大韓民国観察記

韓国の、どうでもいい、重箱の隅をつつくブログ。

高麗人蔘

高麗人蔘、(和名:オタネニンジン:御種人蔘) は、ウコギ科多年草

原産地は朝鮮半島周辺といわれています。
薬用または食用に用いられています。

 

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高麗人参の栽培畑
元々林床に生える植物なので、覆下栽培が欠かせない。病害予防の観点から寒冷紗はベタ掛けしない。

 

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高麗人参 写真は6年物の中級品。
4年目まではそこそこ育つが、薬効が高まる5~6年目には病害で枯死することが多い。薬用植物としての商品価値を損うため、農薬による病害虫防除が非常に難しい。
病害があまりでない2年物(苗)までの価格は安く、本格的に病害が発生する前の4年物の価格もそれ程高くない。
料理用(参鶏湯など)やドリンク剤向けの高麗人蔘にはこういったものが使われる。
日本の製薬会社が扱う高麗人参は、4年物までのものが圧倒的に多い。
高麗人参の薬効成分の濃度は太根より細根の方が多いということを突き止めているためで、4年物までの細根を有機溶媒抽出して、6年物以上の薬効を実現することに成功していることによる。

高麗人蔘の味は、最悪なまでにまずい

生の高麗人蔘は、齧るとスポンジを食べているような食感です。
味は、土を口いっぱいに頬張ったのとほぼ同じ味です。
薬効がなければ、正直、人間の食べるものではありません。

 

高麗人蔘の薬効は、徹底的に吸収された土の養分からくる

高麗人蔘は、土の養分を徹底的に吸収する植物であることがよく知られており、高麗人蔘を収穫した後の畑には雑草すら生えないといわれています。
韓国でも人蔘が栽培可能な土地は非常に限られています。
というのも、生育する土壌の質によって、高麗人蔘の品質に大きな影響がでるためです。

 

日本産の高麗人蔘の質が低いのは、土の違いが原因

江戸時代、日本に高麗人参の種子が輸入され、幕府の命により、国産化が図られました。
非常に苦労して、高麗人参国産化は成功しましたが、品質が伴うまでには至っておりません。
日本でもかなりの量の人蔘が栽培されていますが、品質的に韓国産よりかなり劣るといわれる背景には、日本の土壌が韓国とは根本的に違うからだと考えられています。

 

なぜ「『高麗』人参」と呼ぶのか

もともと、チョウセンニンジン(朝鮮人蔘)と言われていました。
しかし、大韓民国の国策上、朝鮮王朝に対する否定、北朝鮮に対する対抗上、『朝鮮』という言葉の使用は忌避されなければいけません。
政府からの補助金なしでは生産ができない人蔘が政府の方針に楯突くわけにもいかず、コウライニンジン(高麗人蔘)という言い方をするようになりました。
余談ですが、朝鮮王朝時代から存在した右翼系新聞社に『朝鮮日報』という会社がありますが、あえて『朝鮮』という名前を使うところに、韓国人の感覚では、いかにも反政府系報道機関というニュアンスがあります。

日本では、韓国独立後は、輸入元の韓国政府に配慮し、「朝鮮」の語を避けて「薬用人蔘」と称してきました。
しかし、なぜか、薬効が証明されている薬用植物なのに、「薬用」の名称が、薬事法に抵触してしまうという珍事が発生し、正式な呼称を「高麗人蔘」へ切り替えたという歴史があります。

 

日本の病院で高麗人参の話は厳禁

その最大の原因は、日本の病院では西洋医学至上主義が徹底していて、東洋医学というと、インチキ療法、根拠のない民間療法と吐き捨てるお医者様が多かったという事情があります。
実際、韓国なら立派な『医師』である鍼灸師、按摩師も、日本では医師ではないことと関係があります。

なお、日本の病院では、高麗人参は絶対タブーです。
一般の人々の間で、東洋医学に対する一定の評価と理解があり、ドリンク剤でも「高麗人蔘」が入ったものが珍重されておりますが、日本の医者の間では、東洋医学に関する事柄はいまだ絶対禁句であり、病院では「高麗人蔘」「鍼灸」のことを話すことはやめた方がよいでしょう。

病院で話したことが原因で、医者が激怒し、治療を打ち切られて病院を追い出されたなんていう事例が少なからずあるようです。
当時の「薬用人参」に対する見解も、医療関係者のそのような東洋医学に対する徹底的な拒否反応からでたものと理解できます。

 

野菜のニンジンの本当の名前は『こらふ』

なお、野菜のニンジンと高麗人参は別物です。
野菜のニンジンはセリ科であり、本種の近類種ではなく全く別の種です。

野菜のニンジンは、江戸時代、日本に導入され、もともと『こらふ』と呼ばれていました。
人参と同様に肥大化した根の部分を食用とすることから、「せりにんじん」と呼んで販売されていたようです。
時代が下るにつれて『せりにんじん』は基本野菜として広く使われるようになり、名称も単に「にんじん」と呼ばれることが多くなったのだそうです。