在も、客が箸をつけなかった料理は、廃棄せず、客の要望があれば、パックに詰めて持って帰ってもらい、そうでなければ、店の従業員が持って帰ってしまうということがよくあります。
そもそも、韓国料理は、余り物を持って帰りやすいように工夫されており、漬物、煮物、佃煮、ゴマ油和え、コチュジャン和えの皿が多数を占めるというのもそのためです。

日本では、食べなかった料理も客の所有物で、食べないということは、廃棄を命令されたという解釈なので、店の従業員が持って帰ってしまうと窃盗の現行犯で一発懲戒免職ものです。
ということは、日本の料理は、無駄の発生しないように、ギリギリの量を提供するようになっていくわけです。

一方、韓国では、食べすに、持ち帰りもしなかった料理は、客が所有権を放棄したと考えるので、捨てようが、持って帰ろうが店の自由という考え方になります。
その分、余ることを恐れずに、客に料理を提供するという韓国料理独特のスタイルが成立するわけです。