大韓民国観察記Neo

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

やっぱりドタバタになったソウル市庁建て替え問題

 

何事もきちんとスマートにこなすのを理想とする韓国人ではあるが、大概そうはならない韓国七不思議

現在のソウル市庁本館の履歴

現在のソウル市庁本館は、1926年に建設された大日本帝国朝鮮京城府庁でした。
これは、朝鮮を親日国に改造した後、再独立させるため、旧朝鮮王朝にはなかった必要な近代的行政機関を整備する目的で建設されました。

日本陸軍及び、その配下である朝鮮総督府は、そもそも、朝鮮再独立には反対で、京城府庁舎建設にも消極的でした。
従って、京城府庁舎建設は大蔵省主導で行われ、必要最低限の大きさの、法定耐用年数50年のこじんまりとした建物として建設されました。

この建物が京城府庁舎であった年数は、わずか21年で、1947年、大日本帝国朝鮮(実質はGHQが統治)ソウル市発足と同時に、ソウル市庁となりました。
翌、1948年、大韓民国建国と同時に、大韓民国ソウル特別市庁となり、朝鮮戦争のソウル攻防戦にも耐え、現在に至ります。

 



文化財庁とソウル市の攻防戦の幕が切って落とされる

ソウル市庁本館は、2023年現在、竣工以来97年を経過していますが、その大部分の76年間は、ソウル市庁でした。
そのため、2003年6月30日、文化財庁により、国家登録文化財第52号の指定を受けますが、その当時市長であった、後に大統領となる李明博市長の機嫌を大いに損ねることとなりました。
李明博市長は、日本統治時代の清算が政治信念であり、旧京城府庁舎であったソウル市庁本館は、ゆくゆくは取り壊したいと考えていたからでした。

もともと、必要最低限の建物であったソウル市庁は、すぐに手狭になり、その後、6回ほど増築されています。
それでもソウル市の行政事務に支障をきたしたため、ソウル市庁周辺には、議会棟他、分庁舎が数多くあります。

また、住民登録など、市民相手の行政事務を行うにはソウル市庁舎はあまりに狭すぎるので、基本的にソウル市庁では市民相手の行政事務を行っておらず、区庁や洞事務所で市民相手の行政事務を行っています。

ソウル市の場合、ソウル市庁の庁舎より、区庁の庁舎の方がはるかに大きい分散型(非集中型)の市役所なのですが、そもそもソウル市庁の本館が小さすぎたことに端を発しています。

 

ソウル市庁新館が、なんでこんな変な形になったのかというと、巨大なひさしで、どうしても隠さなければならないものがあったからなのである

京城府庁舎であったソウル市庁舎をガラス張り庁舎に建て替える李明博市長の計画は、文化財庁もソウル市民も大反対だった

李明博市長によって、それまで分散型であったソウル市庁の行政組織を大改革し、一極集中型の効率的な行政組織とすべく、老朽化したそれまでのソウル市庁舎を取り壊し、地上19階の新庁舎を建設する計画が発表されました。

京城府庁舎であったソウル市庁本館を取り壊すことにしたのは、朝鮮総督府解体に端を発する日本統治時代の清算が目的でした。

ところが、これに噛みついたのがソウル市庁舎を国家登録文化財第52号に指定した文化財庁でした。

さらに、李明博市長は、全体建物の34%ほどの低層階を市民ホールや図書館、レストランとして、市民のための文化・観光施設として利用する計画として、市民に理解を訴えたのですが、市民からは、「首都ソウルの象徴性と歴史性、代表性が不足している」という意見が噴出し、市議会を通すことが不可能となり、廃案となってしまいました。

公文書上では、「首都ソウルの象徴性と歴史性、代表性が不足している」とまわりくどい言い方をしているのですが、要するに、『ソウルの歴史性の象徴である旧京城府庁舎を壊すな』ということで、新庁舎案は廃案となってしまったのでした。

 

文化財庁の反対で没になった22階建て新館建設案。後々騒動の原因となった太平ホール棟を抱え込んだ至極まっとうな建設案。この図にはウソ、偽りが一切ない。物理常識からいって、このような形のビルなら、徳寿宮に熱線攻撃を起こす可能性はゼロといってよい。ただ、ソウル市庁建て替え計画は、反日運動を口実とした文化財破壊が出発点だったので、もともと文化財庁の心証は非常に悪かった

 

京城府庁舎を残しても、ガラス張りの高層ビルを建てる案は徳寿宮への熱線攻撃を懸念する文化財庁によって妨害された

李明博市長は、これ以上ソウル市庁の新館建設の仕事はしていませんが、後任の呉世勲(オセフン)市長により、ソウル市庁の新館建設事業が進められます。

京城府庁舎を保存することにしないと、議会承認がとれないため、旧京城府庁舎は残すこととするのですが、その分、建設用地が狭くなるので、事務スペースの確保が難しくなるので、ソウル市庁の新館は総ガラス張りの近代的な22階建ての高層ビルとし、李明博市長の計画案に沿った形で議会承認をとることとしました。

ところが、またしても、文化財庁がソウル市庁の新館の建設案に噛みついてきました。

ソウル市庁のそばには徳寿宮があるのですが、徳寿宮の目の前に、ギラギラ光る総ガラス張りの22階建ての高層ビルなんて建てられた日には、朝に夕に、熱線攻撃を受けることになるからまかりならんと文化財庁が言ってきたわけです。

ソウル市は、強行突破で応じようとしましたが、徳寿宮に対する高度制限による工事不許可という処分が下され、新庁舎案は廃案となってしまったのでした。

 

事情を知っている人が見たら、肝心なことは何も書いていないソウル市庁新館建設計画図。非常に手間のかかった3Dの写実的な絵なので、すべて包み隠さず書いてあるようにみえるが、前出の没案にはしっかり描かれている太平ホール棟は描かれていない。描かれていないことさえ気づかせないように巧みに構成された構図のあざとさ。太平ホール棟が描かれていないということは、文化財の太平ホール棟を取り壊さなければこうはならないということに気付いた人、どれくらいいたのか、興味がある

 

黄色の部分が図書館、展示室等文化施設。青色が業務用区画と職員用食堂。灰色が駐車場と機械室。公文書を見慣れた人がみたら、絶対なんか隠していると思わずにはいられない、あまりにもあざとさだけが目立つ図面。本館と新館の容積が書かれているが、このような構造なら、本館と新館の容積をあえて書く意味はない。文化施設として一般の人の立ち入り可能な空間が不自然に多く、ソウル市庁舎新館が本当にこの通り作られているかは甚だ疑問ではある。ただ、これだけははっきりしているのであるが、地上に見えている部分より地下空間のほうが広い作りである。そして、肝心の太平ホール棟がどうなるかについての説明は一切ない。これが、太平ホール棟は取り壊すという意味であることに気付いた人、どれくらいいたのか、興味がある。

 

力学に無知な文系の人間が、意地と妥協とメンツのせめぎあいの末生み出したムチャクチャな図面のとおりの建物が、図面と寸分違わず完成しているということは、韓国の建築技術もなかなかたいしたものである。耐用年数?、省エネルギー性能?そんなこと構ってはいられないほど、設計図を持ってこられた現場は、死ぬほど迷惑したであろう。
『後先考えず、とりあえず、いわれた通りに作る』韓国あるあるである。
これが原因で発生する無駄な修繕・改造需要が韓国経済を潤すというカラクリである。
これが当たり前の社会だから、日本品質が韓国品質より2倍3倍優れていたとしても、韓国製の2倍3倍信用されるということにはならない。多少は、日本製の方が高く評価されることはあってもである。つまり、会社に利益をもたらさないオーバークオリティーってことになる。
写真左側、新館上層部の出っ張りは、徳寿宮を熱線攻撃しないよう、光を拡散させるための出っ張りである。


妨害されればされるほどムキになって反発する韓国人魂が炸裂する

日本人なら、これだけ妨害を受ければ、あっさり建て替えはあきらめるところではありますが、韓国人はしつこい。

  • 一極集中化による事務効率の向上
  • ガラス張りのビル
  • 市民のための文化・観光施設

ソウル市は、新庁舎を地上13階に階数を大幅に落とすものの、以上の、当初案を意地でも一切妥協しない解決案をとりまとめます。

階数を減らした分の建物容積を確保するため、新館の地下のみならず、旧京城府庁舎の地下にも庁舎を建設するという難工事必至の建設案をとりまとめてきます。

しかし、地上13階に階数を大幅に落とす以上、新館の容積を確保するには、どうしても新館側に出っ張っている旧京城府庁舎の太平ホール棟が邪魔で、取り壊す必要があります。

太平ホール棟は、旧京城府庁舎の目玉といっても過言ではない重要施設で、これを壊すといえば、文化財庁が意地になって工事を妨害するに決まっています。

そこで、太平ホールは移設するということで、読んですぐにはわかりにくいように文書はとりまとめ、文化財庁には特に説明はしませんでした。

そして、新館にひさしのように湾曲した壁面を設け、文化財庁に提出する図面や模型を一目見て、太平ホール棟の取り壊しがばれないように、細工したのでありました。

万事おおらかでいい加減と評される韓国人の間では珍しい、非常に姑息な手段ではありましたが、結果的にこれが効を奏し、ソウル市庁の新館建設ができることとなり、早速、工事が開始されました。

 

写真中央の煙突横の長方形の建物。これが、問題の太平ホール棟である

太平ホール

 

太平ホール

 

太平ホール棟の取り壊しがソウル市民にバレ、工事がストップする

これまでの事情などまったく知らない解体業者によって、大胆にも、1962年に増築された北館と1986年に増築された新館が取り壊された後、太平ホール棟の取り壊しが行われたのでした。

この順番で解体されたのは、単に、業者が解体した瓦礫の搬出の手間を考えてのことでありました。

工事は入札で発注されますから、業者も最もコストが安い工法を採用するに決まっています。
しかしこれは、絶対に逆にやるべきでした。
でないと、地下鉄市庁駅の出入口のある世宗大路から、太平ホール棟の取り壊しが丸見えになってしまうからです。

ただ、入札の過程で、太平ホール棟の取り壊しからやることを仕様書に書いておくと、文化財庁には絶対にバレるので、ソウル市としても、太平ホール棟の取り壊しからやるようには業者に指定できない弱みがありました。

 

ソウル市民の通報により解体工事がストップしたソウル市庁舎。太平ホール棟の解体がバレたのである

 

太平ホール棟の解体を知り、ソウル市庁の工事現場に駆けつけたソウル市民(とマスコミ)。この後、韓国政府に通報され、事件となる。市庁を取り囲む異様に高い防護壁は、太平ホール棟の解体を市民に見せないための細工であったことがバレ、これはこれで市民の怒りに火を注いだ

 

これを見て、文化財庁が、文化財を壊しやがったなと怒り心頭となる。ソウル市は、新館の地下2階に移設すると説明したが、「これのどこが移設なのだ!!」と文化財庁は納得しなかった。ソウル市は、太平ホールのコピーを新館の地下2階に作れば良いと考えていたが、文化財庁は、この壊されているホールそのものが貴重であり、意匠のコピーでは不十分だと考えていたのである

案の定、太平ホール棟の取り壊しにソウル市民が気づき、大騒ぎとなり、大勢のソウル市民がソウル市庁を取り囲む騒ぎとなります。

通報を受けた文化財庁が、ソウル市が騙しやがったと、大急ぎで駆けつけ、即刻工事停止を命令してしまったのでありました。

復旧不可能なほど取り壊してしまっていた後だったので、今さら工事を中止しても、どうにかなるものでもなかったのですが、韓国人のメンタリティーとしては、こういうとき、意地になっても元に戻せと言い張って、絶対折れないのです。

この後、文化財庁とソウル市との間で、「騙された」、「騙してない」の大喧嘩となり、半年ほど工事が中断してしまうことになりました。

ソウル市は、太平ホールは移築するという計画となっていて、文化財庁の承認は受けたと主張し、
「きちんと文書を読んでいなかった文化財庁が悪い」
の一手で押し切り、太平ホール棟の取り壊しを行って、一件落着しました。

その後、新館建設へと工事は移っていったのですが、韓国政府をコケにした以上、韓国政府の協力を得られるはずもなく、工期は1年以上も延び、苦心惨憺の末、ソウル市庁新館は完成しました。

ちなみに、ソウル市庁新館は、観光地として申し分のないほどたいへんきれいな場所で、レストランや展望台などを完備しているのですが、そうなったのも、ソウル市としての意地があったのでしょう。
なお、国の外郭団体である韓国観光公社は、ソウル市庁を観光地としていませんので、日本で出版されているソウルの観光案内書でも、ソウル市庁新館は、2023年現在、今のところ、完全に無視されています。

 

ソウル市庁新館内部。これが最高と考える価値観の人に、本館の文化財としての価値を説いても、恐らくは、まったく理解されなかったのではあるまいか。恐らく、理解不能であっただろう。ソウル市庁新館に行ってみてそう思う。そういう意味で、今の形で本館が残せただけでもアッパレであったと思う。

 

ソウル市庁新館内部

 

ソウル市庁新館内部

 

ソウル市庁新館内部